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子どもになにを残す? 34歳で余命宣告。カメラマン・幡野広志が出した「答え」。『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』

子どもになにを残す? 34歳で余命宣告。カメラマン・幡野広志が出した「答え」。『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』

「息子が成長していくうえでの、地図のような、コンパスのようなもの」を残してあげたい――。

読むのに、少なからず覚悟の要る本だ。

『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』タイトルだけ見れば、自ら親になった経験のある人なら「うんうん、最初は誰もが思う理想だよね。だけど、なかなかそんなキレイごとだけではうまく行かないのが“親業”ってものじゃない?」なんて思うかもしれない。

しかし、著者のプロフィールを知ると、この本に対する印象は変わってくる。著者の幡野広志さんは、34歳の時に多発性骨髄腫というガンを発症。余命3年という宣告を受ける。「息子が成長していくうえでの、地図のような、コンパスのようなもの」を残してあげたい――。この本に綴られるのは、現在2歳の息子に残していく、父親としての教えなのである。

幡野さんのめざす「子どものころ、ほしかった親」は、ただ優しく子どもを甘やかすような存在ではない。さまざまな人生経験を積んだ大人だからこそわかる「生きていく上で必要な力」を、幼い頃から養えるよう腐心しているのだ。しかも、それらの教えは、大人としての一般的な人生経験だけでなく、過酷な病気の経験にも基づいているもの。読者である大人の我々にも、深く突き刺さってくる。

たとえば、幡野さんは、スーパーでお菓子を買う時、ファミレスでメニューを決める時、子ども自身が選ぶのを辛抱強く待った上、「これにしなさい」と親としての意見を押し付けることはないという。5歳の娘を持つ私は、この部分を読んで正直、「そうは言っても時間がない場合もあるし、もし承諾できないような商品を選んできたら『これはダメ』と言い聞かせるなど、ある程度の方向性を決めてあげるのも、親としての役割ではないか」と思った。

しかし、この後に続く幡野さんの「なぜ、そうするのか?」という部分には、親として心底ハッとさせられた。「『限られた時間のなかで、予算にあった程よいものを的確に選ぶ』というのは大人の合理性だ。(中略)大人の合理性から自由でいられる、わずか数年のわが子の幼児期につきあうというのも、愛情ではないだろうか」。そうか、ひょっとして私は、たった数年の“我が子の自由”を、親であることを盾に奪ってしまっていたのか? と。

自分はどう生きたいか、子どもをどんな人に育てたいのか――幡野さんが命懸けで出した「答え」。

著者が「余命」という限られた時間を生きているからだろうか。本書に書かれる教えには、「時間」と関わりがあるものが多いことに気づく。いわく、誰とでも仲良くする必要はない、嫌な人からは徹底的に逃げろ。余命が限られているのに、嫌な人と会っている時間はない。いわく、いくら好きなことでも、仕事に自分のすべてを注ぎ込むのはやめたほうがよい。時間も健康も、限られた資産なのだから。いわく、「若いうちの苦労は買ってでもしろ」は嘘。苦労という負債など背負わずに、やりたいことはやれるうちにやったほうがよい――。

自らの経験をもとに、息子に、どんな人になって欲しいかを徹底的に考え抜いた上で紡がれる教えの数々。中には、子どもに教えるには、どぎつく思えるような、学校では絶対に教わらないだろう内容のものもある。

しかし、「余命を生きる」という状況で書かれたこれらの言葉は、私たちがいかに普段「合理性」や「効率」に縛られているか、さらには、自分の子育てが「子どもをこう育てたい」という願いよりも、「こうあるべき」という固定観念や、「(周りから)こう見られたい」という見栄のようなものに基づいてしまっていることを気づかせてくれる。

自分はどう生きたいか、子どもをどんな人に育てたいのか――幡野さんが命懸けで出した「答え」を知ることができると同時に、「じゃあ、あなたは子どもに何を伝え、残すのか?」と読者にも問いを投げかけられる作品だ。

文 / 中田千秋

書籍情報

『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』

幡野広志(著)
PHP研究所

限られた未来を父は息子のかぎりないいのちにつなぐ――谷川俊太郎氏推薦 ガン(多発性骨髄腫)で余命宣告を受けた35歳の父が、2歳の息子に伝えたい大切なこと。 ●1.優しさについて、ぼくが息子に伝えたいこと ●2.孤独と友だちについて、息子に学んでほしいこと ●3.夢と仕事とお金について、息子に教えておきたいこと ●4.生と死について、いつか息子と話したいこと 写真家、元猟師の著者・幡野広志が、父として男として息子に伝えたい言葉は、多くの人の心に刺さる真実の言葉である。