佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 79

Column

中江裕司監督ならではの“希望”の映画となった『盆唄』と、ハワイの 「ボンダンス」を結びつけた写真家の岩根愛

中江裕司監督ならではの“希望”の映画となった『盆唄』と、ハワイの  「ボンダンス」を結びつけた写真家の岩根愛

まもなく公開される映画『盆唄』は、福島県双葉町(ふたばまち)に伝わる伝統芸能の「盆唄」と、ハワイの日系人によって継承されている「BON DANCE(ボンダンス)」が、21世紀になってからつながっていく現実を追ったドキュメンタリーだ。

この映画を観終わったとき、ぼくは日本人のリズム感覚の原点を確認できたことと、長年の疑問がいくつも氷解したとことの両方で、心から感謝の気持ちが湧き上がってきた。

大太鼓と小太鼓と笛、それに歌があるというのが、本来の盆踊り音楽の基本だとわかった。
そのことはぼくのライフワークにとって、実に大きな収穫だったのである。

ふたつの太鼓でビートを持続したまま、歌と笛だけが地域ごとのチームに受け継がれて、延々と続いていくシーンが出て来たが、それはプリミティブであるがゆえに四つ打ちのリズムによる現代のダンスと直結している。

とりわけ映画の主人公ともいえる横山さんの太鼓には、もう神がかりともいうべき心地よさがあった。
横山さんの身体から放たれる安定したビートと独特のグルーヴ感は、そのまま世界に通用するレベルの現代の音楽だとも思った。
そういう意味において『盆唄』は音楽映画として、まぎれもない傑作だといえる。

ではここから映画が誕生した背景について、簡単に説明してみたい。

2011年に起こった東日本大震災による大きな被害と、福島第一原子力発電所の放射能事故によって、双葉町の住人たちは故郷に住むことが出来なくなり、現在に至っている。
町民が総出で盛大に催してきた盆踊りという、年に一度の祭りが奪われてしまったことで、「双葉盆唄」は震災から一度も披露されることがないまま、4年目を迎えることになった。

そして故郷を追われて各々がばらばらになり、避難先での生活を余儀なくされていることから、先祖代々によって受け継いできた伝統ある「双葉盆唄」は、このままだと消滅するという危機に直面していた。

そんなある日、太鼓の名手である横山さんを中心にしたメンバーたちが、「双葉盆唄」を復活させようとの思いで練習を始めた。

そこへ写真家の岩根愛さんからもたらされたのが、100年以上前に福島からハワイに移住した人たちが、日系人の間で盆踊りを伝えたことから、今では「ボンダンス」が一般にまで受け継がれているという事実だった。

仕事でハワイを訪れた岩根さんはボンダンスがとても好きになって、2006年から個人的にマウイ島へ通って写真を撮っていた。
そこで太鼓の生演奏で盛り上がる「フクシマオンド」に、初めて出会ったという。

ハワイには日系移民が建てた仏教寺院が多数あり、6月の終わり頃から9月の始め頃まで、夏の間は毎週末どこかお寺でボンダンス(盆踊り)が開催されます。
かつては日系人のイベントでしたが、今ではコミュニティーの1つの大きなイベントとして様々な人種の人が参加し、かなりの盛り上がりを見せています。
ボンダンスプラクティスクラブというのがあり、一年中練習しているお寺もあるんですよ。
曲は全部で30曲くらいあり、皆完璧に踊りこなしています。

東日本大震災があった2011年になって、岩根さんは「フクシマオンド」がいったいどこから、どのようにして伝わって来たのかを調べて行くうちに、ハワイと福島の交流に関わるようになっていく。
そして横山さんたちとも出会うことになった

沖縄を舞台にした映画「ナビィの恋」や「ホテル・ハイビスカス」で知られる中江裕司監督は、終戦の翌年に沖縄の石垣島で結成された平均年齢70歳の長寿楽団「白百合クラブ」の活動を追うドキュメンタリーを2003年に監督した。
そこでスチール撮影していたカメラマンが、当時はまだ20代だった岩根さんだった。

岩根さんから双葉町の人たちとマウイ島の「ボンダンス」のことを聞かされた中江さんは、ぜひともドキュメンタリー映画を監督してほしいと依頼された。

映画のなかで横山さんはハワイで双葉盆唄を伝える若いメンバーに向かって、「私たちの双葉町は地震、津波、原子力発電所の事故で、人が帰れない帰還困難地区になっています。私たちが生きている間に帰れるかはわかりません。子や孫の代になって双葉が復活したときには、これが本物の双葉盆唄なんだと教えて欲しい」と語っていた。

また「双葉が故郷というのは大人のエゴ。子どもたちにとっては避難先が故郷。双葉はいつか復活する。しかし、それを子どもたちに強いるわけにはいかない」とも述べていた。

中江監督はそうした場面を撮影していくなかで、横山さんたちの覚悟を知って、自分なりに映画として完成させていく方向を見出していった。

この覚悟に寄り添って映画を作ることを決意した。
故郷を離れるとき、人は唄をたずさえてゆく。
唄は新たな土地で根付き花ひらく。
福島からハワイへ、北陸から双葉へ。
二百年という長い時間の中で希望がみえてくる。
唄をたずさえて、希望のかなたへ。
皆さん、いっしょに双葉盆唄を!

中江監督ならではの“希望”の映画となった『盆唄』は、昨年の秋に東京国際映画祭でも各国の映画監督から絶賛された。

一般上映を前にして試写会での前評判もきわめて好反応で、SNSや口コミによるヒットが期待されている。

映画は2月15日(金)より東京のテアトル新宿ほかフォーラム福島、まちポレいわきも同時公開される。
なお全国でも順次、ロードショー公開が準備中だ。

©2018テレコムスタッフ

映画『盆唄』オフィシャルサイト

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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