Interview

47歳で渡米、ジャズピア二ストへの転身。大江千里が大胆な決断を振り返る。

47歳で渡米、ジャズピア二ストへの転身。大江千里が大胆な決断を振り返る。

 大江千里は1983年、アルバム『WAKU WAKU』でデビューし、翌84年にシングル「十人十色」でブレイクする。男子の夢を詰め込んだ新しいタイプのラブソングを提示するシンガーソングライターとして人気を集め、渡辺美里、松田聖子などへの楽曲提供やプロデュースも手掛けることになった。その他、俳優、司会、ラジオ・パーソナリティ、エッセイストとして幅広いジャンルで活躍。
しかし順調なキャリアにも関わらず、2008年、日本での活動を休止して、ジャズを学ぶためにニューヨークに移住。2012年、ついにジャズ・ピアニストとしてデビューを果たしたのだった。
 ポップな作風で独自のポジションを確立したシンガーソングライター時代のイメージと、ジャズ・ピアニスト大江千里との間には、少なからずギャップがある。また47歳でなぜ大胆な決断をしたのか。
 この夏にはアメリカで、秋には日本でニューアルバム『Answer July』をリリースする直前に来日した大江千里に、ジャズの日々について聞いてみた。インタビューに現われた千里は、目力が格段にアップしていて、アーティストと呼ぶにふさわしい精悍な笑顔をたたえていたのだった。

インタビュー・文 / 平山雄一 撮影 / 森崎純子


ロウソクの炎みたいに、いつかジャズをやりたいっていう思いがあった

プロのジャズピアニストになるために、アメリカに行ったんですか?

最初はプロになりたいとかじゃなくて、単にジャズを勉強したいと思ってたんですよ。僕は10代のころ、ジャズに興味があって、教則本を読んで独学で勉強し始めたんですが、シンガーソングライターの方でチャンスが来たのでそっちの道に進みました。けれどもその時以来、ジャズについて明確な疑問があったんですよね。それはボイシング(和音の構成)。ジャズってなんでああいう響きなんだろうっていうことへの率直な疑問があったんです。

僕が若すぎたのか、ボイシングの勉強は途中で頓挫してしまった。でもジャズのボイシングにしっくり入っていくことができずに、悩んでいる中でシンガーソングライティングをやっていたんですけど、47歳のときにやっとチャンスがきたんです。ずっと消してたわけじゃなくて、ロウソクの炎みたいに、いつかジャズをやりたいっていう思いがあった。

人生は一回しかない。やり直しはきかない。やれるとしたら、もうそんなにチャンスはない。それでニュースクール大学っていうニューヨークの音楽学校の応募要項を読んだら、「海外から留学生を募集する。ついてはテープでもオーディションを受けられる」って書いてあった。なので、僕はそのとき習っていたジャズの先生に相談して、一緒にデモテープを作ってもらったんです。どうすればちょっとでも耳に止まるものができるかって。先生の言う通り作って応募したら、受かっちゃった(笑)。

それで、「僕ってある程度、ジャズができるんだな」と思って。でもニューヨークに行って、実技のオリエンテーションで最初にピアノを弾いたときに、「あ、これは違うな。ヤバい」って自分で思ったんですよね。案の定、僕に興味を持って集まっていた人たちが、みんなサーっと蜘蛛の子を散らしたようにいなくなった。そこからですね、勉強が始まったのは。

大江千里

勉強は大変でしたか?

日本での音楽活動を辞めてきてるし、ジャズがモノになるのかどうかの確証もないし。半信半疑、不安と期待が入り乱れつつ。だから今みたいに自分のアルバムをリリースして、それが日本でもディストリビューションされて、ブルーノートが後押ししてくれてっていうのは、そのときはまったくもう夢のまた夢でした。とにかく目の前のフレーズが弾けるようになること、僕以外の人たちが楽しそうにやってるジャズの世界に僕も少しでも早く入りたいっていう思いがあった。

クラスメートたちが、楽しそうに見えたんですね。

そう。向こうの子たち、特に金管とか木管楽器の子たちは、ブラスバンドを早くからやっていて。そこには自然とジャズのスタンダードが流れているので、みんな、ある程度できるっていうのがあって。

がんがんチップが入って。100ドル札とか入ってました。

アメリカでジャズは、どんな風に聴かれているんですか?

アメリカの中でも、場所によって好まれるジャズの種類が違っていたりします。ニューオリンズで演奏したときなんか、僕が転調の多い複雑なジャズをやってたら、途中でジュークボックスのボリュームを上げられちゃったの。マイケル・ジャクソンみたいなのがかかっちゃって(笑)。それでも「まだ演奏中だよ、ソーリー」みたいな感じで、淡々と最後までやり終えたんだけど、「あ〜っ?!」と思いましたね。

で、次に「上を向いて歩こう」をちょっとレゲエっぽくやってみた。そしたら、洗濯板みたいなパーカッションを持って僕のピアノに合わせてくる人がいて。みんながそんな感じで、やっぱりニューオリンズでは踊れなきゃダメなんだっていう。転調がどうのとか、そういうのはいいからっていう感じでした(笑)。僕は「自分はこういう人間だ。こういう音楽家だ」ってことをわかって欲しくて、そういうメニューで演奏してたんだけど。なので、次の日はその手の曲ばかりやったら、がんがんチップが入って。100ドル札とか入ってました。

文字通り、“現金”ですね(笑)。

大江千里

大学のレッスンは厳しかったですか?

2年のときに“ソフォモアジュリー”っていう実技試験があって、抜き打ちでプロのミュージシャンと演奏する。自分で譜面を書いて、それを彼らに配って、英語で説明する。演奏はもちろん、その説明も先生にジャッジされるわけです。そうしたらミュージシャンから「この“目ん玉記号”はなんだ?」って聞かれたので、「目ん玉の場合は、アイコンタクトで演奏してください」って説明して。「まつげも描いてあります」、「Oh〜!」みたいなこと言われながら(笑)。そうしたら一発で受かった。キャラ勝ちです(笑)。みんな「What’s your name?いやあ、面白いねー」って言ってくれて、コミュニケーションにグルーヴが出た。合格したので、難しい専門的なクラスをとれるようになって、ようやく「やった!」っていう感じになりました。

ようやくなんですね。

そう。オーディションのあるクラスにもぽつぽつ受かり始めて。スタンダードのオーディションのクラスで、ピアニストとして受け入れられたり。ようやく自分自身がジャズに入っていけたような気になった。まあ、そうなる前に練習しすぎて肩を壊したこともあったんですけど(笑)。

メジャーリーグのピッチャーみたい(笑)。思ったより早くジャズの世界に入れたんですか?

いやあ、ものすごく練習してるんだけど、自信はない。当時はニューヨークで今夜、練習してる人の中で、僕はベスト10に必ず入ってるだろうと思ってた。だけど、ジャズ・ピアニストの100番には入れないっていうか。もっともっとうまくなりたいと思いながらやってきましたね。

 

いろんなジャンルがボーダーなく僕の周りに存在する。それは自分の強み

厳しいですね。

ただ、今は僕にしかできないものをやっていこうって思えるようになった。僕の3枚目のジャズ・アルバムで一緒にやってるフランスから来たサックスの子が、ある日、「千里は自分で作ってきた音楽があるから、俺はそれを美しいと思う。小さいパイでも自分のパイを作ったほうがいいんじゃないか。少なくとも、俺はそれを支持する」って真摯な目で言ってくれたときに、ちょっと光が見えたんです。 

他にもキッカケはありました。震災もあって、日本の曲を見直すようになった。例えば「竹田の子守唄」とか、「サザエさん」とか「いい日旅立ち」とかいろんな曲あって、みんな歌える。みんなが知ってるからこそ、コードにハーモニゼーションを入れられる。自分自身のポップ時代の曲も、あえてジャズにしてみると、みんなが歌い出したり。それは僕にしかできないことですよね。

そう思うようになってから、いろんな曲に対してオープンになりました。いろんなことを今までやってきたからこそ、それに縛られず、それも含めて、いろんなジャンルがボーダーなく僕の周りに存在する。それは自分の強みだなと思ってます。僕は“雑食”ですね。

最近、そう思うようになったんですか?

昔から雑食だったんだけども、アメリカに来てジャズの館の中で底辺からスタートして、「上にあがりたい。そして混じりたい。英語もネイティブにしゃべりたい」っていう思いが毎日あったんだけども、ある日突然、誰かが「君のMCは、セングリッシュ=千里イングリッシュだ」って言ってくれた。僕はそれっていいことだなって思いました。発音の問題じゃない。モゴモゴしゃべると聞き取れないけど、ちゃんとしゃべると聞いてくれる。「この曲は日本のあの大きな震災の後に、こういう気持ちで書いた歌だ」って言うと、みんな「えっ?」って注目して聴いてくれる。世間が自分に背中を向けてるわけじゃないんだなと思い始めてから、だんだん自分もほぐれて開けるようになってきました。

大江千里

今回のアメリカ発売のアルバム『Answer July』は、どんな風に作り始めたんですか?

尊敬しているジャズ・ボーカリストのシーラ・ジョーダンさんに、「あなたをアイコンにして、アルバム作りたい。チャーリー・パーカーのことを尊敬するあなたは、自分のことを“ジャズ・チャイルド”っておっしゃるけど、“ジャズ・グランドチルドレン”の僕たちが、ファミリーのようにあなたを囲んでアルバムを作りたい。スリリングなジャズというよりは、みんなでワイワイ、クスっと笑ったりしながら作りたい」ってお願いするところから始まりました。

実際、ニューアルバムの「Tiny Snow」という曲では、歌ってる途中で本当に笑い声が聴こえますね。

笑ってます(笑)。ジョーダンさんにそういうのを作りたいんだっていう趣旨説明をして、彼女に参加のオーケーをもらいました。

まず曲は全部僕が書いて、タイトルもほぼ決めた上で、作詞家さんにこういう世界観のものをお願いしたいっていう話をしました。かなりいいキャッチボールができたので、あとはもう作詞家さんにお任せで。出来上がった作品で、リスナーの方に僕らのキャッチボールの飛距離を楽しんでもらえたらって思ってます。

今までのジャズ・アルバムとは違いますか?

今までの3枚はインストですからね。今回は全曲ボーカル入りで、それぞれ素敵なレコーディングでした。

途中に入っているピアノソロも、すごく良かった。これが今のスタイルですか?

新しいアルバムは3年ぐらいかけて作ってるから、ピアノソロの感じも曲によって少し変わってきてる部分はあります。

大江千里

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