瀬尾まいこの「傑作はまだ」  vol. 16

Story

同じ家にいるのに寝込んだ息子に気がつかない……瀬尾まいこ『傑作はまだ』第16回

同じ家にいるのに寝込んだ息子に気がつかない……瀬尾まいこ『傑作はまだ』第16回
あらすじ

引きこもりの小説家・加賀野<かがの>の元へ、生まれて以来一度も会ったことのなかった息子・智<とも>が突然訪ねてきた。

しばらく泊めてほしいと言う智の頼みで、二人は一緒に暮らすことに--。

息子のことは何も知らない。血がつながっている、ただそれだけの関係。ただそれだけのことがこんなにも俺の心をかき乱す。

『そして、バトンは渡された』で「ブランチBOOK大賞2018」受賞、「キノベス2018」1位獲得、「2019年本屋大賞」にもノミネート‼ 切なくてやさしい物語を送り出してきた作家・瀬尾まいこが、不器用な親子の不思議な同居生活を描く、笑って泣けるハートフルストーリー。

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瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

2018.12.02

バックナンバー

連載 瀬尾まいこの「傑作はまだ」

第16回

第三章

11

 十一月第三週の火曜日。ぐっと冷え込んだ夕方、チャイムが鳴るのが聞こえて、慌てて玄関に向かった。進みかけた仕事を中断させるけたたましい音。回覧板か宅配便だろうかと少しいらだちながらドアを開けると、笹野幾太郎さんが立っていた。

「やあ、親父さんは元気だったんだな」

「はあ……」

 ローソンの店長がなぜ来たのだろう。一度会っただけの俺の健康状況をどうして気にかけてくれるのだろう。いや、それより、まずは中に入ってもらわなくては。夕方の風は乾燥している分、身を切るように鋭い。ジャンパーを着込んだ笹野さんは身をかがめながら立っている。

「えっと、どうぞ」

 家の中に入るように促すと、笹野さんは、
「あ、ここで。すぐ帰るしな。ほい、これ」
 と、ローソンのレジ袋を差し出した。

「これ……。いただいていいんでしょうか?」

「ああ。もちろんだ」

 ずしりと重い袋の中を見ると、ポカリスエットとゼリー飲料がいくつか入っている。発注間違いか何かで余って困っている商品なのだろうか。スポーツドリンクもゼリー飲料も好きではないが、せっかくここまで持ってきてくれたのだ。俺は「ありがとうございます」と頭を下げた。

「で、どうだ、少しはましになってるのか?」

 笹野さんは俺の顔を見つめて聞いた。少しはましに……何のことだろう。俺が静かに首をかしげると、
「智の風邪だよ。明日はバイト行くとは電話があったけど、二日も熱が続くとさすがにぐったりしてるだろう」
 と、笹野さんが言った。

「風邪……」

「ああ。土曜日にしんどそうにしてたと思ったら、日曜月曜とバイト休みで、今朝、もう一日だけ休ませてほしいと連絡あったからさ。って、まさか、親父さん知らないの」
 笹野さんは、眉根を寄せた。

「はあ……」

「はあって、親父さん、智と一緒に住んでるんだよな」

「そうですけど……」
 確かに智はここで生活をしているが、智のバイトが不規則なせいか、俺が仕事で部屋にこもっているせいか、顔を合わさない日もある。お互いの時間が合わなければ、相手が何をしているのかわからない日が続くのも不思議ではない。

「親子でなくたって同じ空間にいる人間が病気だったら気づきそうなものだけど。この家、尋常じゃなく広いんだな」
 笹野さんは嫌みではなく、本当に驚いたように言った。

「いえ……」

 この家は広いし、部屋数も多い。人の気配に気づきにくい間取りでもある。だが、それ以上に尋常じゃないのは、俺の人に対するアンテナの鈍さかもしれない。そんな鈍感な俺が小説を書いているなんて滑稽だ。えらそうに人生が何だなんてよくも書けたものだ。俺は……、いや、そんなことを考えている場合ではない。智は病気なのだ。それも、バイトを休むほどだからよっぽど具合が悪いのだ。

「あ、これ、ありがとうございます。智に渡してきます」
 俺がレジ袋を抱えて頭を下げると、「ああ、お大事に」と笹野さんは軽く手を振った。

 ところで、智は二階のどの部屋を使っているのだろうと、俺は階段をのぼりながら考えた。台所も風呂も一階にあるため、二階に上がるということを何年もしていない。いや、そういう問題ではない。智がここに来て、一ヶ月以上。彼がいる部屋すら確かめようとしなかった自分に驚くべきだ。今まで人と共にいることがないおかげで気づかなかったが、周囲に対する俺の無関心さは鈍感のレベルを超えている。

 階段を上がってすぐの部屋は、本や雑誌が積み上げられた物置と化していて、姿はなかった。その隣の六畳の部屋の扉をそっと開けてみると、布団の上に寝転がった智がいた。

「おお、君、大丈夫なのか?」

 俺が中に入ると、
「あれ、おっさん、どうしたの?」
 と、智が体を起こした。

「どうしたのって、風邪だと聞いたから……。これ、さっき、笹野さんが来て」

「ああ、ありがたい。ちょうど水分欲しかったんだよね」
 俺が袋を渡すと、智は中からポカリスエットを取り出し、すぐさま口にした。

「だいぶ悪いのか? えっと、そうだ、医者を呼べばいいのかな」
 わずかだが智の顔色は暗いし、話す声もかれている。

「いいよ。土曜に病院行って、薬もらったし」

「そっか。じゃあ、何をしたらいいのだろう」

 目の前に病人がいるのだ。何かしなくてはいけないはずなのに、それが何かわからない。
「もうだいぶましだから、大丈夫。俺、扁桃腺弱くてただの風邪ですぐに熱出ちゃうんだよね」

「熱ってことは、あ、あれだ。水で濡らしたタオル、それを持ってこよう」
 昔、ドラマか漫画で、枕元に水が入った洗面器を置き、そこで絞ったタオルを熱のある子どもの額に載せている母親の様子を見たことがある。

「いい、いい。もう、熱はないから」

「じゃあ、おかゆ、おかゆを作るんだっけ」

「おっさん、作れるの? いいよ。ほら、これあるし」
 智は笹野さんが持ってきたゼリー飲料を俺に見せた。

「そっか。それでいいのか」

 笹野さんはただのバイト先の店長なのに、欲しいものをぴたりと用意できる。やはりご高齢だけあって、よく人のことがわかっている。いや、智に言わせればこんなの普通のことなのだろうか。

「三日間、ごろごろしてたから、もう元気。今日は念のために休んだだけだからさ。心配しないで」

「あ、ああ」

「もう大丈夫だから、おっさん、仕事でもしてきなよ」

「いや、そういうわけにも……。そうだ、部屋の温度を上げようか。あ、まずは換気か」

「いいよ。もうほとんど治ってるのに」

「すまない。病気に不慣れで適切な対処法が思いつかない」
 俺が頭を下げると、智は声を立てて笑った。

「病気って、ただの風邪だよ。こんなの対処なんか必要ない。寝てれば治るし、たいそうなことじゃないよ」

「そうなのか。俺は大人になってから風邪もひいたことなくて」
 俺はそう言いながら、部屋の隅にそっと腰を下ろした。何年も入っていない部屋は、自分の家なのにしっくりとこない。

「風邪ひいたことがないって、本当に? 一度も?」
 智はそうとう驚いたのか、かすれた声を大きくした。

「ああ、病気も怪我も、二十歳越えてからした覚えがない」

「すごいじゃん。それ、かなり珍しいことだよ」

「すごいのかな」
 健康に気を遣っているわけではないが、体調を崩したことはただの一度もない。実は俺はずいぶんと丈夫な体の持ち主だったのだろうか。

「みんな年一回くらいは風邪ひくじゃん。じゃあ、おっさん、一昨年は? インフルエンザ、すごいはやったじゃん」

「インフルエンザは生まれてこの方、かかったことはない。まあ、あまり外に出てないからうつらなかっただけかもしれないが」

「引きこもりってすごいんだな」
 智は心底感心したようにうなずいた。

「どうだろう」

「引きこもるのって、俺が想像していたより悪いことじゃないかも。外に出なければ、ウィルスに感染することもないし、危険もないから怪我しない。人と接することがなければ、気持ちが通じなくてイライラしたり相手の反応に不安になったりすることもないから、ストレスも溜まらないしさ。実は引きこもりって心身ともに健やかにいられる究極の状態なのかもね」

「褒められているのか、けなされているのかわからないが、俺、引きこもりではないから」

「褒めてるんだよ。外に出ればどうしたって知り合いが増える。知り合いが増えれば、摩擦も起きるし、自分以外の人の悲しみに触れる機会だって増える。一人でいれば誰にも傷つけられず、誰も傷つけずにいられるのに。おっさん、次は小説じゃなくて、引きこもり健康法でも書いたら?」

 智は肩をすくめて笑った。

「なんだ、それ。健康なのか不健康なのかちっともわからないタイトルじゃないか。それに俺、健康に対する知識は皆無だし。……あ、そうだ!」
 健康について知っていることを思い出して、俺は手を叩いた。

「どうしたの?」

「鍋。鍋を食べよう。こないだテレビで、鍋は栄養満点の健康食だって言っていた。温かい上に何でも入れられるし。夕飯に俺、鍋作るよ」

「おっさん、作れるの?」

「鍋の中に食材を入れたらいいだけだろう? 作ったことはないけど、できるはずだ」

 俺が言うと、智は、
「そもそも、この家、そんな大きな鍋ある?」
 と聞いた。

 台所にあるのは、フライパンと小鍋が一つずつ。それにやかん。確かに鍋を作るような大鍋は持っていない。白菜や鶏肉を買えばできると思っていたが、肝心な物がそろっていなかっただなんて。

「そこからか……」

 俺が自分にがっかりしてつぶやくと、
「この家、すごく広いのに、おっさんのための物しかないもんね。人が来ることをまったく想定されてないから」
 と、智が笑った。

つづく
タイトル画像・デザイン / 山家由希


智の風邪に気がつかなった自分にショックを受ける加賀野の鍋作りの行方は?

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瀬尾まいこ(せお・まいこ)

1974(昭和49)年、大阪府生れ。大谷女子大学国文科卒。2001(平成13)年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年単行本『卵の緒』で作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞を、2008年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞を受賞する。他の作品に『図書館の神様』『優しい音楽』『温室デイズ』『僕の明日を照らして』『おしまいのデート』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『春、戻る』『そして、バトンは渡された』など多数。

書籍情報

ブランチBOOK大賞2018受賞作!
『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこ(著)
文春e-Books

たくさんの〈親〉たちにリレーされて育った優子。数奇な運命をたどったけど全然不幸じゃなかった少女の物語。
私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった。これだけ状況が変化していれば、しんどい思いをしたこともある。新しい父親や母親に緊張したり、その家のルールに順応するのに混乱したり、せっかくなじんだ人と別れるのに切なくなったり。(本文より)
幼くして実の母親を亡くし、様々な事情で血の繋がらない〈親〉たちの間をリレーされ、四回も苗字が変わった優子だが、決して不幸だったわけではない! 〈親〉たちの愛を一身にうけて、〈親〉たちのことも愛して、いま十七歳の優子は幸せなのだ。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作!

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