瀬尾まいこの「傑作はまだ」  vol. 8

Story

作家・瀬尾まいこが描く不器用な父と息子の切なくて温かい物語。第8回『傑作はまだ』

作家・瀬尾まいこが描く不器用な父と息子の切なくて温かい物語。第8回『傑作はまだ』
あらすじ

引きこもりの小説家・加賀野<かがの>の元へ、生まれて以来一度も会ったことのなかった息子・智<とも>が突然訪ねてきた。

しばらく泊めてほしいと言う智の頼みで、二人は一緒に暮らすことに--。

息子のことは何も知らない。血がつながっている、ただそれだけの関係。ただそれだけのことがこんなにも俺の心をかき乱す。

『僕らのごはんは明日で待ってる』など切なくてやさしい物語を送り出してきた作家・瀬尾まいこが、不器用な親子の不思議な同居生活を描くハートフルストーリー。

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瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

2018.12.02

バックナンバー

連載 瀬尾まいこの「傑作はまだ」

第8回

第二章

6

「さあ、行こう。今日は何を知る日になるだろう。そう思うと、ぼくは飛び起きずにはいられない。あ、おっさん。おはよ」

「おはよう……」

 ダイニングに行くと、智がコーヒーを飲みながら、またもや俺の小説を読んでいた。

「俺の書いたものを声を出して読むのはやめてくれないか?」

「どうして?」

「どうしてって……」

 作り物の話とはいえ、自分の内面を通って出てきた文章を改めて耳にするのは、恥ずかしい。

「恥ずかしいって、これ、普通に売ってるんだろう」

 智は勝手に俺の心の中を読み取って笑うと、「でも、俺、この小説が一番好きだなあ」と本の表紙を見せた。

「『きみを知る日』か。それ、デビューしてすぐに書いたものだから、拙いし、迫力にもリアリティにもかけるだろう」

『きみを知る日』は、学生時代に賞を取った作品が本になった後、最初に書いた小説だ。思いがけず仕事が舞い込んで、慌てて書いたせいもあり、練り直しも甘く設定もおおまかで、今思い返してもぞっとするほどへたな小説だ。自分では一度も読み返したことがない。

「そう? 誰も死なないし、主人公は希望に満ちあふれてるし、周りの人も愛を持っている。健全でいいと思うけど。『明日がもっとすばらしいことをきみはぼくに教えてくれた。今日はきっときみを知る日になる』。うーん、さわやかだね」

 智はまた小説の一節を口にして笑った。

「やめてくれ。甘ったるい青い小説、いくら二十代だったとはいえ、自分でもよく書いたと思うよ。そんなおめでたい現実、あるわけがない」

「二十代のおっさんのほうが少なくとも今よりは見る目あると思うけど。まあ、この小説は俺のルーツみたいなとこあるから、気に入ってるんだ。あ、おっさんもコーヒー飲むだろう?」

 智は本を片付けると、台所へ向かった。こんな話を気に入るとは、やっぱり智は国語力に乏しいようだ。

『きみを知る日』は世間から酷評された。受賞後最初の作品で注目されていたのもあっただろうが、「お花畑小説」だの、「現実逃避した若者の日記」だの、「何一つリアリティがない」だの、ひどい言われようだった。

「加賀野さんは、こういう話を書くのには向いてないですよ。もっと人間の真の部分に目を向けてください。人の醜い弱い部分をちゃんと書くべきです」

 担当の編集者はそう言っていた。

「もう一度、デビュー作のような話を書いてください。人間の根底にあるものをえぐる作品こそが加賀野さんの書く話です」と。

 デビュー作となった作品は、ある大学生が間違って飲んだ薬によって自分自身の内面にもぐり込んでしまい、そこで今まで知らなかった自分の悪意や自尊感情を見せつけられ、戸惑うというストーリーだ。人間の奥底を正直にとらえた小説だの、若者の本当の姿が赤裸々に描かれているだのと、高評価を得た。

 しかし、俺自身は、真実や人間の本来の姿などを書いた覚えはなかった。薬を飲んで自分の心の中に入ってしまうんだから、半分はファンタジーのつもりだった。自分の内面が醜かったらショックだろうな。でも、案外こういう嫌な面ってあるな。ここまで自意識過剰だったら愉快だろうと考えながら書いていたら、単純におもしろかった。

 だけど、二作目の『きみを知る日』の失敗から、俺は編集者の意見に従い、人間の奥底にある弱い部分や、嫌らしい部分、自己嫌悪感や自尊心、そういうものを際立たせた小説を書くようになった。編集者の言うとおり、俺の得意な分野だったようで、そういう話を書いていれば、スムーズにストーリーは進んだし、読者からの評判もよかった。

「『光の裏側』『闇の底から』『放たれた過ち』。おっさんの話、タイトルだけでしんどいもんな。これ、全部ホラー?」

 智はコーヒーを俺の前に置くと、本棚に並ぶ単行本のタイトルを読み上げた。

「ホラーではなく、人間の有り様を描いた小説だ」

 スターバックスと変わらないほどおいしい。智の淹れたコーヒーを飲みながら俺は反論した。

「人間の有り様って、おっさん、どんな恐ろしい人たちと交流してたんだよ」

 智はそう言って笑うと、
「ほんじゃ、俺、バイト行ってくるわ」
 と大きな紙袋を手にした。

「あれ? 今日はコンビニじゃないのか?」

「ああ、これ? これは、今日、笹野さんの誕生日でさ、マッサージ機能付きのクッション。やれ腰が痛いだの足が痛いだのうるさいから」

「そうなんだ……」

 智があのコンビニで働き始めて、まだ二ヶ月のはずだ。それがもう誕生日を祝うのだ。あのじいさんとそういう間柄なんだ。なんとなくしっくりいかない気持ちが湧き上ってきた俺に、
「喜んでくれるかな?」
 と、智は首をかしげて見せた。

「あ、ああ、そうだな。いいんじゃないかな」

 俺がそう答えると、智は「よかった」とにこりと笑って出て行った。

 

 

 さて、続きを書こう。コーヒーを飲み終えると、俺は書斎に戻りパソコンを開いた。

 友達と始めた会社がなくなり、貯金もない。主人公の亨介は、お金のメドをつけようとする。さしあたっての家賃八万円。それを用立てようと、兄妹のもとを回っていく。

 まずは兄のもとを訪れる。ところが、兄は亨介の姿を見ただけで、嫌悪感に満ちた顔を見せ追い払う。「軽々しく商売を始めた結果がこれだ」と冷笑を浮かべ、「順調にいっている時には連絡もよこさず、困った時だけやってくるとは身勝手なやつだ」と捨て台詞を吐いて背を向ける。

 傷つきながらも亨介は次に、幼いころからよく遊んだ妹のもとへ向かう。兄とは違い、周りからも仲良しだと評判だった妹だ。少しくらいのお金なら用立ててくれるだろうと頭を下げるが、子ども二人を抱えた妹に、そんな余裕はないと断られる。自分の今の暮らしを削ってまで兄を助ける気はないらしい。

 身内ですらそうなのだから、知人の反応も似たり寄ったりだ。「お金を貸すことはできない」と一様に首を横に振る。

 たった八万円のお金すら誰からも借りることができない。お金がないことより、そのことに亨介は絶望にいたる。

 ここまで書き上げ、俺は苦笑した。

「ちょっと、こいつの周り、やばいやつばっかじゃん」
 と顔をしかめる智の顔が思い浮かんだのだ。

 しかし、お金を貸してくれる人間がそうそういるだろうか。どんなに深い間柄であっても、どんなに優しい人であっても、金銭の貸し借りは渋りがちだ。お金が惜しいのではなく、お金を貸すという行為に抵抗がある人間は少なくない。

 俺の親だったらどうだろう。笹野さんに指摘された乏しい想像力を働かせてみる。連絡も取らず、不義理をしているが、頼み込めば無理をしてでもお金は用立ててくれそうな気もする。いや、それは甘いか。

「小説家? それはまっとうな仕事なのか?」

 大学四年生の時、俺が作家としてデビューすることを告げた時の親父の渋い顔が浮かんだ。俺も主人公と同じく、何をいまさらと追い払われるのがおちかもしれない。

「一息入れるか」

 考えが滞って文章が中断したところで、俺は台所に向かった。

 二十代のころから、一日に数回コーヒーを飲んでいる。ブラックは飲めず、五十歳になった今でも牛乳をたっぷり入れる。前までは冷蔵庫の牛乳をそのまま入れるだけだったが、最近は智に言われたように牛乳をレンジで温めている。こうしてできたコーヒーは不思議と味が和む。

 俺はコーヒーを飲みながら、ダイニング続きのリビングに設置した大きな本棚の前に立った。

 初期の作品からずらりと並んだ単行本と文庫本。デビュー作は薄黄色で二作目は白いカバー、それ以降のカバーは黒か深い灰色か紺色。確かにこれではホラー小説が並んでいるようだ。もう少し淡い色で装丁してもらいたいものだが、小説の内容が内容だからしかたないか。特にここ五、六年に出版した本は、どれも同じような装丁で、自分でもうんざりする。それだけ、似たような作品ばかりが続いているのだ。五年の年月が流れても、俺自身にも俺の作品にも何の変化もないということだろう。

 あいつはいったいどうだったのだろうか。智にとってのこの五年間は社会に出る大きな節目だったはずだ。俺は本棚の一番下の段にしまっている智の写真を綴じたファイルを手に取った。

つづく
タイトル画像・デザイン / 山家由希


二十歳になるまで月に一枚届いていた智の写真。思わずその成長の記録を手にする加賀野の心は――?

第7回はこちら
引きこもり作家と息子を名乗る青年との不思議な同居生活…連載小説第7回『傑作はまだ』(瀬尾まいこ)

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第9回はこちら
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瀬尾まいこ(せお・まいこ)

1974(昭和49)年、大阪府生れ。大谷女子大学国文科卒。2001(平成13)年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年単行本『卵の緒』で作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞を、2008年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞を受賞する。他の作品に『図書館の神様』『優しい音楽』『温室デイズ』『僕の明日を照らして』『おしまいのデート』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『春、戻る』『そして、バトンは渡された』など多数。

書籍情報

『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこ(著)
文春e-Books

たくさんの〈親〉たちにリレーされて育った優子。数奇な運命をたどったけど全然不幸じゃなかった少女の物語。
私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった。これだけ状況が変化していれば、しんどい思いをしたこともある。新しい父親や母親に緊張したり、その家のルールに順応するのに混乱したり、せっかくなじんだ人と別れるのに切なくなったり。(本文より)
幼くして実の母親を亡くし、様々な事情で血の繋がらない〈親〉たちの間をリレーされ、四回も苗字が変わった優子だが、決して不幸だったわけではない! 〈親〉たちの愛を一身にうけて、〈親〉たちのことも愛して、いま十七歳の優子は幸せなのだ。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作!

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