瀬尾まいこの「傑作はまだ」  vol. 9

Story

『そして、バトンは渡された』がブランチBOOK大賞2018受賞! 作家・瀬尾まいこが描く不器用な父と息子の切なくて温かい物語。第9回『傑作はまだ』

『そして、バトンは渡された』がブランチBOOK大賞2018受賞! 作家・瀬尾まいこが描く不器用な父と息子の切なくて温かい物語。第9回『傑作はまだ』
あらすじ

引きこもりの小説家・加賀野<かがの>の元へ、生まれて以来一度も会ったことのなかった息子・智<とも>が突然訪ねてきた。

しばらく泊めてほしいと言う智の頼みで、二人は一緒に暮らすことに--。

息子のことは何も知らない。血がつながっている、ただそれだけの関係。ただそれだけのことがこんなにも俺の心をかき乱す。

『そして、バトンは渡された』など切なくてやさしい物語を送り出してきた作家・瀬尾まいこが、不器用な親子の不思議な同居生活を描くハートフルストーリー。

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瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

2018.12.02

バックナンバー

連載 瀬尾まいこの「傑作はまだ」

第9回

第二章

6

 最後のページから写真を見てみる。二十歳になった六月から高校三年生までさかのぼって見てみても、スーツ姿はない。ということは、高校卒業後は進学したか、そのままフリーターになったのだろうか。高校卒業後の二年間の写真は、お決まりだから撮っているという感じで、かわいげはまったくない。ほとんどが家の中か家の前で撮影されたもので、笑うでもポーズを決めるでもなく、平然とした顔で写っていて、この時どんな状況にあったのか推測すらできない。

 せめて、「十万円受け取りました」だけでなく、「高校を卒業しました」だの、「今就職活動中です」だの、少しでも言葉を添えてくれればいいものを。二十年間、毎月写真を撮って送る労力があるのなら一言ぐらい書けるはずだ。いや、美月はそういう無駄なことは一切したくないやつだった。しゃべり方の甘ったるさとは反対であっさりとした美月の性分を思い出して俺はため息をついた。

 高校時代の写真は、家で撮ったものだけでなく、学校で販売している写真を買ったのだろう、修学旅行や文化祭の写真もある。ひととおり行事には参加していたようだ。だけど、わかるのはそれだけで、智がどんな人間だったのかはわからない。勉強は得意だったのだろうか。友達や彼女はいたのだろうか。ユニフォーム姿の写真があれば、どんなクラブに入っていたのかわかるんだけどな。と、写真をめくって思い出した。

 そう言えば、いつだったか、泥で汚れた体操服姿で走っていたり、松葉杖で立っていたりする写真が続けて送られてきたことがあった。智は何かスポーツにいそしんでいたにちがいない。確か、半袖姿だったから夏だったか。高校三年生じゃなくて、そう、これ、これだ。俺は何枚かページをめくって、三枚の写真を見つけた。

 高校二年生の九月に送られてきたのは、体操服の前面を泥で汚したままでグラウンドを走っている智の写真だ。陸上、もしくは野球かサッカーだろうか。ユニフォームではないからわからないが、何かスポーツをしている姿だ。智の顔は疲れてはいるものの充実感があり、汗でよれた体操服とは反対にすっきりとした表情をしている。

 続く十月の写真は、松葉杖の智が隅に立ってグラウンドを眺めている。きっとクラブ中に怪我をしたのだ。大事な試合に出られなくて悔しい思いをしているのか、思うように練習に参加できないいらだちか、智の顔つきはいつもより硬い。

 そして十一月は、腕も顔も泥だらけにした智の顔写真。上半身のアップで何をしている瞬間を撮ったものかはわからないが、智は汚れることなど気にもせず無心に何かに打ち込んでいる。

 今から八年前に送られてきたものだが、この三枚の写真は覚えている。写真自身が印象的なせいもあるが、記憶に残っているのは、ちょうどこの時期、俺がひどい状態だったからだ。

 八年前の夏。俺の書いた小説が、ある漫画に似ているとネット上で話題になった。

 俺は、漫画は読まないし、ネットも調べものに使う程度で見ることもほぼない。それを、当時担当だった編集者が「ちょっと大事になってますね」と俺にインターネットのページをいくつか見せてきた。

 そこには、「加賀野、盗作、パクり、犯罪者」などとひどい言葉が並び、俺の書いた小説と漫画の共通点を羅列したページもあった。当たり前だが、俺は似ていると指摘された漫画を読んだこともなければ、小説を書く上で何かから引用したり、ましてや盗作しようと考えたりしたことなどなかった。

 主人公の恋人が、昔自分がいじめていた相手の妹だったという設定は、漫画と俺の作品と同じだった。だけど、結末も違えば、出てくるエピソードも違う。似たような話はいくつかあるものではないのだろうか。そう思っていたが、ネット内の批判は収まることはなかった。

「あんまり気にしないことですね。ネットは見ないほうがいいですよ」

 編集者はそう言っていたが、俺は事実を知ってから、毎日、自分のことが書かれているサイトを探してはチェックした。

 似ていると指摘された作品だけでなく、俺の過去の作品と似ている漫画を探して報告するというサイト。俺の小説家になる前の言動をさらすサイト。単に俺の小説がおもしろくないと悪口をひたすら書き込むサイト。ネット上には、驚くほど俺の情報があふれていて、そこには読むだけで消えてしまいたくなるような言葉が並んでいた。

 

【俺、同級生だけど、加賀野、小学生の時から一人で本を読んでいて周りから浮いてて気持ち悪かったー】

 

【高校時代、私一個下の学年だったけど、いかにも盗作しそうな顔してたよ】

 

【加賀野の作品、全部読んだけど、全部ごみ。最低の作家】

 

【また盗作発見! デビュー作の主人公、この漫画の主人公と同じ! 加賀野、デビューから犯罪者確定】

 

 みんな顔が見えないネットだから好き勝手言っているだけだ。と、開き直れる日もあれば、これだけの人間に否定されているのだ。知人だと思われる書き込みだってある。俺は最低な人間なのかもしれない。と、落ち込む日もあった。いくつも批判を読んでいるうちに、次第に、自分で気づかないうちに、盗作をしていたのかもしれないと思いそうにさえなった。もしかしたら、今書いているこの文章も何かに似ているかもしれない。この登場人物もこの設定もすでにどこかで表現されているかもしれない。そう思うと、怖くなって文章が出てこなくなった。

 締め切りも守らず、ただネットを見続けるだけの日々は続いた。こんな言葉を読んで耐えられる人間がいるのだろうか。見ないほうがいいと思いながらも、自分が知らないところでののしられているのも怖く、確認せずにはいられなかった。

 そんな時、智が汚れた体操服姿で走っている写真が届いた。その写真に、若いやつはいいな。こけてもつまずいても、またこうして走れるんだから。そう思った。

 締め切りを二度飛ばして、「とりあえずしばらく休載にしましょう」と編集者に通告された月には、松葉杖をつく智の写真が届いた。

 怪我か。どうしようもない時ってあるんだな。

 智の痛々しい姿に、会ったことがなくとも親子はどこかリンクする部分があるのだろうかと思わずにいられなかった。

 人の噂も七十五日とは本当で、次第に俺の盗作を騒ぎ立てるネット上の声は減ってきた。ただ、残って発信しているのは、強い反感を持っている人間のせいか、過激な言葉が目立ってきた。

 

【あんな小説しか書けないなら、加賀野、死んだらいいのに】

 

【最近連載ストップしてるみたいだけど、もしかして死んでくれたのかな。それならラッキー】

 

 見ず知らずの人間のものであっても、死を待たれている声を目にすると、すべてを投げ捨てたくもなった。どうして俺は小説なんて書いているのだろう。小説なんてなくても、生きる上で誰も困らない。そんなもののせいで、死ねと言われるのだ。筆を置くべきではないのだろうか。

 そこに届いたのが泥だらけの智の写真だった。鼻も頰も額まで汚れた智に、ここまで汚なくなることがあるだろうかと笑ってしまった。泥がついた顔を気にすることもなく智は無心に何かを見つめている。苦しそうでもつらそうでもなく、すがすがしい顔で。泥は洗えば落ちる。そんなもので、情熱やひたむきさはかげりはしない。写真の顔はそれを明確に表していた。

 批判や誹謗で俺が汚されたものは、なんだろう。ののしられ、傷がついたものはなんだろう。しょせん、評判や名誉。その程度のものだ。俺自身は何も汚されてはいない。

 三ヶ月も書いていなかったのだ。腕はうずうずしていた。俺は、書きたかったんだ。誰かに褒められるためでも認められるためでもなく、ただ書きたいんだ。そこから一気に小説を書き上げた。

 その小説が、『崩れ去るもの』だ。

 なじみの患者にふとしたことで恨みを買った医者が、悪評を流され廃院に追い込まれそうになる。悪い噂はすぐさま広がり、そのうち様々な人間にあることないことを言われる。なんとか立て直そうと、医者は必死に動く。

ご老人の往診に、医療相談。面倒なことも無料で引き受けた。それでもなかなか風向きは変わらないまま三年が経ったそんな時、一人の少年が訪ねてくる。

「本当はここが一番いい病院だってお父さんが言っていた。僕の病気、先生だったら治せるって」

 少年は悪評を流した患者の息子だった。

「おっさん、電気ぐらいつけてよ。薄暗い部屋で自分の小説読みふけってるって怖いよ」

 いつの間にか本に没頭していたようで、突然聞こえた声に顔を上げると、智が立っていた。

「あ、ああ。帰ってたんだ」

 気づけば時計は六時を過ぎている。昼過ぎから四時間近く、ここにいたのだ。

「『崩れ去るもの』か。その話、最後納得いかないんだよね。男の子の病気が治ってハッピーエンドにすればよかったのにさ」

「ああ。そうだな」

 智の言うように、最初は男の子の病気を治し、地域の評判を回復させられそうなところで話を終えていた。タイトルだって『光はこの手に』だった。ところが、編集者に「現実、こんなうまくいかないですよね? ご都合主義はやめましょう」と指摘され、書き直したのだ。

「結局、男の子も先生も患者も全員かわいそうなんだもん。現実だったら、こんなふうにはならないだろう? おっさん、小説だからって好き勝手書き過ぎなんだよなあ」

 智はそう言うと、どっかとソファに腰を下ろした。

「そうか……。って、君、それにしてもよく俺の小説を読んでるんだな」

「そりゃそうだよ。俺は毎月写真を送ってあげてたのに、おっさん、お金しかくれなかっただろう? そうなったら、もう本を読むしかないじゃんね」

「そうなのかな……。あれ? 今日笹野さん休みだったのか?」

「どうして?」

「どうしてって、それ」

 俺は智の足元に置かれた紙袋を指さした。朝持って行った袋だ。

「ああ、これ? これはおっさんに」

 智はにっこり笑うと、袋を俺に差し出した。

「俺に? なんだ?」

「朝持ってたのと同じ、マッサージ機能付きのクッション」

「どうして?」

「どうしてって、おっさん、俺が笹野さんに誕生日プレゼント持って行くのを、恨めしそうな顔で見てただろう。よっぽどクッション欲しかったんだなと思って、帰りに同じのを買ってきたんだ」

「恨めしそうってなんだ」

 そんな顔をした覚えなどない。それに、一日中パソコンを打ってはいるが、俺の体は凝りとは無縁だ。

「俺は欲しいなんて言ってない」

 もの欲しそうにしていたと思われるのは心外だ。俺が反論すると、

「じゃあ、こっちか」

 と、智はカードを差し出した。

「次はなんだ?」

「誕生日カード。笹野さんの誕生日を祝うなら俺のだって祝えと言いたくて、あんな顔してたんだろう。ネットで検索したらおっさんの誕生日、八月なんだね。もう過ぎちゃったけど」

 白のシンプルなカードを開くと、「誕生日おめでとう」と書かれていた。

「俺はだだっこじゃないんだから、クッションを欲しがってもなければ誕生日を祝ってもらおうともしてない」

「はいはい。そんな必死にならなくても両方あげるからさ。それよりからあげクン食べよう。まだあったかいから」

 智はテーブルの上に唐揚げの包みを置くと、「お茶淹れてくるね」と台所へ向かった。

 いったいなんなんだ。プレゼントだカードだって、誕生日でもないのにとんちんかんなやつだ。それに俺はもう五十歳だ。誕生日など、ここ何年も祝ったことはない。祝ってほしいと思ったこともないし、俺自身誰かの誕生日を祝うこともない。

 それにしても、もう少し何か書けないのだろうか。こういうところ、美月と一緒だ。俺はただ、「誕生日おめでとう」としか書かれていないカードを何度も眺めた。

つづく
タイトル画像・デザイン / 山家由希


数年前の謂れのない誹謗中傷。苦い記憶とともに、加賀野は当時送られてきた智の写真に救われた自分を思い出し――。

第8回はこちら
作家・瀬尾まいこが描く不器用な父と息子の切なくて温かい物語。第8回『傑作はまだ』

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2018.12.27

第10回はこちら
『そして、バトンは渡された』がブランチBOOK大賞2018受賞! 作家・瀬尾まいこが描く不器用な父と息子の切なくて温かい物語。第10回『傑作はまだ』

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2019.01.03

瀬尾まいこ(せお・まいこ)

1974(昭和49)年、大阪府生れ。大谷女子大学国文科卒。2001(平成13)年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年単行本『卵の緒』で作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞を、2008年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞を受賞する。他の作品に『図書館の神様』『優しい音楽』『温室デイズ』『僕の明日を照らして』『おしまいのデート』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『春、戻る』『そして、バトンは渡された』など多数。

書籍情報

ブランチBOOK大賞2018受賞作!
『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこ(著)
文春e-Books

たくさんの〈親〉たちにリレーされて育った優子。数奇な運命をたどったけど全然不幸じゃなかった少女の物語。
私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった。これだけ状況が変化していれば、しんどい思いをしたこともある。新しい父親や母親に緊張したり、その家のルールに順応するのに混乱したり、せっかくなじんだ人と別れるのに切なくなったり。(本文より)
幼くして実の母親を亡くし、様々な事情で血の繋がらない〈親〉たちの間をリレーされ、四回も苗字が変わった優子だが、決して不幸だったわけではない! 〈親〉たちの愛を一身にうけて、〈親〉たちのことも愛して、いま十七歳の優子は幸せなのだ。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作!

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