【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 106

Column

CHAGE&ASKA 自らに暗示をかけるかのように越えてった、アーティスト人生の『TURNING POINT』

CHAGE&ASKA 自らに暗示をかけるかのように越えてった、アーティスト人生の『TURNING POINT』

85年から86年にかけてのCHAGE&ASKAは、転機を迎える。デビュー以来所属していたワーナー・パイオニアから、キャニオンレコード(現ポニーキャニオン)へ移籍する。85年10月のことである。一般的に、アーティストの移籍はスイスイ進むわけじゃない。彼らの場合も色々あっただろう。でも、大きな要因はアーティストとレコ−ド会社の「方向性の違い」からである。

とはいえ二人の回想によると、移籍は実に紳士的に行われたらしい。CHAGE&ASKA側は、まだワーナーと契約がある間は、移籍先を探すことはしなかったというが、稀なケースだろう。条件がいいところが見つかったからこそ、アーティストは移籍を考えるのだろうし…。結果、彼らはどこのレコード会社にも属さぬ状態で、少しの期間だが、ライブをやっていたことになる。

様々なオファーがあるなか、キャニオンから『Standing Ovation』というベスト・アルバムをリリースする。通常、こういう時は古巣からベストが出るものだが、移籍先からというのは異例だ。不思議な話だなと思ったが、「ヤマハの契約が独特だったんだよね。(中略) それが出来ない契約を結んでいたんだから」(ASKAの発言 『月刊カドカワ』92年6月号より)というのが、事の真相である。

『Standing Ovation』のジャケ写で、CHAGEは(その後、トレードマークとなる)サングラスを着用している(でも、ここでの彼は、秘密エージェントの人間みたいなクールな感じである)。こうしたルックスのチェンジは、移籍とともに始めたことだ。スタイリストやメイクのプロがついたのは、実はこの頃からだったのである。それまでは、テレビ出演の時の衣装の調達や、髪を整えたりというのも、すべて自分達でやっていたのである。

このベストは、代表曲・ヒット曲はもちろん、本人達のこだわりも詰まった選曲なのが貴重だ。しかし、もちろん勝負となるのは、移籍第一弾となる新曲である。それは86年の2月にリリースされる。タイトルは「モーニングムーン」。

この曲を、初めてラジオで耳にした時のことはよく覚えている。久しぶりに「わ、チャゲアスだ」と思ったのを覚えている。歌詞のなかの[夜にはぐれて]という表現も印象的だった。別に彼らはこの2、3年、シュンとしてたわけじゃなく、次のステップへ向け旺盛な創作意欲を発揮していた。では、なぜ僕は久しぶりにそう思ったのだろうか? 

簡単に言うなら、久しぶりに“ダブル”な感じがしたからだ。ここでいう“ダブル”とは、この二人ならではの感覚である。両者の声が化合して嵩を減らしひとつになるというより、混合したまま弾き合い、そのまま声の容積が倍になる感覚のことだ。それがパキッと、特にサビの部分で、輪郭鮮やかに届いてきたののが「モーニングムーン」だったのだ。

ここで、時計の針をちょっとだけ戻す。86年に入るとすぐに、彼らはNEW YEAR EVENT『ONE NIGHT MAGIC』を1月2日から東京、福岡、大阪で開催している。その武道館のステ−ジで、ASKAは今年の抱負として、ベスト・テンに入るような作品を3曲はリリースしたい旨を観客に伝えている。大衆に届く作品とは何か? その極意に近づきつつあったからこそ、こんな発言をしたのだろう。同時にそれは、自分達や周囲を、いい意味で“暗示にかける”ことでもあったのだろう。

そもそも、4月にリリースされたニュー・アルバムのタイトルがそうだった。『TURNING POINT』だ。こういうことは、“確かにあの時がターニング・ポイントだったよね」”と、振り返って語るべきことだ。それを宣言するようにタイトルに選ぶというのは、つまり、これも“暗示”なのだと思う。

内容的には、引き続きバラエティに富んだ、才気溢れるものだったが、環境が変わり、よりタイトなリズム感覚を携えたものへ変化していた。ポップ・ミュージックで一番大切なのは、時代に即したリズム感である。言葉を変えるなら、その時、街に溢れる人々の営みのリズムを、いかにキャッチするのか、でもあった。「モーニングムーン」にはそれがあったし、このアルバム全体に、その肌触りが感じられた。

さらにこの夏、「Summer Explosion Series」と題して、大規模野外ライブを敢行する。なかでも無謀と言われた(この二人、たびたび“無謀”なことを繰り返す(笑))のが、横浜スタジアムに3万人を集めてのライブだった。電源トラブルやASKAが酸欠状態になったとか、武勇伝として語られることが多いステージなのだが、残された映像(『ONESIDE GAME IN YOKOHAMA STADIUM』)を観ると、それより重要なことが、ここでは展開されている。

それは、プロのエンターテインメントの“ロック・ショー”が行われたということだ。彼らのいでたちからしてそうだ。スタイリストやヘアメイクがついたのはこの時期からだと書いたが、二人は完全に、非日常の“ステージ衣装”をまとっている。CHAGEの衣装は森の妖精のようでもあるし、ASKAは派手な混色のジャケットの下にシルバーのシャツを着てる。

それまでは、どちらかというと“柴田&宮崎”の“ありのまま”ゆえのリアリティも加味された印象だったし、二人の個人的な部分というよりステージのコンセプトといった、大枠での観せ方が勝っていた部分もあった。しかしここからの二人は、仰ぎ見る憧れる“スター”なのだった。

時代を感じさせるのは、CHAGEが80年代を席巻したギター・メイカー、スタインバーガーのヘッドレスを演奏していることである。(いつから使い始めたのかまで僕は把握してないが)こうしたギターを携えて、よりアクティヴなステージングを目指している。ASKAがベーシストのマネをして“エア・ベース”を“弾いてる”シーンもある。なんてことないようでいて、これは彼の音楽全般への興味の広がりの現われでもある。「声を聞かせて」が、より観客との濃密なコミュニケーション・ツールとして、あれだけの空間でも見事に機能しているのは感動的である。

ASKAの公言通り、この年にリリースしたシングルのなかの「モーニングムーン」、「黄昏を待たずに」、「指環が泣いた」は、どれもスマッシュ・ヒットを記録した。しかし、チャートのベスト・テンとまでは行かなかった。

「黄昏を待たずに」は、のちにASKAが『Black&White』の先行予約特典CDでセルフ・カバーしているが、改めて聴いても、色褪せないPOP性を保っている。「当時、もっとヒットしてもおかしくないのになぁ」と、そう呟きたくもなる楽曲だ。この曲の発売当時のPVがYouTubeで見られるようだが、スタッフの力の入れようが分かるのだ(でもこの路上でのロケ、今だったら不可能だろうなぁ、きっと)。

文 / 小貫信昭

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