瀬尾まいこの「傑作はまだ」  vol. 12

Story

「それおもしろくなりますかね」編集者は言った。瀬尾まいこ『傑作はまだ』第12回

「それおもしろくなりますかね」編集者は言った。瀬尾まいこ『傑作はまだ』第12回
あらすじ

引きこもりの小説家・加賀野<かがの>の元へ、生まれて以来一度も会ったことのなかった息子・智<とも>が突然訪ねてきた。

しばらく泊めてほしいと言う智の頼みで、二人は一緒に暮らすことに--。

息子のことは何も知らない。血がつながっている、ただそれだけの関係。ただそれだけのことがこんなにも俺の心をかき乱す。

『そして、バトンは渡された』など切なくてやさしい物語を送り出してきた作家・瀬尾まいこが、不器用な親子の不思議な同居生活を描くハートフルストーリー。

第1回はこちら
瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

2018.12.02

バックナンバー

連載 瀬尾まいこの「傑作はまだ」

第12回

第二章

8

 十月最後の月曜日。秋も半ばになると、一日が過ぎるのが早くなるように感じる。今日は編集者との打ち合わせだ。昼過ぎに着替えて玄関に向かうと、

「どうしたの?」

 と、リビングでテレビを見ていた智が、俺の後ろを付いてきた。

「どうしたって何がだ」

「何がって、洋服着てるじゃん」

「いつも着ているだろう」

 普段は家にいるからラフな格好をしている。それに、小説を書く時に身近に柄があると集中できないから、黒や灰色の無地の服が多い。だからといって、別にパジャマでいるわけでもだらしない格好というわけでもない。今日は人と会うから少しこぎれいにしているだけだ。

「人並みにしゃんとしてるからさ。どこか行くの?」

 そういう智は長袖のTシャツにスウェット生地のパンツを穿いている。寝巻のような服装なのに、周りに不快感を与えないのは若い人間の特権かもしれない。

「新しく担当になった編集者と次の作品の打ち合わせで、駅前の喫茶店で会うことになっている」

「なるほど。作家って、そういう仕事もあるんだね。ただじっと引きこもってパソコン打ってるだけってわけにもいかないのか」

 智に「仕事たいへんだね。まあ、がんばって」と励まされ、どことなく居心地が悪くなって、俺は頭をかいた。

「あ、ああ。えっと、君は? 今日もローソン?」

「今日は休み。どうしたの? 突然息子に興味持っちゃって」

「いや、ただ聞いただけだけど」

「まあ、そうだろうね。じゃあ、気をつけて。いってらっしゃい」

 智は玄関口でそう言って手を振った。

 誰かに見送られたことなど、子どものころ以来だ。実家を出てから一人で暮らしてきたから、「いってきます」や「ただいま」は三十年以上発していない言葉になる。

「いってきます」と言おうかと思ったが、言い慣れない言葉のせいか、うまく口にできず、俺は「ああ。じゃあ」とだけ言って家を出た。

 

 駅前の喫茶店に入ると、二十代後半くらいの男が俺を見つけてすぐさま「加賀野さん」と奥の席から声をかけてきた。

「片原と言います。やっと加賀野さんの担当になれました。僕、加賀野さんの作品は全部読んでいるし、暗記している言葉もたくさんあるくらいなんですよ。僕は主人公だけでなく、加賀野さんの作品の登場人物みんな好きなんですよね。どれも人間らしくて」

 片原と名乗った編集者は俺が席に着くや否や、目を輝かせてそう語った。

「今の連載が終われば、うちの社で書いていただけるんですよね? 次の作品、どうしましょう。ああ、加賀野さんと本を作れるなんてわくわくする」

 そう言って、挨拶もそこそこにメモを取り出した編集者に、俺の心はどことなく弾み始めた。最近はどの出版社も長く付き合いのある編集者ばかりで、新しい人間と会うことはなかった。それが、こんなに楽しみにしてくれる人と作品を作れるのだ。どうしよう、何を書こうかと、久しぶりに心の隅が奮い立つ気がした。

「今、書きたいものありますか? 気になってることとか」

 片原は俺の分もコーヒーを注文すると、さっそく本題に入った。

「そうだな、どうだろう」

「今までにない感じがいいですよね。攻めた作品にしましょうよ」

「ああ」

「加賀野さんの作品の主人公、最近は三十代四十代が多いから次は学生とかどうでしょう?」

「ああ、そうだな」

「加賀野さん、今の若者の言動とか見ててどう思います? 若者が主人公だったらどんな話できそうですか?」

 片原に次々と投げかけられ、俺も頭の中に浮かべてみた。

「若者……バイトをしてる青年とか……」

「いいですね。フリーター。どこか刹那的で投げやりな生き方をしてて」

「ああ。その青年がバイト先の年老いた店長と……、なんというか、仲を深めていくとか」

 笹野さんと智みたいな組み合わせは、おもしろいんじゃないだろうか。ああいう二人なら、ごく普段の日常を描くだけでも、物語になりそうだ。

「仲を深めていく?」

「誕生日を祝ったり、どこか出かけたり、仕事仲間の枠を少しずつ越えていくというか」

「はあ……」

 片原はさっきまでの勢いをなくして困った表情を浮かべた。

「生活環境も年代も違う人間同士が、仕事という括りで一緒になって、距離を縮めていく過程は興味深いと思ったんだけど」

 俺が説明を加えると、片原はますます眉を寄せた。

「で、どうなるんでしょう? 店長が青年の不注意で亡くなるとか、経営が破たんするとか?」

「いや……。そういう大きなことは起こらなくて」

「どうかな。今までの加賀野さんの作風と違い過ぎませんか? 僕はまだ新人なのでよくわからない部分もあるんですが、率直に言わせてもらうと、それおもしろくなりますかね」

 遠慮がちにそれでもはっきりと彼は言った。どうやらあまりいい思い付きではなかったようだ。

「ほか、ないですか? もっと身近な題材で」

「身近……。それなら、地域の活動に焦点を当てるとか、どうだろう。大掛かりじゃない祭りとか」

「嫌だな。加賀野さん」

 片原は小さく笑った。

「それ、題材聞いただけで薄っぺらい感じがしますよ。心温まる交流とか、みんなで集まって何かを成し遂げるとか。いかにも安っぽい」

「そう、だよな」

「それより、もっと加賀野さんらしい、加賀野さんの本当に書きたいことで行きましょう」

「俺らしい話か」

「そうですよ。読者に迎合するのはやめましょう。無理に温かい小説に持って行く必要ないですよ。人間って醜いものでしょう? そういうものから目を背けず現実を書くのが小説の役割でもあるって僕は思うんですよね」

 片原はそう言うと、運ばれてきたコーヒーに口をつけた。

「生きるとは何か。そこ掘り下げていったら、闇に触れずにはいられないですから」

「そうなのかな」

 俺もコーヒーを飲もうとして、牛乳が入っていないことに気づいた。ブラックでは飲めないし、フレッシュは好きじゃない。しかたなく水を口に入れると、

「最近の若者の特徴をネットで調べてきたんですけど」

 と、片原が何枚かのプリントをテーブルの上に出してきた。

「今の若い人間って、人に認められたい欲求やつながりたい思いは強いけど、リアルな対人関係を結ぼうとはしないみたいですね。あと、我慢することも苦手らしいですよ」

「はあ……」

 ホームページをいくつか印刷したものだろう。プリントには若者についての分析が書かれている。

「今の若者ってマニュアルどおりのことしかできないんですよね。そこから外れた時、若者が何に気づくのか。自分の無能さを思い知った若者はどう行動するのか。そこ書いていくのって意味があることだと思うんですけど」

 まだ二十代であろう片原が若者について語るのを、俺はぼんやりと聞いていた。最近の若者って、彼はいったい誰のことを指して言っているのだろうか。このプリントにたいそうに書かれている結果は、どこの誰を分析してまとめられたものなのだろう。「積極性がない」「打たれ弱い」「自信がない」。並べられたプリントに書かれた特徴。さしあたって、俺が知っている唯一の若者、智はどれにも当てはまっていない。こんなデータをいくら読んでも、誰のこともわかるわけがない。

「評論や分析をたくさん読むより、一分でいいから人と話せって、確か笹野幾太郎さんが言ってたな」

 俺がぼそりと言うのに、片原は大きくうなずいた。

「ですよね。大学生かフリーター、そういう人間にインタビューする機会設けますね。彼らの闇、掘り下げていきましょう」

「いや、いい、いい」

「どうしてですか? 今の若い人間、自分についてしゃべりたがってるやつ多いから、いくらでも取材対象は見つけられますよ」

「いいんだ。そう、若い人間は、身近にいる」

 見ず知らずの若者と話すなんてとんでもない。しかも、他人の闇になど触れたくもない。俺は即座に断った。

「そうなんですか。じゃあ、とりあえず新作はこの方向で行きましょう。苦悩を抱えてる若者は多いから、共感してもらえるはずですよ。新しい読者の獲得につながりそうですね」

 方向性が決まり、片原は満足げに微笑んだ。

「ああ、そうかな」

 残念ながら、次の小説の装丁も黒か灰色。また暗い色になりそうだ。

つづく
タイトル画像・デザイン / 山家由希


加賀野が唯一知っている“最近の若者”は編集者が持ってきた資料のどれにも当てはまらない。

第11回はこちら
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瀬尾まいこ(せお・まいこ)

1974(昭和49)年、大阪府生れ。大谷女子大学国文科卒。2001(平成13)年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年単行本『卵の緒』で作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞を、2008年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞を受賞する。他の作品に『図書館の神様』『優しい音楽』『温室デイズ』『僕の明日を照らして』『おしまいのデート』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『春、戻る』『そして、バトンは渡された』など多数。

書籍情報

ブランチBOOK大賞2018受賞作!
『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこ(著)
文春e-Books

たくさんの〈親〉たちにリレーされて育った優子。数奇な運命をたどったけど全然不幸じゃなかった少女の物語。
私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった。これだけ状況が変化していれば、しんどい思いをしたこともある。新しい父親や母親に緊張したり、その家のルールに順応するのに混乱したり、せっかくなじんだ人と別れるのに切なくなったり。(本文より)
幼くして実の母親を亡くし、様々な事情で血の繋がらない〈親〉たちの間をリレーされ、四回も苗字が変わった優子だが、決して不幸だったわけではない! 〈親〉たちの愛を一身にうけて、〈親〉たちのことも愛して、いま十七歳の優子は幸せなのだ。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作!

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