瀬尾まいこの「傑作はまだ」  vol. 11

Story

作家・瀬尾まいこが描く、引きこもり作家の父と息子の切なくて温かい物語。第11回『傑作はまだ』

作家・瀬尾まいこが描く、引きこもり作家の父と息子の切なくて温かい物語。第11回『傑作はまだ』
あらすじ

引きこもりの小説家・加賀野<かがの>の元へ、生まれて以来一度も会ったことのなかった息子・智<とも>が突然訪ねてきた。

しばらく泊めてほしいと言う智の頼みで、二人は一緒に暮らすことに--。

息子のことは何も知らない。血がつながっている、ただそれだけの関係。ただそれだけのことがこんなにも俺の心をかき乱す。

『そして、バトンは渡された』など切なくてやさしい物語を送り出してきた作家・瀬尾まいこが、不器用な親子の不思議な同居生活を描くハートフルストーリー。

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瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

2018.12.02

バックナンバー

連載 瀬尾まいこの「傑作はまだ」

第11回

第二章

7

「えっと」

「これ、いらん本。持ってきたらいいって回覧板に書いてたけど、どうするんかな」

「あ、そうですね。えっと、段ボール箱の中に入れてください」

「は?」

「本を段ボール箱に……」

 何かおかしなことを言ってしまったのだろうか、怪訝そうなおじいさんにもう一度俺が説明しようとすると、

「は? 何だって?」

 と、おじいさんは大きな声で叫び、顔をしかめた。こんなに大声で訴えられたことはない。気に障ることでもしたのか、それとも見かけぬ顔の俺がここにいることに不信感をあらわにしているのだろうか。下手に対応したらますますおじいさんを怒らせてしまいそうだ。どうしたらいいのだろうと、俺がおろおろとしていると、

「保じいさんは耳遠いから、もっと大きな声出してやらんと。保さん、本、置いといてくれたらいいからね。で、欲しい本あったら、好きなの持って帰って」

 と、隣でおばあさんと話していた森川さんが助け舟を出してくれた。

「ああ、はいはい」

 おじいさんは森川さんの言葉に納得したようで、「よいしょ」と本を段ボール箱の中へ丁寧に置いていった。

「加賀野さん、声、小さいからなあ。わしのガラガラ声も聞き取りにくいだろうけど」

「すみません」

 俺が謝ると、

「喉の具合でも悪いの?」

 と、森川さんは心配そうな顔を見せてくれた。

「いえ、そうじゃないんですけど」

 喉も体の調子も悪くはない。普段、人と話をすることがめったにないせいだ。編集者との打ち合わせもレストランや喫茶店で行われることがほとんどで、声を張ることもない。それだって数ヶ月に一度のことだ。人と会話をすることがなくなると、話題が乏しくなりはしないかと危惧していたが、適切な音量すらわからないとは、それ以前の問題だ。俺は肩を落としながら、

「体はいたって健康です……ただ、普段、人と話すことがない仕事をしていて」

 と正直に言った。

「へえ、仕事何してるの?」

 森川さんに聞かれ、俺は「まあその、小説を書いています……」と答えた。小説家なんて資格もなければ、会社にも属していない。自分で勝手に名乗っているようで、肩身が狭い。

「おお、すごいじゃないか」

「いや……まあ」

 小説家は珍しいかもしれないが、すごい仕事ではない。驚かれると、ますます居心地が悪くなる。

「どんな話書いてるの? 時代小説? なんだ、サスペンスみたいなの?」

「なんというか、基本的なことを」

「基本的なこと?」

「人は何のために生きているのかというようなことを書いてます」

 俺の言葉に、森川さんは「どえらいこと書いてるんだな」と豪快に笑った。

 生きるとは何か。人間とは何か。自分とは何か。書き方や話の内容は違っても、小説の根底に流れるのはそういうことではないのだろうか。

「何のために生きるのかなんて、よっぽど時間に余裕がある人間しか考えないよなあ。そもそもそんな話、おもしろいの?」

「いや……」

「あ、すまんすまん。失礼だったな。年取ると無神経になっていかんよな。まあ、そのうち体が温まってきたら、いい声も出るよ」

 森川さんはそう言って俺の肩を叩いた。

 その後は、森川さんの話を聞きながら、人が持ってきた本を並べたり、足を止めた人に本を持って帰るよう声をかけたりしているうちに、二時間ほどが過ぎた。

 持ち込まれた本は辞書やガイドブックや古典に最近の文庫本まで、多岐にわたる。その反面、手にしてもらえるのは、料理本やエッセイ、恋愛ものや推理ものなど、読みやすい本ばかりだ。

「年取ったら難しい本読まなくなるなあ」

「そうそう。登場人物が多いと誰が誰か忘れるんだよ」

 おじいさんたちはそう言って、薄い本や楽しげな表紙の本を持って行く。

「空いた時間にちゃちゃっと読めるものじゃないとね」

「わざわざ重い話を自分の時間に読むの、もったいないじゃない」

 おばさんたちはそう言って、タイトルからして陽気な本を持って行く。

 無料だとしても、暗い長い話は避けられてしまうのだろうか。

「残った本はどうするんですか?」

「廃品回収に出して、子ども会の活動費にするんだ」

 森川さんはそう答えた。

 残された本は、ほとんど黒や紺や灰色の暗い背表紙。俺の作風とよく似ていると評されている作家の小説も何冊かある。きっと俺の本がここにまぎれていたとしても同じ。誰も手に取ることはないだろう。俺なんかに人生や人間の真実を語られなくても、ここにいるおじいさんやおばあさんはすでに知っている。

「そろそろ終了かな」

 十二時前になると、人もまばらになってきた。体育館の出店は午前中で終わり、この後は子どもたちが神輿をかついで三丁目を練り歩くそうだ。

「えっと、片付けですね」

「そうそう。体育館を元どおりにするんだ」

 森川さんはそう言うと、段ボール箱を体育館の隅にのけ始めた。

 俺も何かしなくては。だけど、俺が段ボール箱を運ぼうとする前に森川さんが動いてしまう。それなら他のことをと、周りを見ていると、「ごめんよー。シート片付けるな」と別のおじいさんが俺の足元のシートをくるくる巻き始めた。そっか。このシートは巻いて倉庫にしまうんだな。みんなの動きに続こうとしても、すでに誰かが片付けかけていて、手つかずのシートはない。おじいさんやおばあさんが大半なのに、みんなしゃべりながらも動きが速く、ぼんやり立っているのは俺くらいだ。えっとじゃあ何をしよう……。五十歳にもなって、こういう時どう動くのがいいのか見当がつかず、何をすべきか見つけられない。自分で自分が情けなくなる。

「ほら、これ。シートがのけられたらモップかけるからさ」

 俺がきょろきょろしていると、智が大きなモップを持ってきた。

「ああ、そうなんだ。みんな片付けに慣れてるんだな」

「だいたい雰囲気でどうすればいいかわかるだろう」

 智は肩をすくめて笑った。

「そうなのか……」

「おっさん見てると、外界との断絶を図ることが生む弊害がよくわかるよ」

「俺は別に断絶なんかしてないし、時々外にも行くし、たまに……」

 俺が言い訳している横で、智はどこかのおばさんに声をかけられ、そのまま話が盛り上がりだした。周りを見ると、みんな作業をしながらも、楽しそうにおしゃべりをしている。笑い声や陽気な声は体育館によく響く。

 二十年も住んでいる地域なのに、ここにいる人の顔を俺は知らない。一人で仕事をして一人で生活をしている。その暮らしが寂しいと思ったこともなければ、孤独を感じたことも一度もない。ただ、こういう場で誰に声をかけられることもなく、話をする相手もなく一人立っていると、自分が取り残された心地がする。自分の住んでいる町の人が、誰も俺と話そうとしない事実を思い知ったようで、どこか落ち着かなくなる。

 まあいい。地域活動を熱心にやろうというわけでもないし、一人で仕事をするということはこれからも変わらない。心が波立つのは、この一時のことだ。今は体育館をきれいにすればいい。俺は黙々とモップを動かした。

 床を拭き終え、モップを片付けようと、倉庫前でけたたましく話しているおばさんたちの後ろに並んでいると、

「あ、加賀野さん、わし、神輿の交通整理の担当あるから、先に帰らしてもらうな。お疲れさん」

 と、森川さんが入り口付近で俺に手を振るのが見えた。しわがれた低い声は、耳の奥まで響いた。

つづく
タイトル画像・デザイン / 山家由希


誰とも関わらず、一人で生きてきた加賀野。けれど、秋祭りへの参加で何かが変わり始めて--。

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『そして、バトンは渡された』がブランチBOOK大賞2018受賞! 作家・瀬尾まいこが描く不器用な父と息子の切なくて温かい物語。第10回『傑作はまだ』

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2019.01.03

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「それおもしろくなりますかね」編集者は言った。瀬尾まいこ『傑作はまだ』第12回

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2019.01.10

瀬尾まいこ(せお・まいこ)

1974(昭和49)年、大阪府生れ。大谷女子大学国文科卒。2001(平成13)年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年単行本『卵の緒』で作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞を、2008年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞を受賞する。他の作品に『図書館の神様』『優しい音楽』『温室デイズ』『僕の明日を照らして』『おしまいのデート』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『春、戻る』『そして、バトンは渡された』など多数。

書籍情報

ブランチBOOK大賞2018受賞作!
『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこ(著)
文春e-Books

たくさんの〈親〉たちにリレーされて育った優子。数奇な運命をたどったけど全然不幸じゃなかった少女の物語。
私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった。これだけ状況が変化していれば、しんどい思いをしたこともある。新しい父親や母親に緊張したり、その家のルールに順応するのに混乱したり、せっかくなじんだ人と別れるのに切なくなったり。(本文より)
幼くして実の母親を亡くし、様々な事情で血の繋がらない〈親〉たちの間をリレーされ、四回も苗字が変わった優子だが、決して不幸だったわけではない! 〈親〉たちの愛を一身にうけて、〈親〉たちのことも愛して、いま十七歳の優子は幸せなのだ。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作!

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