佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 78

Column

生誕八十八年を迎えた音楽家・中村八大~「太陽と土と水を」について今年も考えさせられている

生誕八十八年を迎えた音楽家・中村八大~「太陽と土と水を」について今年も考えさせられている

1963年に日本語のままアメリカで全米1位のヒットを記録し、その後もいくつものカヴァーがヒットした「SUKIYAKI(上を向いて歩こう)」は、今では世界中で知られているスタンダード・ソングとなっている。

これを作曲した音楽家の中村八大(以下、八大さん)は作品によって、アレンジャーとプロデューサーを兼ねることが多かった。
八大さんは作詞のパートナーだった永六輔さんとともに、”新しい日本の歌と音楽”をつくることを目指し、日常会話の口語体を使った日本語でリズミカルなポップスを生み出した先駆者である。

1959年の第1回日本レコード大賞に選ばれた「黒い花びら」は、3連符を重ねた斬新なロッカバラードであった。
その年に明治大学を卒業して社会人になった阿久悠が、楽曲に衝撃を受けたという文章を残している。

一人で入ったソバ屋の映りの黒いテレビに水原弘のふてぶてしい顔のアップがあって、眉を寄せ、苦しげに顔を傾けながら
  ♪だから だから もう恋なんか
   したくない したくないのさ…
とふり絞るような声で歌っていて、ぼくは、妙に身につまされるものを感じたりしていた。何ということのない失恋の歌に聴こえるが、何か、時代の黒い底流を引きずり出して来るような呻きにも解釈できたのである。
(阿久悠著「愛すべき名歌たちー私的歌謡曲史―」岩波新書)

「黒い花びら」は60年代後半から70年代に全盛期を迎える新しい演歌、呻きを強調して情に訴える楽曲の原型となった。
森進一の「女のためいき」や「港町ブルース」、クールファイブの「長崎は今日も雨だった」、藤圭子の「女のブルース」と「夢は夜ひらく」、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」などは、いずれも3連符によるロッカ・バラードである。

軽快な4分の2拍子によるラテンのリズム、ビギンを使って隠れた名曲といわれた「黄昏のビギン」(歌:水原弘)は、1991年にカヴァーしたちあきなおみのヴァージョンのほうが有名になるにつれて、あらゆるリズムとアレンジで数多くの歌手に唱われるようになって現在に至っている。

2ビートのロックとして坂本九のためにつくられた「上を向いて歩こう」は、RCサクセションの忌野清志郎が1978年から「日本の有名なロックンロール」と紹介して唱い始めたことで、ロックバンドにおけるスタンダードとして次世代へと受け継がれた。

アメリカでは英語の歌詞によるテイスト・オブ・ハニーがR&Bとしてカヴァーした「SUKIYAKI」が、1982年から83年にかけてヒットしたことによって、ブラックコンテンポラリーの分野でスタンダード化した。
ゴスペルグループによるア・カペラのヴァージョンが、リバイバル・ヒットしたのは1995年だった。

ヒットメーカーとして脚光を浴びた八大さんは時代の要請に応えて多忙を極めていたが、「もっと音楽の勉強をしたい」という想いが強くなり、日本での仕事を整理して1964年の夏からおよそ1年間、家族とともにニューヨークのマンハッタンに暮らすことにした。

そのときに北島三郎のためにつくった「帰ろかな」では、レゲエに通じるジャマイカ生まれの土着的なリズムが取り入れられていた。
イギリス経由でレゲエが世界に広まるのは、それから2、3年後のことになる。

今になって思えば八大さんが残した楽曲は、いずれも発表当時はかなり革新的な要素を含んでいて、その時代における”ニューミュージック”と呼ぶに値するものであったことがわかる。

そんな八大さんが自ら作詞と作曲・編曲・プロデュースしたにとどまらず、メイン・ヴォーカルとして歌まで唄った唯一の曲が「太陽と土と水を」である。

1971年1月20日に40歳という節目の誕生日を迎えた八大さんは、新しい音楽のアイデアを求めて世界一周の旅行を計画した。
だが最初に向かったネパールで、地元の人たちと生活をともにしてみて、「やわらかく締めつけられていた文明社会の掟(おきて)の息苦しさの中からほっとはい出た感じ」を受けたという。

そのために予定を変更してネパールに長期滞在することにした八大さんは、帰国後の秋になって行われた作曲コンクールの『第3回合歓ポピュラーフェスティバル’71』に、「太陽と土と水をこの手に持とう」をエントリーした。

そしてフェスティバルの前日、三重県志摩町片田の海岸で集めて来た小学生の十人に貝殻を持たせてリズムをとり、その場でリハーサルを行って翌日の本番に挑んだのである。

『太陽と土と水をこの手にもとう』
作詞・作曲・編曲:歌・中村八大+三重県志摩町の子どもたち

人様は力があれば幸福が
つかまえられると考えた
力をたくわえた
人様は力があれば幸福を
つかまえられるとやってみた
力は消え失せた

力は知恵に負けた
力は消えた
力は知恵に負けた
力は消えた

人様はお金があれば幸福が
つかまえられると考えた
お金をたくわえた
人様はお金があれば幸せを
つかまえられるとやってみた
お金は消え失せた

お金は知恵に負けた
お金は消えた
お金は知恵に負けた
お金は消えた

人様は知恵があれば幸福を
つかまえられると考える
知恵を働かす
人様は知恵があれば幸福を
つかまえられるとやってみる
知恵はただひとつ

太陽と土と水をこの手でさがそう
太陽と土と水をこの手でさがそう

太陽と土と水をこの手にもとう
太陽と土と水をこの手にもとう

その日のライブの模様は八大さんの強い意向で、そのままレコード化されてシングル盤で発売になった。
タイトルはここで短く「太陽と土と水を」になった。

マジックで書かれたタイトルとアーティスト名しかない素朴そのもののジャケットにも、八大さんの思いがにじみ出ているようだ。

歌が誕生してから48年もの歳月が経っているが、八大さんが子どもたちと一緒に唄うことで伝えたかった気持ちは、レコードを聴くと今もなおひしひしと、いや、ビシビシと伝わってくる。

ストレートすぎるほどのメッセージを前にして、今の時代だからこそ、この歌が必要なのではないかという思いが、年を重ねるごとに強くなっている。


中村八大関連楽曲はこちら

『坂本 九 ベスト~心の瞳』(『太陽と土と水を』収録アルバム)

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち

著者:佐藤剛
ボイジャー

ビートルズ来日をめぐる人間ドラマを丹念に描く感動のノンフィクション。

1966年のビートルズ来日公演、それは今になってみれば、奇跡的といえるものだった。いったい誰が、どのようにしてビートルズを日本に呼ぶ計画を立てて、それを極秘裏に進めて成功に導いたのだろうか? これは日本の経済復興の象徴だったリーディング・カンパニーの東芝電気と、その小さな子会社として生まれた東芝レコードにまつわる、歌と音楽とビジネスをめぐる物語である。

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