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毒母育ちの著者が妊娠出産! その子育ては?『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』田房永子

毒母育ちの著者が妊娠出産! その子育ては?『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』田房永子

人は、自分が育てられたように育児をしてしまうもの?

産前産後の性欲、赤ちゃんの女性器の呼び方、母乳育児への疑問……さらには子どもを出産した途端に、女性が皆、個性のない「母親」というカテゴリーに押し込められることへの窮屈さなどを赤裸々に描き、多くの共感を得た超話題作『ママだって、人間』から4年。

「そういえば、あの赤ちゃんだったNちゃんは、今ごろどのように過ごしているのだろう……」と気になっていたところへ、続編とも言える『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』が登場! 4歳になったNちゃんは、ピンクと美少女アニメが大好きな、立派な“女児”に成長していた−−!!

本書は、子どもの頃から“毒親(毒母)”である母親の過干渉に悩まされてきた著者が、「お母さんみたいな母親にならないためには、どうしたらいい?」と悩み、もがきながらも懸命に育児をする日々が、これまた赤裸々に描かれている。

人は、意識しようがしまいが、自分が育てられたように育児をしてしまうように思う。もちろん、著者のように、反面教師的に「母親のようにはなるまい!」と決意している人もいるだろう。でも、育児中のさまざまなシーンで、「自分の母親からの影響」をふと感じてしまうのである。子どもを叱った後、「あ、私もこんなふうに叱られたことがあったな…」とか。子どもの習い事のチョイスも、自分がやっていたものを何となくやらせてみたり。

そして、その連鎖の結果は、目の前の子どもの言動に如実に現れる。「ハァ?」「◯◯って言ったでしょ!」「『なんで?』はない!」……私の娘(5歳)の口から出た腹の立つ受け答えだが、よく考えたらこれ全部、母親である私がよく言ってるセリフである(恥)。

同性だと、その影響はさらに顕著なものになるから、著者が妊娠前に抱いていた「女の子と一対一になるのは怖い」という気持ちも今ならよくわかる。ただし、本書にも書かれているが、親子という密着した存在である以上、似てしまうのは仕方がないこと。似せないようにするのは不自然でもある。

©田房永子/河出書房新社

©田房永子/河出書房新社

©田房永子/河出書房新社

この世界に存在していたA面とB面。
育児をしていると時に感じるもろもろの悩みの正体はコレだった!

赤ちゃん時代、娘にピンク色の服を着せることに抵抗があった著者。しかし、夫の「じゃあ、(Nちゃんが)ピンクが着たいって言ったらどうするの?」という一言で、自身の過去のトラウマを思い出す。母の趣味に合わないものは徹底的に否定されてショックを受け、おしゃれができなくなってしまった少女時代の自分……。

だから「(ピンクが)着たいと言われたら着せる!」と宣言するが、今度はそれが、「自分の親のようにならないように」と気合が入り過ぎた状態なのではないかと悩んでしまう。

「子どもの好きなものを着せる」派か、「(母である)私はこれを着せたい」派に何となく分かれる(しかも、母親本人はそこまで深く考えていない)“子どもの服装事情”で、ここまで思い詰めるとは……計り知れない毒母の影響力を感じるエピソードだ。

迷った結果、著者は「大切なのは、娘の“ありのまま”を受け入れること」と悟る。しかし、娘に自我が芽生えてくると、今度は、「社会で良しとされていること=A面の世界」と、「娘のありのままを受け入れること=B面の世界」の間で葛藤するようになる。

このA面/B面のフレームは、毒親育ちでなくても、親になった人なら目からウロコが100枚ぐらい落ちるはず。育児をしていると時に感じる息苦しさや違和感、そして、理不尽な肩身の狭さなど、もろもろの悩みの正体はコレだった!と言っても良いぐらいの、大きな発見と言えると思う。

子を思う親として、このA面/B面問題とどう折り合いをつけるべきか−−悩んだ末に著者がたどり着いた「私の子育て」。子育て世代への心強いエールになること間違いない。

文 / 中田千秋

『お母さんみたいな母親にはなりたくないのに』

田房永子(著)
河出書房新社

実母との関係に悩む女性が、「女の子のママ」になったら一体どうなる!?『母がしんどい』『ママだって、人間』の田房永子が今度は自分が母として、娘との日々を描くコミックエッセイ!