角松敏生デビュー35周年記念特集  vol. 3

Interview

ギタリスト角松敏生ロングインタビュー

ギタリスト角松敏生ロングインタビュー

 角松敏生はシンガーソングライターであり、プロデューサーである。それと共にギタリストである。ライブではカッティングやストロークなどのバッキングワークだけでなく、ギターソロも積極的に弾くシーンは多い。また、アルバムでは超一流ギタリストを起用していることでも有名。国内ギタリストでは、鈴木茂、今剛、松原正樹、土方隆行、青山徹、松木恒秀、森園勝敏、北島健二など一流ギタリスト達が参加。海外ギタリストでは、ジェイ・グレイドン、ラリー・カールトン、アル・マッケイ、デビッド・T・ウォーカー、ナイル・ロジャース、ビル・フリーゼル、マイケル・ランドウなど、N.Y.やL.A.を代表するギタリストが参加しているのだ。もちろん、角松本人もギターでレコーディングし、曲によってはギターソロまで担当。
さらに自らのギターをフィーチャーしたインストゥルメンタルアルバム『SEA IS A LADY』(1987年)、『LEGACY OF YOU』(1990年)の発表。この時代を知っている人にとっては、角松敏生は絶対的なギタリストであり、フュージョンギタリストの1人という認識なのである。この2作のインストアルバム以降は、本来の歌をメインにした作品が多いが、2004年のCROSSOVER JAPANというライブイベントではフュージョンシーンの1アーティストとして参加し、久しぶりに“ギタリスト=角松敏生”を見ることが出来た。その後、2011年に30周年のスペシャルライブとして “Kadomatsu Plays The Guitar“、2013年に“Kadomatsu Plays The Guitar vol.2”と、ギターをフィーチャーしたライブが行われた。このパフォーマンスを待ち焦がれたファンは多かったはずだ。そして今回の35周年記念ライブでも「OSHI-TAO-SHITAI」を披露し、梶原順、鈴木英俊と3人でのギターバトルを繰り広げていた。そんな角松敏生をギタリストとしてフォーカスし、ギターとの出会いや、自身のアルバムに参加した数々のギタリストについて話を訊いた。

取材・文 / 井桁 学 撮影 / 荻原大志


まずは、角松さんとギターの出会いについて聞かせてください。

角松 最初は小学校4年生ぐらいです。兄貴がギターをやっていて、いわゆるGS世代でバンドやっていたんですよ。兄貴に「ギター教えてよ」っていったら、ドレミファソラシドは教えてくれたんだけど、「次、この曲を弾け」って言われて、そんなのできるわけないじゃんって(笑)、そこでつまんないってやめたんですよ。その後、兄貴が留守のときに「GUTS」っていう音楽雑誌があって、その付録で“1週間でギターが弾ける”っていうタブ譜がついている本があって。それを見て弾いたら、コードが弾けたんですよ。それで嬉しくなっちゃって(笑)、兄のいない間に一日中ずっと家で弾いていましたね。

1度挫折しましたが、再度ギターに興味を持ちはじめたと。

角松 改めて小学校5年生でギターを始めたときに、きれいな音が出るから楽しくてしょうがなくて。ギターを弾くことが楽しくてうれしくてしょうがなかったんです。小児喘息持ちで体も弱かったし、頭も大して良くなかったし、どちらかというとイジメられていたんですよ。そのくせ想像力だけたくましいから、仲間に入っていこうとするとみんなにイジメられて。わりと暗黒の小学校時代だったんです。でも、学校行ったら弾けないじゃないですか。だからこっそり親に隠れてギターを持っていったんですよ。学校の休み時間にギターを弾いていたら、黒山の人だかりができちゃって。周りにギターを弾ける子なんていなかったんですよ。それで、「角、ギター弾けるんだ、すげぇな」って、それから誰も僕のことイジメなくなったんですよ。そこから人気者になっちゃって。それがちょっとした転機でしたね。

イジメを救ったキッカケはギターだったのですね。

角松 でもギターを弾いて目立ちたいという気持ちは一切なくて。ただ好きなことをやっていただけで。それで、当時ラジカセを買ってラジオのエアチェックをして洋楽に親しみだしました。主に後期のビートルズが好きで聴いていました。ギターもビートルズの曲を弾いていましたね。

小学校でギターを始めて、一躍人気者になった角松少年はその後どうなっていくのですか?

角松 “ギターを弾く=自己表現する”ことによって自分の社会的立ち位置が変わりましたね。それで、小児喘息もぴったり治っちゃったんです。勉強の成績も上がったし、体力も上がって、いつも運動会はビリだったんですけど、ギターを始めた年の運動会は一等賞だったんですよ。

角松敏生のデビュー35周年記念特集

ギターを始めたことで、劇的に体調が回復するというのは驚きですね。

角松 それだけ自信がなかったというか…。ストレスとかが成長ホルモンを止めていたのかも知れないですね。自分のコンプレックスをギターが解き放ってくれたとしか、僕は思えないんですよ。身長が一気にぐっと伸びましたからね。あれはビックリしました。適正なものに出会うというのは子供にとってすごい重要なことなんだなと思いましたね。

中学時代でのギターとの関わりは?

角松 コピー問題で、中学時代にのけ者にされるんですよ。やっぱり努力嫌いで、コピーするの嫌いなんです(笑)。中学時代に入るとみんなギターをやりだして、その中でも僕はリーダー格なんですけど、文化祭でみんな演奏することになって「この曲やろうぜ」って話になり、「ソロのところ角、弾いて」って言われるんです。

コピーバンドでギターソロを頼まれたけど、コピーは嫌い(笑)。

角松 中学1年のときにアドリブを覚えたんですよ。つまり、コード進行において、この音を弾いていると調性が合うという法則を自分の中で発見したんですね。それで、自分で好きなようにそのコピー曲のKeyに合うアドリブソロを弾いていたんです。そうしたら「お前、レコードと違う」って(笑)、団体行動の規範を乱すことになると(笑)。

アドリブソロはコピーよりも難しいことで、はるかにその先のレベルに行っているんですけどね…(笑)。

角松 「レコードと違うことをやるやつはダメ」って言われてね。コピーめんどくせぇと思いながらもビートルズの「デイ・トリッパー」や「ゲットバック」のコピーもやったんですよ。ジョージ・ハリスンのギタープレイをコピーして…。でも、そんな時期にジェフ・ベックの『ベック・ボガート & アピス』(1973年)やアル・ディ・メオラとかを聴いて、「もう、(コピー)やめやめやめ…無理無理」って(笑)。そこであきらめますもんね(笑)。

テクニカルなプレイのギタリストを知ってコピーするのもあきらめたくなったと。ところで、角松さんと言えば、はっぴいえんどの鈴木茂さんや山下達郎さんが好きというイメージがありますが?

角松 洋楽を触れていく中で、日本のロックにも出会うようになって、それからはっぴいえんどやシュガーベイブだってなっていくんですよ。鈴木茂さんのプレイを聴くとこういうギターもあるんだなって面白いなって思いますね。速弾きするだけがすべてじゃない、味とかがすごく大事なんだって、その中学時代で覚えるんですよね。

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