瀬尾まいこの「傑作はまだ」  vol. 14

Story

月10万円の養育費は多いのか少ないのか? 瀬尾まいこ『傑作はまだ』第14回

月10万円の養育費は多いのか少ないのか? 瀬尾まいこ『傑作はまだ』第14回
あらすじ

引きこもりの小説家・加賀野<かがの>の元へ、生まれて以来一度も会ったことのなかった息子・智<とも>が突然訪ねてきた。

しばらく泊めてほしいと言う智の頼みで、二人は一緒に暮らすことに--。

息子のことは何も知らない。血がつながっている、ただそれだけの関係。ただそれだけのことがこんなにも俺の心をかき乱す。

『そして、バトンは渡された』で「ブランチBOOK大賞2018」受賞、「キノベス2018」1位獲得!! 切なくてやさしい物語を送り出してきた作家・瀬尾まいこが、不器用な親子の不思議な同居生活を描く、笑って泣けるハートフルストーリー。

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瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

2018.12.02

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連載 瀬尾まいこの「傑作はまだ」

第14回

第三章

9

 今年の冬は寒くなるという予報どおり、十一月に入ったとたん、体の奥に響くような寒さだ。秋が一気に終息に向かい、一年の終わりをしみじみと感じる時期がやってきた。といっても、二十年以上同じような毎日を送っているから、一年が終わろうとも、新しい年が始まろうとも、変化があるわけではない。

 パソコンを開いて小説の続きを書く。締め切りは二十八日。まだ二十日以上あるが、少しでも話を進めておきたい。

 今月書くのは、借金を断られた主人公亨介の次の行動だ。途方に暮れた亨介がどう動くのかが、なかなか思い浮かばない。この話は、来年一月までの連載で、あと二回。結末は頭の中でもうできている。亨介が自ら生涯を閉じたことを知った、親や兄弟、友人たちが後悔を口にする。「これほどまで思い詰めていたのなら八万くらい貸してやればよかった」「八万円で命を救えたのだ」と。その様々な語りで話を閉じるつもりだ。

 それにしても、亨介はわずか八万円も貸してもらえないほど人望がなかったのだろうか。自分で書いていて疑問が残る。ある程度身内や友人がいる人間なら、それぐらいどこかから引っ張り出せそうな気もする。いや、八万円を手にできなかったのは、亨介の人間性だけでなく、その必要性を伝えられなかったのも要因だ。この時の亨介にとっての八万円は差し迫ったものだった。友人に裏切られ会社もなくし、とにかく住める場所だけでも確保して一時の安心を得るために必要なお金だった。それを訴える力が弱かったから手にできなかったのだ。八万円……。安心を得るためだとしたら、少し安すぎるだろうか。そもそも、いくらあれば、人は生きられるのだろう。

「月十万で育つものなど何もないんじゃない? 犬や猫でも無理だろうなあ。あ、セキセイインコもね」

 俺が渡していた智の養育費は月十万円。二十年間で二千四百万円を渡していることになる。けっこうな額だとは思うが、それでも智はそう言っていた。

 俺は子どもを育てたことどころか、金魚もハムスターも飼ったことがない。大人になってしまった俺はそうお金がかからないが、人や生き物が成長するとなるとどうだろう。必要な額はイメージしがたい。そんなことを考えていると、「想像力がない」、いつしか笹野さんが言っていた言葉が頭に浮かんだ。

「ね、おっさんも書く?」

 文章が進まず頭を悩ませているとノックが聞こえ、答える前に智が入ってきた。

「書くって何をだ?」

「これだよ。カード」

 智は淡いピンクの花の絵がちりばめられたカードを見せた。

「何のカードだ?」

「やっぱり知らないんだ。明後日は、おっさんの、ゆきずりの女の誕生日だよ」

 ゆきずりの女って誰だと考えてから、さすがに俺も智を咎めた。

「君の母親だろう。そんな言い草はないだろう」

「俺はちゃんとおふくろって呼んでるけど、おっさんにとったらの話だよ。誕生日も知らないんじゃ彼女と言えないし、仲良くもないから友達でもない。顔見知りが近いかなとも思ったんだけど、ちゃっかりセックスしてるもんね。うん。ゆきずり以外にぴたりとくる言葉がない」

 智はけろりとした顔でそう答えた。

「どうでもいいけど、そういう言葉を使うのはやめたほうがいい」

「あっそう。で、書くの、カード」

 智はカードを開いてパソコンのキーボードの上に置いた。カードには整った字で、
「誕生日おめでとう。こちらはみんな元気。体に気をつけて」
 と書かれている。

「おっさんと一緒にいるのに、黙って俺だけがおふくろの誕生日祝うの、抜け駆けみたいでよくないかなと声かけただけなんだけど」

「一緒にいるのにって、美月は君がここにいることを知ってるのか?」

「うん。先月、実家帰った時に、しばらくおっさんの家に泊まるつもりだって話してきたから」

「そうだったんだ……」

 美月は智が俺に会うことを反対しなかったのだろうか。長年放っておいた父親のもとに息子が行くことに抵抗がなかったのだろうか。いったいどんな気持ちで了承したのだろう。いや、智は二十歳を過ぎた大人だ。自分の子どもとはいえ、いちいち口出しをしないのが普通なのかもしれない。

「せっかくだし、何か書く?」

 智は勝手にペン立てからボールペンを取り出すと俺に手渡した。

「いや……、どうだろう」

 誕生日だと知り、カードまで差し出されているのに、祝おうとしないのは薄情な気もする。しかし、二十五年の間、美月とは一度も言葉を交わしたことがない。十万円を振り込み、写真が送られてくるだけで、そこに気持ちや思いを送り合うということはなかった。

「突然、驚かないだろうか」

 記憶の中の美月は二十代前半のままだ。かわいい見た目とは違って気の強い美月が、甘えた声できっぱりと、「何これ」と否定するであろう様子が目に浮かぶ。

「驚かれるのって悪いことじゃないじゃん。サプライズは誕生日に付きものだし」

 智はソファに腰かけながら言った。

「俺、美月とは実際に会ったのは数回だけだし、二十年以上話だってしていないし……。おめでとうと俺が言っても、誰なんだと思われる」

「誰なんだなんて思うわけないじゃん。セックスした相手なんだから」

「でも、愛し合ってたわけじゃないし、友達でも恋人でもないし、今さら何なんだといらだたないだろうか?」

 俺がぼそぼそと言い訳を並べるのに、
「愛がなかったのはおっさんだけじゃないの? それに、数回会っただけの相手に子どもを産ませて、二十年以上話もしていないって、そのほうがよっぽど『何なんだ』だよ。国によっちゃ軽犯罪法に触れるんじゃない? おめでとうくらい書いて、罪を軽くしたら? それとも小説家に言葉書いてもらうのってたいそうなことなのかな」
 と、智は笑った。

「いや、別に言葉を書くのを渋ってるわけじゃないんだが、美月に嫌がられるかなと思っただけで……」

「おめでとうと言われて嫌がる人なんていないって」

 智は気楽に言うが、美月と俺の関係を考えれば、十分ありえる。

「あなたができるのは経済的に支えることだけよ。子どもの誕生を喜べない人に父親になる権利はない。顔も見せず口も出さず、お金だけ出してくれたら、それでいい」

 最後に会った日。美月は俺に弁明する隙も与えず、そう言ってさっさと帰っていった。振り向きもせず足早に去っていく姿に、俺の存在を完全に切ってしまっているのだと痛感した。

「きっと俺からの言葉なんてうっとうしがるよ。美月は気が強いというか、きっぱりしているところがあるから」

 俺がそう言うと、智が目を丸くした。

「おっさん、数回会っただけの二十年以上話をしていない人のこと、わかるの? おふくろ、少なくとも気が強いタイプではないけど」

「そうなのか?」

 気が強い。美月の性格を表す言葉はそれ以外にあまり浮かばない。母となり美月も変わったのだろうか。

「さ、とにかく、書くなら早くして。午前中に郵便局に持って行くから」

「あ、ああ」

「何でもいいから。ほら」

 智にせかされ、俺はカードの隅に小さく「おめでとう」とだけ書いた。

「げ。おっさん、字、小さすぎだろう。これ、虫眼鏡ないと読めないよ」

 智はカードを手にして顔をしかめると、「じゃあ、郵便局行ってくる」と出て行った。

 虫眼鏡がないと読めないか。ここ何年も誰かに手書きでメッセージを送った覚えはない。声も字も適切な大きさすらわからなくなっているとは。自分では気づかなかったが、こうして家にこもっているうちに、ずれが出ているのだろうか。いや、いいんだ。ここで一人で小説を書く。それが俺の日常なのだから。俺は一つ息をはくと、仕事に戻った。

つづく
タイトル画像・デザイン / 山家由希


一人で小説を書いて過ごす、そんな“あたりまえの日常”が変わり始める–。

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瀬尾まいこ(せお・まいこ)

1974(昭和49)年、大阪府生れ。大谷女子大学国文科卒。2001(平成13)年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年単行本『卵の緒』で作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞を、2008年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞を受賞する。他の作品に『図書館の神様』『優しい音楽』『温室デイズ』『僕の明日を照らして』『おしまいのデート』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『春、戻る』『そして、バトンは渡された』など多数。

書籍情報

ブランチBOOK大賞2018受賞作!
『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこ(著)
文春e-Books

たくさんの〈親〉たちにリレーされて育った優子。数奇な運命をたどったけど全然不幸じゃなかった少女の物語。
私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった。これだけ状況が変化していれば、しんどい思いをしたこともある。新しい父親や母親に緊張したり、その家のルールに順応するのに混乱したり、せっかくなじんだ人と別れるのに切なくなったり。(本文より)
幼くして実の母親を亡くし、様々な事情で血の繋がらない〈親〉たちの間をリレーされ、四回も苗字が変わった優子だが、決して不幸だったわけではない! 〈親〉たちの愛を一身にうけて、〈親〉たちのことも愛して、いま十七歳の優子は幸せなのだ。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作!

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