【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 107

Column

旺盛な創作意欲でリリースを続けた86年のCHAGE&ASKA

旺盛な創作意欲でリリースを続けた86年のCHAGE&ASKA

86年9月にリリースされた『MIX BLOOD』は、前作からわずか5か月後という、短いインターバルとなった。十代のファンも多いアーティストの場合、アルバムを立て続けに出すとなると、ファンのお小遣い事情も気になるところだが、この時代の二人は、「表現者としての矜持を持つ」ことを優先したのだろう。

86年といえば、他にも「モーニングムーン」「黄昏を待たずに」「Count Down」「指環が泣いた」と、シングルを4枚リリースしている。テレビ出演が主体で、季節毎に曲も“衣替え”するアイドル歌手と同じペースである。なぜ、彼らはこれほど多作になったのか。ASKAの発言を引用しよう。

音楽に対してこんなにバイタリティーを持ってるんだぞってことを表に出そうよ。ユーミンはずっと半年ごとにアルバムを出している。僕らはふたりいて、1年に1枚じゃ少ない。こんな年もあっていいんじゃないかということで、86年はたくさんレコードを出そうと決めていた
(『10年の複雑(下)』角川文庫)

ユーミンが年に2作というペースをみせていたのは83年あたりまでであり、この頃は年に1枚のリリースであった。でも二人は、“良い絵は描き続けた者にこそ描ける”ということを、知っていたのだろう。

さらにこの発言には、CHAGE&ASKAを理解する上での重要なワードが含まれる。「僕らはふたりいて」、である。我々は独立したシンガー・ソング・ライター同士であるという基本理念は、依然、揺るがずに持っていたわけだ。

となると『MIX BLOOD』というアルバム・タイトルは、この発言に反するような気もする。二人の音楽性を混ぜてしまっては、けして「僕らはふたりいて」にはならない。しかし、混ざり合わせてひとつにする、というより、互いの異なるアンデンティティを常にホットに接近遭遇させておき、同心円を広げ、さらなる全体の統一目指すためのアイデアを加える(MIXする)なら分かる。実際のところ、こういうことだったようだ。

ASKA コーラス・サウンドがやりたくなった時期だったね。
CHAGE そうそう。これからはコーラスができるバンドじゃないとダメだって言ってた。ア・カペラもやった
(『月刊カドカワ』92年6月号)

コーラスに関しては、84年の年末イベントからとステージを共にすることになった、ALPHAとの出会いが大きかった。まさに彼らが、二人にとってのプラス・アルファとなった。メンバーは村上啓介(G)、高浜輝夫(B)、佐藤邦治(Dr)、 後藤郁美(P)、矢賀部竜成(Key)であり、全員、歌うことができた(村上はその後、CHAGEとMULTI MAXを結成する)。ちなみにア・カペラをやった、というのは、当時のステージでの話である。

へー、そうなんだ、コーラスねぇ、と、聞きながせば聞きながせるが、大胆な方向転換だった。なにしろCHAGE&ASKAといえば、声質が正反対の二人が、ハモっみせるところがチャームポイントだ。ただ、それを周囲が魅力と感じ、皆が期待し、求め、彼らのそうした側面が“消費される”と、やがて飽きられる危険性もあった。そこまでの危機感ではなかっただろうが、このままでは可能性が拓けない、とは思ってたはずだ。2声より、さらに多声へ興味が募ったのは、ごく自然なことでもあったろう。

そんな予備知識も含め、『MIX BLOOD』を聴いてみた。でも、いきなりCHAGE&ASKAがコーラス主体の音楽性に変わるわけはなく、本作は前作の延長線上にある内容だ。ただ、ライブを共にすることになったALPHAが、2曲、共同アレンジに名を連ね、レコーディングとライブが繋がりあるものへ進展していたことが伺窺えた。

このアルバムからは2曲、明石家さんまのアルバム『世渡り上手』へ曲提供されている。ASKA作の「TEKU TEKU」と、澤地隆作詞でCHAGE作曲の 「シングル・ベッド」である。後者はシャ乱Qに同名曲がある。あちらはシングルベットでの恋人との想い出であり、こちらは実際にはダブル・ベッドで寝ており、でも恋人をなくして、身の上は“シングル”だという歌。

なお、さんまのこのアルバムには「アミダばばあの唄」も入っており、『オレたちひょうきん族』の人気のなかでの企画だと分かる。CHAGE&ASKAが移籍したポニー・キャニオンはフジ・サンケイ・グループの会社なので、こうした華やかなエンターテインメント業界との繋がりも生まれたわけだ。

『MIX BLOOD』の収録曲で、特にいいなと思ったのは、澤地隆の作詞、CHAGEの作曲による「ADIOS SENORITA」である。アレンジは「モーニングムーン」の佐藤準。

あえてジャンル分けするなら“フラメンコ・ポップ”とでも言いたい雰囲気で、アミーゴとセニョリータが織り成すドラマを描く。その際、CHAGEはいっさい、異文化に対して“物怖じしない歌声”で歌いきっている。

彼の根っこは“ラテン”というか、まるでバレンシア地方の陽光が降りそそぐかのように伸び伸びして快活な歌声だ。フラメンコのカスタネットっぽいアクセントを隠し味にする佐藤準のアレンジも、絶好調である。

もう1曲、印象に残るのはASKAが書いた「やっぱりJAPANESE」である。ニューヨークに旅すれど、ホ−ムシックになってしまう歌で、曲タイトルは、そのあたりから導き出された表現だ。でも、歌の意味は歌詞のみから読み取れるものではない。

この曲は、明らかにASKAにとって、「MOON LIGHT BLUES」以降ならではの作品で、フォービートっぽいジャジーな雰囲気もある。そのままジャズの本場、ニューヨークの景色を描きつつ、メロディに言葉を乗せることも可能だったはずだ。

しかし結論は、でも自分は「やっぱりJAPANESE」なのだった。なのでこのタイトルは、本場のジャジーにはなり切らない、ASKAの“和製ポップス宣言”とも受け取れる。なお、歌詞の[煌キラ]のあたりでシンセサイザーのアレンジもキラキラした音になるなど、詞とアレンジの相関関係も密な仕上がりとなっている。

最後に書き添える。

『MIX BLOOD』のアート・ワークは今でも新鮮である。他にもB’zなど、数々のアーティストのジャケットを手掛けた西本和民氏の作品だ。二人の顔の中間に描かれたもうひとつの顔は、砂絵で描かれているそうだ。二人の中間ということは“&”の位置なので、当時はこの人物を“アンドー君”と呼んでたそうだ(“アンドー君”のその後の消息は不明である)。

文 / 小貫信昭

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