Interview

佐野元春 最新アルバム『BLOOD MOON』インタビュー

佐野元春 最新アルバム『BLOOD MOON』インタビュー
Motoharu Sano

2015年、デビュー35周年を迎えた佐野元春。1980年のデビューから、メッセージ性の高い歌世界をロックンロール、ヒップホップ、ポップスなどさまざまなビートやリズムで表現してきた孤高のアーティスト。そんな多様な音楽アプローチを多感な時期から吸収してきたアンダー世代で構成されたTHE COYOTE BAND。精鋭のミュージシャンと奏でる3作目のアルバムが今夏完成した。バンドとしての1つの到達点か。新しい航海の出発点か── 。
佐野元春が語る最新アルバム『BLOOD MOON』。

『COYOTE』『ZOOEY』、そして『BLOOD MOON』。THE COYOTE BANDと奏でる“コヨーテ3部作”。

2年ぶりのフルアルバム『BLOOD MOON』、すばらしかったです。いま自分たちが向き合っている現実をここまで正確に射抜き、しかも激しく共振するような日本のロックとはなかなか出会えない。そんな風に感じました。打ちのめされ、同時に勇気づけられると言いますか……。

ありがとう。そう感じてもらえたのならうれしいです。

「佐野元春 & THE COYOTE BAND」名義では3作目。アルバムを重ねるごとに、ワイルドな疾走感や厚みのあるアンサンブルなど、バンドのサウンドは確実に進化してきました。その一方で、現時点から振り返ってみると、3つの作品が「序・破・急」にも通じるコンテクストを構成しているようにも見えます。佐野さん自身は今回の『BLOOD MOON』を、THE COYOTE BANDの活動の中でどのように位置づけていますか?

いま指摘してくれたように『COYOTE』『ZOOEY』、そして今度の『BLOOD MOON』という3枚は、結果的に一括りのシリーズになったのかなと思っています。コヨーテ3部作と言えるかもしれません。2004年、僕は『THE SUN』をリリースしました。これはThe Hobo King Bandとのセッションを記録した現時点では最後のスタジオ盤です。この作品は、僕が80年代、90年代を通して行なってきたソングライティングの総まとめであり、バンドサウンドの集大成にもなりました。これを世に問うて、次はどこにいこうかと考えていた時期に出会ったのが、THE COYOTE BANDの連中です。彼らは僕より一回り若い世代のミュージシャンで、多感だった80年代に僕の音楽を聴いてくれていました。佐野元春がどういう表現者であるかもよくわかっている。僕らはバンドを結成し、新しいサウンドを模索し始めました。そして最初に作ったスタジオアルバムが、2007年に発表した『COYOTE』。

「現代という荒地をサバイブする」というテーマを持った作品ですね。

その通り。当時インタビューでも語りましたが、『COYOTE』で僕が意図したのは、ある無名な男を主人公にした架空の映画のサウンドトラックを描いてみることでした。自分はキャメラマンに徹し、対象から一歩引いたところで、そこで起きていることを淡々と叙述する。叙事詩主体の日本のポップミュージックには少ない叙景詩の手法、いわばストーリーテリング集ですね。僕にとってはデビューから変わらないソングライティング手法ですが、そのメソッドをさらに推し進めて、わかりやすい形で提示してみたかった。そのベースにあったのはおっしゃる通り、「現代は荒地である」という認識です。それに続く2013年の『ZOOEY』。これは『COYOTE』の世界観を発展させたものですが、どちらかというと僕自身の内的感情が強く反映された作品だったと思います。

タイトルナンバーを除く全ての曲に、「君」という代名詞が用いられていたのが印象的でした。キャメラマンの比喩でいうと、被写体との距離感がぐっと近くなった印象です。

そうかもしれませんね。僕にとって『ZOOEY』とは、「この時代に生きているからこそ謡わなければいけない愛の歌」や「自分自身のリアルな情感」を正直に綴ったアルバムでした。そしてこの作品は、僕が想像した以上に、幅広いリスナーから評価をしてもらえた。多くの人が、さまざまな形で共感を表明してくれた。それは僕にとって大きな自信につながりました。その『ZOOEY』を経て、今回の『BLOOD MOON』。ここに収録した楽曲は、1年半前から半年くらいかけて集中して書いたものです。実際は20曲ほど録音しましたが、最終的には12に絞りました。

その「変容」が一体何によってもたらされてるのか?2年間の観察から生まれたのが今回の『BLOOD MOON』。

コンセプチュアルでトータリティの高いアルバムだと感じましたが、最初にテーマを設定し、それに沿って楽曲を書いていったわけではなかったと。

はい。僕はアルバムを作る時、コンセプトは何か、テーマは何かというところからは始めません。まずは、言葉と曲を書き殴ってみる。そして、これはモノになるかなと感じた曲についてはバンドを集め、一緒に演奏して、そこから感覚的にまとめていく手法を採っています。今回もレコーディングした20曲をトランプのように目の前に並べ、自分が描こうとしてるストーリーがどこにあるのかを探っていった。そうやって12曲に絞り、1曲目の「境界線」からラストの「東京スカイライン」まで通して聴いてみたら、いつもの通り自分が言いたかったこと、感じていることが改めて見えてきたんですね。僕はいつも、そうやって作品から教えてもらうんです。

改めて見えてきたものとは、一体何だったのでしょう?

おそるべき勢いで変容しつつある、自分自身の周囲だと思います。その周囲を社会、国家、あるいは世界と言い換えてもいい。この国の政治を取り巻く状況にしても、あるいは普通の庶民が抱いている感情にしても、僕たちがいま目撃している現実は「変化」というような生やさしい言葉で説明できるものではない。そこにあるのは、例えばサナギがまるで形の異なる蛾になってしまうような「変容」。英語で言うなら“change”ではなく“transformation”。まさに「我々はいま、変容の中にいる」という現状認識です。その変容が一体何によってもたらされるのかを、この2年間僕はずっと観察してきました。そこから生まれたのが、今回の『BLOOD MOON』です。

そう言えば今年の5月、佐野さんは沖縄の辺野古を訪れて、その時に感じた短いスケッチをFacebookの公式ページに投稿されました。

うん。何だかけっこう論議を呼んだみたいだね。

少し引用すると「米軍基地問題で、/また、この地が引き裂かれている。/本来絆で結ばれているはずのこの地。/誰がその絆を壊しているのか。/なぜその絆が引き裂かれなければならないのか」。この短い文章に添えられた言葉が“境界線”。それはそのまま、アルバムオープニング曲のタイトルになっています。その意味でも2015年の現実と向き合う意志を強く感じたのですが。

もちろん、そう思ってもらっても構わない。でも同時に、僕が『BLOOD MOON』収録の曲を書いたのは1年半前のことで。つまりどの曲も、現在の状況を迎える前には書かれていたんですね。これまでも僕は、自分の書いた歌詞や曲に現実の方が近付いてくるという経験を何度もしてきました。ここまでリアルに符合するとは正直予想していなかったけれど……。いずれにせよ、それがアートの持っている役割の1つなんじゃないかと思うんです。

空気に漂うかすかな兆候をキャッチし、それを表現する。

ときどき人から、「佐野さんの音楽って、どういうものなんですか」と聞かれることがある。僕は大抵「そうだね。炭坑の中のカナリアのようなものかな」と答えます(笑)。トンネルの中に吊されたカナリアは、坑道にガスが充ちてくるといち早く羽をばたつかせ、坑夫に危険を知らせるんですね。いま目の前で起こっている状況に不満を言うのは、誰にだってできる。でも本当のアーティストなら──僕がそうであるかどうかはわかりませんが──こういう事態が訪れることはきっと何年も前から感じとっていたと思う。人々の感情の乱れを表現せずにはいられないと思う。

つまりロックンロールという表現には、人々に何かを知らせる力があると。

少なくとも僕は、そう信じています。ロックンロールというアート──あえてこの言葉を使いますが、これは非常に汎用性が高く、力強い表現フォーマットです。そこには言葉があり、メロディがあり、ビートがあり、作った本人の肉体がある。さらにライヴにおいてはそれをアンプリファイアを通して拡大し、人々に祝祭的な空間を提供することさえできる。言うまでもなく、ダンスだよね。こんなに強力なフォーマットがほかにあるだろうか? そう自問した時、僕は確信を持ってないと答えられる。だから35年間も取り憑かれたようにこのフォーマットを採用し、自分を表現しているわけなんです。“I love you, you love me”と歌うだけでは余りにもったいない。応用性の高い表現フォーマットだと僕は思っています。もちろんそれは、アルバム『BLOOD MOON』についても言えるよね。

インタビュー・文/大谷隆之
@M’s Factory 2015年7月15日

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