瀬尾まいこの「傑作はまだ」  vol. 17

Story

この家は自分のための物しかない。瀬尾まいこ『傑作はまだ』第17回

この家は自分のための物しかない。瀬尾まいこ『傑作はまだ』第17回
あらすじ

引きこもりの小説家・加賀野<かがの>の元へ、生まれて以来一度も会ったことのなかった息子・智<とも>が突然訪ねてきた。

しばらく泊めてほしいと言う智の頼みで、二人は一緒に暮らすことに--。

息子のことは何も知らない。血がつながっている、ただそれだけの関係。ただそれだけのことがこんなにも俺の心をかき乱す。

『そして、バトンは渡された』で「ブランチBOOK大賞2018」受賞、「キノベス2018」1位獲得、「2019年本屋大賞」にもノミネート‼ 切なくてやさしい物語を送り出してきた作家・瀬尾まいこが、不器用な親子の不思議な同居生活を描く、笑って泣けるハートフルストーリー。

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瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

2018.12.02

バックナンバー

連載 瀬尾まいこの「傑作はまだ」

第17回

第三章

11

「ああ。今まで来客があったことなどないもんな。あれ? そう言えば、この布団、どうしたんだ?」

 俺は智が敷いている布団を指さした。

「買ったんだよ。布団もタオルもパジャマも歯ブラシもコップも。客用や余ってる分を使おうと思って身軽にやってきたのに、この家、本当に何もないから」

「そっか……そうだな」

 タオルやコップ。人が来たら、それらがいるのだ。それなのに、この家は自分のための物しかない。家だけではない。俺にも、人を迎えるためのものが何一つ備わっていない。

「あ、でも、家に余分なものを置かないの、今のはやりみたいだよ。なんだっけ、ミニマリストとかっていう……」

「俺、買ってくる。俺はミニマ何とかなんかじゃない。肉と豆腐と白菜と、それと鍋。大きな鍋を今すぐ買ってくるから」

 俺が勢いよく立ち上がると、智が、
「はりきってるね。あ、でも、白菜と大根はあるからね。こないだ森川さんが畑で採ったのを持ってきてくれたの、台所の奥に置いてある」
 と言った。

 

 外は太陽も光をひそめ、しっかりと寒い。俺はジャンパーを着込んで玄関を出た。向かうのは駅前のショッピングセンター。そこまで行けば、土鍋も売っているはずだ。

 土鍋は重くて大きく、持ち運ぶのもたいへんだろう。それでもバスを乗り継ぎ、買うのだ。なぜか俺は土鍋を買うことに、使命感のようなものを覚え、奮い立っていた。土鍋だけではない、野菜と肉。ポン酢だっているだろう。帰りは両手に大きな袋を提げているはずだと勇んでバス停まで向かいかけ、足を止めた。智は白菜と大根は森川さんにもらったと言っていた。二つも食材をいただいているのだ。荷物でいっぱいになる前に、先に礼を言いに行かないといけない。森川さんは、一緒に古本もったいない市を営んだ仲でもある。無礼があってはだめだ。

 ところで、森川さんの家はどこだっけ。礼に行くと意気込んでみたものの、住所がわからない。いったん帰宅し、智に聞いてみるか。いや、そう言えば、先週回ってきた回覧板にバス停前の住居看板を新しくしたと書いてあった。それを見ればわかるはずだ。回覧板はごくたまに有益な情報をもたらしてくれる。

 俺は住居看板で場所を確認すると、森川さんの家に向かった。バス停から北へ、三つめの筋を入った角が森川さんの住まい。石垣で囲まれたずしりとした家だ。

「おや、加賀野さん、いったいどうした?」

 チャイムを鳴らすと、リラックスした格好の森川さんが出てきた。もう風呂も済ませた後のようで、寝巻の上にカーディガンを羽織っている。勢いよくやってきてしまったが、何の連絡もせずお邪魔するのは迷惑だっただろうか。

「あ、あの、その、こんばんは」
 俺は深々と一礼をした。

「ああ、こんばんは。最近日が暮れるのも早くなったね。あ、中、入っていくかい?」

「いえ、あの」

「寒いし、まあ入りなよ。もうすぐ夕飯できるから、一緒に食ってくか?」

 森川さんは俺を玄関先まで迎え入れると、風呂上がりのつやつやした顔でにこやかに言った。

「いえ、あの今日はただお礼にうかがっただけで、すぐに帰ります」

「お礼? なんだったかいな」

 森川さんは首をかしげた。笹野さんにしても森川さんにしても、しわが刻まれた顔はどことなく安心感を与えてくれる。

「うちの息子から、先日白菜やらをいただいたと聞きまして」

「白菜?……ああ、あれか。あんなもん、うちの庭でちょこっと作ったのを押し付けただけ。それをわざわざ?」

「そうです」

「そりゃ、どうも」

「いえ。当然のことです」
 俺はきちんと義務を果たしたようで、少し誇らしい気分になった。

「で? えっと、その、手ぶらで?」

 森川さんは俺の体を見回した。

「ええ、そう、手ぶらです。……あ、そうか。何かお礼の品を持ってくるべきでしたよね」

「いやいや、そんなもんいるわけない。ただ、わざわざいらっしゃったから、何かあるんかいなと思っただけで。失礼失礼」

「ああ、すみません」
 たいそうに家まで行くのなら、菓子折りの一つでも持ってくるべきだったのだろうか。森川さんの家を訪れた自分に大きな進歩を感じそうになったが、連絡もなく夕飯時に手ぶらで行くとはまぬけだったかもしれない。

「礼なんかいらないのに、あんな野菜で気を遣わせてしまって悪かったな」

「いえ。ありがたいです。今晩、いただいた野菜を鍋にしようと」

「寒いしいいね。だったら、そうだ、よかったら春菊も持って帰って」
 森川さんはそう言うや否や、中に向かって「母ちゃん、野菜、包んで」と声をかけた。

「いいです。これ以上いただくわけには。それに、今から買い物に行くので」

「何を買いに? あるものだったら、持ってってくれりゃいい」

「土鍋を」

「土鍋?」

 森川さんは不思議そうに繰りかえした。

「そうです。土鍋、大きめの鍋を買おうと……」
 鍋を買うのはそんなに奇妙なことだろうか。俺は恐る恐る答えた。

「土鍋かいな。それだったら、うちの持って帰りな。いらない鍋、山ほどあるわ」

「いえ、まさか、鍋だなんていただけません」

 俺が首を横に振るのに、「ええ、ええ、持ってってくれりゃ、助かる。処分に困ってるから」と森川さんは言い、「母ちゃん、鍋も」と声をかけた。

 

 春菊に長ねぎにポン酢に鶏肉が入った大きな土鍋を手に抱え、腕から筑前煮に漬物にポテトサラダが入った紙袋を提げて家に戻ると、
「どういうこと?」
 と、台所で白菜を切っていた智が目を丸くした。

「どういうことというか……」

 森川さんの家での一件を話すと、智は「じいちゃん、ばあちゃんって、本当に人を喜ばせるのが好きなんだね」と笑った。

「丁重にお断りしたんだが」

「鍋までもらっておいて? おっさん、案外ちゃっかりしてるからな」

「鍋などいただけないと言ったのに、断っても断ってもどんどん品が出てきて……」

 森川さんは土鍋どころか、ついでに器はいらないか、やかんはどうだ、このおろし器はよく大根がおろせるなどと、玄関先に台所用品を次々並べ、揚句には、買ったものの乗ってないから持ってってくれと、鍋には一切関係ない自転車まで勧めてきた。それを必死で断っている間に、顔も背格好も森川さんによく似た奥さんが「男、二人なんだって? あんまり自炊しないんじゃない? 邪魔だろうけど、持ってって」と紙袋に料理を詰め込み、この事態となったのだ。

「森川さんはどれだけ物をあげるのが好きなんだ、というより、そもそも、あの家、どれだけ使ってないものがあるんだ?」

 俺が、森川夫妻があれこれ用意する様子を思い出しながらつぶやくと、 「何年も生きてるんだから、使わないものも要らないものも、溜まっていくよ。必要最小限で暮らすのも悪くないけど、思いがけず誰かが来た時、何も渡せるものがないのはちょっと残念だもんね」  と、智は言った。

「ああ、そうだな」

 鍋も布団もないこの家を皮肉っているのだろうか。いや、智は軽口は叩くが、遠回しに批判を込める人間ではない。その程度は智のことをわかってはきた。

「ねえ、これ、せんべいに飴まで入ってるけど」

 智は紙袋からお菓子を出して、「もう五十歳なのに、森川さんから見るとおっさんもまだまだ子どもなんだね」と笑った。

つづく
タイトル画像・デザイン / 山家由希


自分以外の「誰かのためのもの」が家に増えていく幸せーー。

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同じ家にいるのに寝込んだ息子に気がつかない……瀬尾まいこ『傑作はまだ』第16回

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2019.01.24

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連載最終回! 瀬尾まいこ『傑作はまだ』の完結版は電子先行発売中。紙書籍は3月8日より全国書店にて発売予定!

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2019.01.31

瀬尾まいこ(せお・まいこ)

1974(昭和49)年、大阪府生れ。大谷女子大学国文科卒。2001(平成13)年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年単行本『卵の緒』で作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞を、2008年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞を受賞する。他の作品に『図書館の神様』『優しい音楽』『温室デイズ』『僕の明日を照らして』『おしまいのデート』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『春、戻る』『そして、バトンは渡された』など多数。

書籍情報

ブランチBOOK大賞2018受賞作!
『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこ(著)
文春e-Books

たくさんの〈親〉たちにリレーされて育った優子。数奇な運命をたどったけど全然不幸じゃなかった少女の物語。
私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった。これだけ状況が変化していれば、しんどい思いをしたこともある。新しい父親や母親に緊張したり、その家のルールに順応するのに混乱したり、せっかくなじんだ人と別れるのに切なくなったり。(本文より)
幼くして実の母親を亡くし、様々な事情で血の繋がらない〈親〉たちの間をリレーされ、四回も苗字が変わった優子だが、決して不幸だったわけではない! 〈親〉たちの愛を一身にうけて、〈親〉たちのことも愛して、いま十七歳の優子は幸せなのだ。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作!

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