Review

検証。桑田佳祐「ヨシ子さん」は桑田が自分に贈った素敵な還暦祝いである

検証。桑田佳祐「ヨシ子さん」は桑田が自分に贈った素敵な還暦祝いである

特別寄稿 / 小貫信昭

 たとえば駅前の歩道橋の上から「ヨシ子さぁ~ん」と叫んでみたとして、道行くスーツ姿のOLと紀伊國屋のエコ・バックを下げた中年の主婦が振り返ったとする。この二人はアカの他人だが、反応したということは、この名前と何らかの関わりがあるのだろう。

スローガンを掲げたり、泣ける物語にしてみたり、歌にはいろいろあるけれど、「ヨシ子さん」は具体的な名前をタイトルにすることで、むしろ抽象性を目指したと思われる。歌詞の一節をあげつらわれるのはソングライターにはつきもののことであって、桑田もそんな経験をしてきたかもしれないし、ならばこの曲の場合、そうしたことへの送り手からの先制パンチと言えなくもない。

彼が歌の意味を規定するわけじゃないのだが、でも先ほどの歩道橋の一件のように、我々のなかではこの歌が偶然の繋がりを生んだりと様々に作用する。資本主義の定理からすれば、穏当に利潤を稼げるものにこそ投資もされ、結果、人々の目や耳にも触れやすくなるのが常だけど、「ヨシ子さん」はアバンギャルドな側面を持ちつつもどんどんお茶の間に進出していったのだ。なんて愉快な2016年の夏なのだろう。
この曲は、“チキドン”とか“フンガ”とか、印象的なオノマトペに溢れてる。まず“チキドン”から連想されるのは、大正から昭和の時代に商店街の大売り出しなどで活躍したチンドン屋さんのことだ。ただ“チキ”からは『チキ・チキ・バン・バン』(桑田も十代の頃に観たであろう英国の大ヒット・ミュージカル映画)も思い浮かび、つまりこれらの造語が“チキドン”なんだと夢想してみることも可能だろう。“フンガ”はどうだろうか。戦後、和製ポップスの隆興のなかで生まれた“ドドンパ”“スイム”“タムレ”などのニューリズムに対して平成の世から新たなものを提案した、とも受け取れる。しかもこの“フンガ フンガ フンガ”というのは、洋風なようでいて日本の漁師歌のかけ声のような雰囲気もあるところがミソだろう。この言葉を連呼していると、祖先の魂と一緒に力を合わせて綱でも引っ張っているような気分にもなる。

作品の成り立ちに関して、なにかメディアのなかに情報はないかと探したら、「Real Sound」に音楽評論家の萩原健太氏が桑田にインタビューした記事があって、興味深く拝読した。そこで桑田が語るこの曲のキーマンは、彼のファンにはお馴染みのキーボード奏者、片山敦夫であったらしい。“こんな曲もある”と桑田が提示した原型に対し、片山が“盛り上がって”様々なアイデアを加えるうち、気づけばこの曲に関して一時は傍観的でもあった桑田も大いに乗り気になり、完成に至ったという。

そしてリリ-ス直前には、こんなアナウンスがあった。「ヨシ子さん」というのは、「インドとラテンとペルシャと東南アジアが混ざった、無国籍な匂いがする、平成のロバート・ジョンソンともいうべき曲」なのだという。

様々なアイデアを次々と投げ込んでいったのがこの曲ということだろう。その際、片山はヒップホップの世界で言う“トラックメーカー”の役割を果たしたのだろう。

インドに関しては、イントロからしてラーガ的な西洋音楽にはないクネりがある。さらにイラン発祥の楽器「サントゥ-ル」を指で弾いたような音色も印象的(つまりペルシャ)、そしてラテンはどうだろうか。あの音楽の大元となるリズム・パタ-ンはクラーベと呼ばれるが、確かにこの曲、[♪タッツタンタン ツッ タンタン]と、3-2のクラーベで拍子を取ることも可能だ。途中のシンセの展開などには、モンド・ミュージック的な雰囲気も感じられる。

話題のミュージック・ビデオを観ると、カンカン帽に浴衣姿のオッサンが主役であることがわかる。彼は銭湯の夕涼み台に陣取る。でも“このヒト”は、桑田本人なのだろうか? “EDMたぁ何だよ”とべらんめいに問いかけるが、でも桑田なら、(呼び名は当時違ってたとはいえ)とっくにエレクトロなダンス物などやってきてるわけだ。

「ヨシ子さん」がWOWOW開局25周年のキャンペーンのための曲でもあって、同時に桑田が『偉大なる歌謡曲に感謝~東京の唄~』という番組を企画した立場であるなら、このオッサンと桑田に重なる部分もある。自分が愛すべき音楽はなにより歌謡曲であるという立場から、“R&Bって何だよ”“HIPHOPっての教えてよ”と問いかけているなら、合点がいくわけである。
様々な人種が坩堝のごとく登場するのだけど、なぜか「ベビーカステラ」の屋台といった、渋谷の公園通りあたりを思わせる日常もビデオの演出のベースとなっている。さらに(僕の目にはスウェーデンあたりのご出身に思われる)白人女性がセーラー服を着て登場したりもする。これはもはや特定の国籍を越えて“メタ”の領域である。でもこの作品の重要なポイントは、そうやって坩堝を見せつつ、桑田の“everybody say”をキッカケに“アァ~ アァ~ アァ~”と皆で三声でハモる場面があることだろう。この調和への試みは、そのまま平和への祈りだとも思うのだ。

いずれにしても、意識と無意識、どっちが勝っているのかといえば、桑田のなかの無意識が強く働いた作品と言えるだろう。そして無意識は無防備へもつながり、彼が多感な時期を過ごした昭和の時代への憧憬も色濃い。細かいことだが、歌詞の“教えてよ”に敢て“おせえてよ”とルビを振っているのは小松政夫へのオマ-ジュだろうか。ノーリターンはもちろん野坂昭如…。しかしこれが2016年以前のものでは有り得ないのは、“「ブラックスター」で…”とデヴィド・ボウイの死去に触れていることだ。ここだけ画鋲で2016年にしっかり留められてて、あとはひらひらと昭和から平成を泳ぐように行き来している…。そう。そんな感覚もある。

こうして様々に複雑な要素が渦巻いている状態をカオス=混沌と表現する手もある。でも便利な言葉だけど行き止まりの言葉でもある。実は改めて語源を調べてみた。すると古代ギリシャにおいて、最初の混沌がまさにカオスではあるけど、それは始まりでもあり、そこからガイアや エロスが生まれたという考え方もあるそうなのだ。桑田佳祐が御年60歳、めでたく還暦を迎えたことを思い出してみよう。一回りして“赤ちゃん”に戻った彼の、最初のシングルが「ヨシ子さん」。この作品にカオス=混沌が垣間見られるなら、それはここから再び桑田の音楽が新たに羽ばたく予兆ということだ。この作品は、桑田が桑田に贈った素敵な還暦祝いに他ならないのだ。

『ヨシ子さん』

【収録曲】
1.ヨシ子さん(WOWOW開局25周年CMソング)
2.大河の一滴(UCC BLACK無糖TVCMソング)
3.愛のプレリュード(JTB TVCMソング)
4.百万本の赤い薔薇(フジテレビ系列 全国26局ネット「ユアタイム~あなたの時間~」テーマソング)
5.大河の一滴(TV Edit)

【初回限定盤特典ボーナストラック】
6.東京(TOKYO Big Band Session)
7.風の詩を聴かせて(Live at Onagawa Station -2016.03.26-)
8.明日へのマーチ(Live at Onagawa Station -2016.03.26-)
9.明日晴れるかな(Live at Onagawa Station -2016.03.26-)
WOWOW開局25周年記念特別番組“桑田佳祐「偉大なる歌謡曲に感謝 ~東京の唄~」”でのスタジオセッションによってリアレンジされた「東京」に加え、3月末に閉局した“女川さいがいFM”を労うべく宮城県・女川町にて行われたサプライズライブ音源など、計4曲のボーナストラックを収録。


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