【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 104

Column

CHAGE&ASKA “万里の河”のチャゲアスから、新たな“一里塚”を目指し始めるチャゲアスへ

CHAGE&ASKA “万里の河”のチャゲアスから、新たな“一里塚”を目指し始めるチャゲアスへ

『INSIDE』は彼らにとって、5枚目のオリジナル・アルバムである。『CHAGE&ASUKA IV -21世紀-』から、僅か9か月後の1984年3月にリリースされている。新たなツアー「21世紀への招待 Part Ⅱ」の予定があったので、間に合わせる必要があったのだ。今まで以上にポップを意識した内容と言われている。ただ、ポップとは時代に伴い変容していく概念であり、そこに王道などない。

この時、彼らが目指した“ポップ”とは、こういうことだったのではなかろうか。「万里の河」により生まれたCHAGE&ASKAのパブリック・イメージを、なんとか払拭したいと願っていた彼らにとって、自らの音楽性の自由な発露として、また、より多くの人達に、もっと多面的に自分達を感じ取ってもらうためにも、必要とされたのが、よりポップな境地だったのだ。

ただ、現実問題として、アルバム作りの時間はなかった。二人は河口湖スタジオにカンヅメにされ、楽曲制作に勤しむこととなる。予定通りにこなせば、晴れて缶切りが手渡された。ちなみにこのスタジオは、その名の通り、河口湖畔にあった。滞在型のリゾート・スタジオであり、食寝の心配はないので、都会の煩わしさから解放され、創作活動に集中することが出来た。でも、裏を返せば24時間体勢で、ハード・ワークも可能だったのだ。結果、ツアーに間にあうよう完成した。彼らは都会へ戻ってきた。

『INSIDE』は、二人にとってターニング・ポイントとなった作品である。そもそもタイトルからして、今までと違う。『風舞』『熱風』『黄昏の騎士』『21世紀』と、どちらかというとゴツっとした日本語のタイトルが続いたが、今回、初の英語である。もちろん、うわべの変化では意味がない。そもそもこのタイトルは、内面から変わっていくことを願い、つけられたのだ。

CHAGE&ASKAがレコーディングにコンピューターの打ち込みを導入したことでも知られるアルバムだ。それがどうポップに繋がるのか? すでにテクノ・ポップのブームは起こっていたので、打ち込みを導入することに、革新性のみを求めたわけじゃないだろう。

そんなサウンドが顕著なのは、松井五郎作詞・CHAGE作曲の「RAINBOW」であり、前回紹介した『GOOD TIMES 1983.9.30 国立代々木競技場LIVE』のDVDのなかで、この曲のPVを観ることが出来る。導入したのは二人というより、この曲のアレンジを担当した瀬尾一三だ。クレジットを見ると、瀬尾がローランドの「MC-202」を使い、よりこの分野に精通していた梅原篤が、同社の「MC-4」を本作のレコ−ディングで仕様している。当時、高価で高嶺の花だったデジタル・シーケンサーを搭載しつつ、内蔵のモノフォニックシンセを動かせる画期的な商品が「MC-202」だった。で、その高嶺の花というのが「MC-4」のことである(さらに詳しいことに興味がある方は、ご自身でお調べくださいませ)。

「RAINBOW」を聴くと、今の耳にはコンピューターの音がイナたくて、“親しみ易いテクノ・ポップ”という感覚だ(昨今のジャンル分けだと「チップチューン」と呼ばれるスタイルに近いかもしれない)。なにしろ“♪恋はレインボー”と歌うのだから、屈託なくポップである。語尾をチャーミングに歌うCHAGEが印象的であり、このヒトの人懐こい魅力が伝わってくる。

ASKAはこのアルバムから、ピアノでの作曲を重要視していく。前回、「声を聞かせて」のことを書いたが、さらには「MOON LIGHT BLUES」、そして「東京CARRY ON」も、鍵盤から生みだされた作品である。一言でピアノといっても、どのように作曲したのだろうか。ASKAは幼稚園の頃、オルガン教室に通った経験はあるものの、その後、本格的にピアノに親しんだわけではなかった。

ASKA コードなんか全然知らなかった頃だけど、自分で和音を探しながら適当に作っていって、ああ、こういう作り方ってあるんだなという発見があった。(中略)今考えると、音楽理論的にかなり突飛なところにいってるコード進行だね。(中略)まったく感性だけでピアノと向き合ってた。
(『10年の複雑(上)』より)

読んで驚いた。というか、こんなことが実際に出来るのだろうか? “自分で和音を探しながら適当に作って”などということが、果たして可能なのか? しかしこれ、想像するに、ASKAはそもそも、メロディというものが、ある程度は揺るぎなく、思い浮かぶタチだったのだろう。そこに伴うニュアンスを、鍵盤を探りつつ、固めていったのではなかろうか。そうでなければ、“自分で和音を探しながら適当に”なんてムリだろう。

河があり、そこをメロディという名の舟が通っていくことを想像してみよう。ASKAの場合、その舟は自力でコース取りがある程度は出来て、あとから護岸工事(コード進行を考えること)しても、間に合うという感覚だったろう。

もしこれを、音楽理論を先行させてやるとなると、手順は逆だ。護岸工事を済ませ、そこに定まった水の流れに、メロディという名の舟が通していくことになる。そもそもはASKAにボーカリストとして絶大なポテンシャルがあったからこそ、当時のこんな作曲法も可能だったのだ。

「東京CARRY ON」のことを、彼は「スティーヴィー・ワンダーばりの曲だと思う」とも回想している。この時期のスティーヴィーといえば、ポールとの「エボニー&アイボリー」や「心の愛」など、まさにポップの代名詞といえる存在であった。

「MOON LIGHT BLUES」は、ASKAがピアノで作曲した最初のシングル曲として世に出た。しかしこの頃、文字通り、ポップな場所へと辿り着いたのはCHAGEであり、しかも彼の課外活動であった。石川優子とデュエットした「ふたりの愛ランド」である。

その後も幾多のヒット曲を送り出す、JALの沖縄キャンペーン・ソングであった。CHAGEはこの歌を、真冬に作っている。部屋の暖房をがんがんに強くして、夏の気分で書いたのだ。非常に有名なエピソードとしては、当初、歌詞に「ココナッツ」という名詞を入れていたが、沖縄でココナツは収穫されないことから「ココ夏」に変更されたことである。今もコンサートに行けば、彼はこの歌を、盛り上がりどころで歌っているが、僕が「ふたりの愛ランド」でこだわりたいのは、各コーラスのシメに出てくる“夏 シマシタ”というフレーズだ。夏は色々なことしちゃう季節だけど、そこには解放感が伴う。“夏 シマシタ”という完了形が、とても様々に(時には意味深に)響くのだ。

文 / 小貫信昭

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