瀬尾まいこの「傑作はまだ」  vol. 10

Story

『そして、バトンは渡された』がブランチBOOK大賞2018受賞! 作家・瀬尾まいこが描く不器用な父と息子の切なくて温かい物語。第10回『傑作はまだ』

『そして、バトンは渡された』がブランチBOOK大賞2018受賞! 作家・瀬尾まいこが描く不器用な父と息子の切なくて温かい物語。第10回『傑作はまだ』
あらすじ

引きこもりの小説家・加賀野<かがの>の元へ、生まれて以来一度も会ったことのなかった息子・智<とも>が突然訪ねてきた。

しばらく泊めてほしいと言う智の頼みで、二人は一緒に暮らすことに--。

息子のことは何も知らない。血がつながっている、ただそれだけの関係。ただそれだけのことがこんなにも俺の心をかき乱す。

『そして、バトンは渡された』など切なくてやさしい物語を送り出してきた作家・瀬尾まいこが、不器用な親子の不思議な同居生活を描くハートフルストーリー。

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瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

2018.12.02

バックナンバー

連載 瀬尾まいこの「傑作はまだ」

第10回

第二章

7

「おっさん、起きてよ!」

 日曜日の朝、寝室のドアを激しく叩いて、智が入ってきた。

「なんだ、どうした?」

 時計は八時を過ぎたところだ。泥棒でも入ったのかと俺は慌てて体を起こした。

「どうしたって、今日、秋祭りだろう?」

「秋祭り?」

 俺は首をかしげた。

「そう。三丁目子ども会の秋祭り。おっさんは古本もったいない市の係りだろう。準備しなくちゃ」

「えっと……。なんだろうそれは」

 聞きなれない言葉が寝起きの耳にいきなり入ってきて、俺は戸惑った。

「なんだろうそれはって、おっさん、回覧板読んでないの?」

「回覧板、ああ、なんか先週回ってきたな……」

 自治会に入ったせいで、この三週間足らずの間に二度ほど回覧板が回ってはきた。でも、老人会のお知らせや社会福祉協議会の活動報告など、俺には関係のないことばかりが書かれたプリントが何枚も挟んであるだけだったから、読みもせずに終わっていた。隣の家には智が持って行ってくれているようだし、それで済んでいると思っていた。

「そこに秋祭りの役割分担の説明があっただろう? 人数が足りないからご協力くださいって書いてあったから、おっさん、古本市の担当に名前入れといたんだ」

「はあ……古本市……」

「とにかく着替えて! 説明は小学校へ行く道中でするから。この地域はお年寄りが多いんだから、みんな開始時間より前にやってくるよ」

 智にせかされるままわけもわからず身支度を整え、俺は秋祭りに行くためにとぼとぼと歩く羽目になった。

「小学校ってこんなに遠いのか」

 家の前の緩い坂道を、北に向かう。その後、智に従い、何度か道を曲がりながら、坂の上のほうへと歩いていく。まだ九時前の日差しは冬の気配がわずかに含まれているせいか、ひんやりと冷たい。

「遠いのかって、おっさん、最寄りの小学校の場所も知らないの?」

「俺自身は違う地域の小学校だったし、場所は知ってはいてもこの年になって学校なんて行く機会もないだろう」

「選挙は?」

「へ?」

「選挙だよ。おっさんの家だと小学校の体育館が投票所だったんじゃないの?」

 智がさっさと足を進めながら聞くのに、俺は小さい声で「いや、選挙は行ってない」と答えた。

「行ってないって、うそだろう?」

 智は声を大きくしたが、選挙に行かない人間なんてやまほどいるはずだ。

「大事だと思うけど、俺が一票入れたところでさ」

「そういう人がいるからだめなんだよ。一億三千万人が同じように考えたらどうする? 選挙は権利であり義務だよ」

「君、意外と社会派なんだ」

 智が語るのに、今度は俺が目を丸くした。

「社会派っておおげさだな。フリーターだろうと、引きこもりだろうと、義務は果たすのが当然。あ、坂石さん、おはようございます」

 智が前を歩くおばあさんに声をかけた。七十過ぎくらいだろうか。白い髪を束ねた上品ないでたちの女性は、

「ああ、おはよう」

 と足を止めて頭を下げた。

「坂石さん、これ、古本市に持ってく本ですよね。僕、運びますね」

 智はおばあさんが持っていた紙袋に手を伸ばした。

「ああ、すまないわね。整理してたらいらない本がけっこうあって」

「ですよね。本って一度きりしか読まないものが多いですもんね。売るのも面倒だし捨てるのは気が引けるし」

「そう。古本市があって助かってるわ」

 おばあさんはそう言ってにこにこ笑った。

「じゃあ、僕たち準備もあるので少し先に行かせてもらいますね」

「ええどうぞ」

 俺は智にならっておばあさんの横を頭を下げながら通り過ぎてから、

「坂石さんって誰だ?」

 と小声で聞いた。

「おっさん、頼むよ。選挙権放棄の次は、一番身近なリーダーさえ知らないの? 坂石さんは五班の班長。ついでに言っておくと三丁目自治会は九つの班に分けられていて、おっさんは五班に所属してる」

「へえ……」

「へえって、おっさん、俺がいなくなったらどうやって生きていくんだよ」

 智にやれやれとため息をつかれ、「そうだな」とうなずきかけた俺は、首を横に振った。

 無理やり自治会に入れられたからうろたえているだけで、ここに引っ越してきてから二十年間、近所づきあいや地域の活動とは無縁だったが、だからといって困ることは何もなかった。

「そうそう。おっさん、どうせ回覧板読んでないだろうから、古本もったいない市係りの仕事内容、言っておくね。自治会の人がいらない本を持ってくるから、それを受け取って並べる。で、本が欲しい人は自由に持って帰っていいことになっているから、渡してあげる。お金は発生しないから簡単だろう? いつもと同じようにただ本の前にぼうっと立っていればいいだけだから。以上」

 小学校が見えてきて、智は簡潔に俺の役割を説明した。

「見張りって感じかな」

「本は無料で持って帰っていいわけだから、見張るっていうより、みんなが気持ちよく、好きな本を手にできるようにサポートするだけだよ」

 智はこともなげに言ったけれど、接客業をしたこともない俺に、そんなことができるだろうか。

「ちなみに俺はヨーヨー釣りの係り。もしこっちのほうがよかったら代わるけど?」

 智に聞かれて俺はきっぱりと首を横に振った。ヨーヨー釣りに群がるのはきっと子どもだ。あいつらを並ばせたり、ルールを説明したりするのなんてとても無理だ。

 智と話している間に小学校の校門が出てきた。石でできた門は重厚ではあるが、ずいぶん古い。日曜日のせいか校舎もしんとしていて、学校らしい賑やかさはない。

「今はこの辺りも高齢化が進んで全校生徒が二百に満たないんだって。使っていない教室も多いだろうから、なんか殺風景に見えちゃうよね」

「へえ……確かに少しさびれた感じはするな」

 グラウンドの遊具や校舎へつながる渡り廊下には、錆やひび割れが見える。それにしても、智が俺の家に来て一ヶ月も経っていない。小学校の場所に、班長の名前に、はては生徒数まで。どうやってそんなに情報を得ているのだろうか。

「君はこの地域のこと、よく知ってるんだな」

「三丁目はしゃべるのが好きな人、多いからね。ちょっと散歩すれば、みんないろいろ教えてくれるよ。っていうか、逆に、自分の家のすぐそばの小学校のこと、こんなにも知らずにいられるほうが不思議だよ。アイマスクして耳栓したとしても、そこまでシャットアウトできるかなあ。あ、あれが体育館だ」

 すでに人がいるのが見えて、俺は智と急いで体育館へと入った。入り口には「子ども会秋祭り」と手書きの看板が立てられ、土足で上がれるように体育館床にはシートが敷かれている。

 薄緑色のシートに暗幕。バスケットゴールに舞台横に掲げられた木彫りの校歌。どこでも同じようなつくりなんだなと、自分が通っていた小学校を思い出す。

「おっさんはそこで古本市の係りね。俺はあっちでヨーヨー釣りの準備してくる」

 懐かしさに体育館を見回していた俺に、智は坂石さんから預かった袋を押し付けると、周りの人に挨拶をしながら、体育館の中央へと歩いていった。

「さて……」

 俺はとりあえず段ボール箱がいくつか置かれているスペースにすごすごと移動した。体育館の入り口すぐの一角が古本市の場所のようで、カレンダーの裏を使った紙に、「ご自由に本を置いていってください」「ご自由に好きな本を持って行ってください」と書かれている。いらない本を段ボール箱に並べ、そこから持ち帰るシステムのようだ。すでに何人か本を持ってきたのだろう、段ボール箱の中には何冊か本が入っている。

 この箱の前で立っていればいいんだよな。それとも、「本をどうぞ」と声をかければいいのだろうか。まだ体育館の中は役員がほとんどで誰も古本市に見向きもしていない。俺が辺りをうかがいながら立っていると、

「すんません、遅くなって」

 と、髪の毛が真っ白ではあるけれど、しゃんと背筋が伸びた体格のいいおじいさんがやってきた。

「いえ、まあ……」

「えっと、あれだ、加賀野さんだよね。よろしく」

 おじいさんはそう頭を下げると、「よし」と体育館の隅に置かれている紙袋を運びだした。前日までに持ち込まれた本が置かれているようだ。

「ああ、そうか。これ、段ボール箱に移すんですね」

 ぼうっと立っている場合じゃないと、俺もおじいさんにならって袋の中の本を段ダンボール箱に移し始めた。

「ああ、助かる。あ、人に見てもらわないといけないから、背表紙見えるように立てて入れていってな」

「あ、そうか。そうですね」

 荷造りじゃないんだから、見やすいように並べるのが当然だ。基本的なことも考えつかない自分に、苦笑してしまう。

 おじいさんが手際よく紙袋から本を出していく、俺が慌てて段ダンボール箱に立てていく。これだけの作業でじんわり汗ばむのだから、相当の運動不足だ。

「若い人が来てくれると助かるよ」

 おじいさんは段ボール箱に本を並べ終えると、そう言って床に腰を下ろした。

「いや、僕は若くはないですが……」

 俺も段ボール箱の前に座る。体育館の床はひんやりと冷たい。

「周り見てみなさいな。この辺りはほとんど七十歳越えたじいさんとばあさんばかりだよ。こないだ防災訓練でこの体育館に集まったんだけど、試しに避難所作ってみたら半日以上かかった。年取ると体が鈍くなって」

 と、おじいさんは笑った。

「そうなんですね。えっと、おいくつなんですか」

「ああ、わしは七十八歳。自己紹介してなかったな。自治会の防災委員のリーダーやってる森川です」

「七十八歳?!」

 おじいさんが言うのに、俺は思わず声が大きくなった。

 がたいがいいせいか、きびきびした動きのせいか、六十歳そこそこだと思っていた。しかも八十歳前の人が防災委員のリーダーをしているだなんて。

「防災委員なんて、たいへんですね……」

「たいへんたいへん。年取ると声がかすれてくるから、訓練で指示を出してもみんな聞きづらいみたいで。ちなみに防犯委員のリーダーの山上さんはわしより年上。防犯パトロールで夕方何人かで地域回ってるんだけど、みんな年寄りだから徘徊してると間違われてしまいそうや」

 森川さんは陽気に笑った。

 防犯に防災。そんな委員が小さな地域にあることにも、委員の仕事をお年寄りの方が担っていることにも、驚かずにはいられなかった。

「なんだかすみません……」

 高齢の方にすべてを押し付けているようで、俺は小さく頭を下げた。

「若い人は、こういう場に顔を出してくれるだけで十分。若いうちは自分の仕事が忙しいだろうしね」

「いや、まあ、僕は若くもないですし、たいした仕事もしてなくて……」

 五十歳で、家でパソコンを打っているだけの仕事。若くもなければ仕事もたかが知れている。それに、自分が七十歳になった時に、地域のために動いている姿など、まるで想像できない。

「ははは。たいそうな仕事してるやつなんてそうそうおらんでしょう。防災訓練の時はお宅の智君が途中から来てくれたから、後片付け、ずいぶん助かった」

「智君?」

 お宅の智君が、俺の前に現れた智を指しているとわかるのに時間がかかった。

「そう。智君、場慣れしてたけど、防災関係の仕事してたことでもあるんかな?」

 智が現在、ローソンで笹野店長のもと働いていることは知っている。でも、以前何をしていたのか、どんな勉強をし、何を志していたのかは何一つ知らない。

「さあ……どうでしょう。よくわからないやつで……」

 息子のことを知らないのはおかしく思われるだろうか。俺があいまいに首をかしげると、

「謙遜して。よう働くええ息子さんやな。うらやましいわ」

 と、森川さんは褒めてくれた。

 体育館の中は、十時を前に人が増えてきた。入り口付近に古本もったいない市、その反対側に地域の人が育てた野菜を売るスペース。あとは、ヨーヨー釣り、スーパーボールすくい、輪投げなど、子ども向けのゲームがあるだけで、体育館は広々としている。

 智は何をしているのだろうか。ヨーヨー釣りのほうに目をやってみると、子どもたちの相手をしては楽しそうに笑っている姿が見えた。

「おいおい、並べよー。一列一列、順番抜かしはだめー。そうそう上手じゃん」

 智はにこやかに、でも、きっぱりと子どもたちに指示を出す。あいつ、仕切るのがうまいんだなあ。本当に俺とは正反対だ。遺伝子だけでは、共通点はもたらされないのだろうか。

 ぼんやり眺めていると、本を抱えたおじいさんに「おい」と声をかけられた。

つづく
タイトル画像・デザイン / 山家由希


よく働く息子だと智を褒められる加賀野だが、「父親」として上手く反応できず--。

第9回はこちら
『そして、バトンは渡された』がブランチBOOK大賞2018受賞! 作家・瀬尾まいこが描く不器用な父と息子の切なくて温かい物語。第9回『傑作はまだ』

『そして、バトンは渡された』がブランチBOOK大賞2018受賞! 作家・瀬尾まいこが描く不器用な父と息子の切なくて温かい物語。第9回『傑作はまだ』

2018.12.30

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作家・瀬尾まいこが描く、引きこもり作家の父と息子の切なくて温かい物語。第11回『傑作はまだ』

作家・瀬尾まいこが描く、引きこもり作家の父と息子の切なくて温かい物語。第11回『傑作はまだ』

2019.01.06

瀬尾まいこ(せお・まいこ)

1974(昭和49)年、大阪府生れ。大谷女子大学国文科卒。2001(平成13)年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年単行本『卵の緒』で作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞を、2008年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞を受賞する。他の作品に『図書館の神様』『優しい音楽』『温室デイズ』『僕の明日を照らして』『おしまいのデート』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『春、戻る』『そして、バトンは渡された』など多数。

書籍情報

ブランチBOOK大賞2018受賞作!
『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこ(著)
文春e-Books

たくさんの〈親〉たちにリレーされて育った優子。数奇な運命をたどったけど全然不幸じゃなかった少女の物語。
私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった。これだけ状況が変化していれば、しんどい思いをしたこともある。新しい父親や母親に緊張したり、その家のルールに順応するのに混乱したり、せっかくなじんだ人と別れるのに切なくなったり。(本文より)
幼くして実の母親を亡くし、様々な事情で血の繋がらない〈親〉たちの間をリレーされ、四回も苗字が変わった優子だが、決して不幸だったわけではない! 〈親〉たちの愛を一身にうけて、〈親〉たちのことも愛して、いま十七歳の優子は幸せなのだ。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作!

vol.9
vol.10
vol.11