角松敏生デビュー35周年記念特集  vol. 3

Interview

ギタリスト角松敏生ロングインタビュー

ギタリスト角松敏生ロングインタビュー

8th『BEFORE THE DAYLIGHT』(1988年)では、ナイル・ロジャースやビル・フリーゼル、リヴィング・カラーのヴァーノン・リードなどの有名なギタリストが登場します。

角松 このアルバムで、逆に海外のアーティストに僕をプロデュースしてもらいました。それもスゴイ経験で、向こうのスキル、向こうのアレンジの仕方、楽器の使い方とか最前線のN.Y.のプロデューサーが僕をどうみるか。曲を全部聴かせて、各プロデューサーが何の問題もなく、僕これやる、僕これやるって持って行ってくれたんで、すごい嬉しかったですね。

そんなプログラミング時代の中、ギターインストアルバム『SHE IS A LADY』(1987年)が発売されました。

角松 あのころは経済的にも事務所も左うちわになっていたし、わりと好きなことできたんですよ。ギター弾くのは好きでしたから、隠し芸的なギターインストを作りたいって。インストは高中さんやカシオペア、スクエアなど80年代前半にピークがあったんですよ。でも87年は下火だったんです。だけど、夏と海といったカテゴライズされた指向性、日本人が好む指向性のものを作ったらうけるんじゃないかって、そのときの僕の考えだったんです。

夏と海をテーマにしたギターインストがコンセプト。

角松 僕自身もそういう奇妙な聴き方をしていたんです。この曲は海に行くときに聴くといいんだよなぁとか、でもよくよく歌詞聴くと海の歌でもなんでもないと。コード進行とかリズムプログレッションで日本人って勝手に海とか夏って決めるんだよねって思って。そこに火をつけたらおもしろいだろうと思って、たくらんだのは『SHE IS A LADY』なんです。だから、僕のギターのスキルは全然ひどいわけですよ。ギタリストとして僕は自分をまったく評価していない。あまりにもそのときの自分のギターがひどかったから、もう1枚(『LEGACY OF YOU』)を作ったんです。そこで、もうちょっとちゃんと弾かなきゃって。

今回の35周年ライブでも『SHE IS A LADY』収録の「OSHI-TAO-SHITAI」を披露されていました。

角松 「OSHI-TAO-SHITAI」という曲は、もともとはミュージシャンいじめの曲なんですよ。角松敏生バンドに入りたがるミュージシャンのオーディション曲だったんです。めちゃ変なシンコペ(−ション)で難しくして、それが叩けるドラマーかどうか? そのために作った曲であって(笑)。レコード化するための曲じゃなかったんです。

え、あの名曲がですか(笑)。そして、ここからインストアルバム10th『LEGACY OF YOU』(1990年)につながっていくと。

角松 そこで、津軽三味線と一緒にやりましたね。「Tsugaru (KEIKO)」がそうでしたけど。津軽三味線が音楽界フィーチャリングされる10年以上前ですからね。現・二代目・高橋竹山さんが高橋竹与さんっておっしゃっていた時代で。津軽三味線を取り入れたら面白いんじゃないかということもやっていましたしね。結構果敢に思いつくままやっていましたね。だって当時は27、8歳ぐらいですからね。

そしてその前年の9th『REASON FOR THOUSAND LOVERS』(1989年)になります。

角松 その辺でやってきたことをすべてまとめた時代ですね。海外でも日本でもそうだし、ポンタさんをL.A.に呼んで、ジェイ・グレイドンと一緒にやってもらったりとかしましたね。

角松敏生のデビュー35周年記念特集

他にもバジー・フェイトンやニック・モロック、ポール・ペスコなどのギタリストに加え、スティーヴ・ガッド(Dr)、ティム・ボガード(Ba)など、すごいメンバーでした。

角松 結局そのあとに原点回帰みたいな感じで今度はL.A.に行って11th『ALL IS VANITY』(1991年)を作ると。それこそ、ラリー・カールトンやジョー・サンプルだとかリック・マロッタ(Dr)とかのメンバーを擁しながら、バックトゥベーシックっていう日本でいうところのAOR的な時代のものに一回原点回帰すると。そこらへんで、疲れ始めているからね…、もう凍結が近い。いろいろやりすぎたんでしょうね、デビューから10年ぐらいの間に…。

初期の頃から梶原順さんや浅野“ブッチャー”祥之さんがギタリストとしてライブサポートされていますよね。

角松 実は3枚目まで太田くんというギタリストだったんだけど、違うギタリストを探そうっていうことになって、オーディションをしたんですよ。オーディションをしたときに24歳ぐらいの(梶原)順ちゃんが新進気鋭で出てきていて、ドラムの石川雅春さんの推薦もあったし、当時一番注目株だったし、ほぼ順ちゃんで決まっていたんだけど、何人もギタリストがオーディションに来たんですよ。最後になんと浅野さんが来て。「何やってんの?ブッチャー」って聞いたら、「オーディション受けに来たんだよ。僕、角松の曲好きなんだよ」って。いや、杏里バンドの浅野祥之っていうイメージだったし、他のバックアップでも有名だったから。「今さら僕? 好きだったの?」って。「角松の曲、実はやりたかったんだ」って、それで浅野さん来ちゃったから、みんな困っちゃって(笑)。で、どうするって話になって、そのワンツアーは順ちゃんでやったんだけど、すぐそのあとのツアーはツインギターにして。そのあとからずっと浅野さんになったんです。

解凍後のアルバムレコーディングでは、角松さんはもちろんのこと、浅野さんがメインとなり、浅野さんが亡くなってからは梶原順さんや今剛さんになります。今まで国内外の超一流のギタリストばかり起用している角松さんですが…。

角松 そうですね…、今さん、松原さん、青山徹さん、順ちゃん、ブッチャー…。そういったギタリストが一番お世話になっていますよね。海外ではジェイ・グレイドン、ラリー・カールトン、バジー・フェイトン、ナイル・ロジャース、ヴァーノン・リード、カルロス・リオスだから、もういいだろって(笑)。

このメンツだけみるとAORやフュージョンファンはたまらないですね。そして、現在のライブでは、お馴染みのギタリスト鈴木英俊さんになります。

角松 鈴木くんは、バンドの“空と海と風と”でブッチャーさんと一緒にやっていたから、それをプロデュースしていたのでよく知っていたんですよ。ロックテイストの強い曲なんかはレコーディングでもよくやってもらっていて。空間系からファンキーなバッキングからロック、ディストーションまで彼ほど幅広い職人級のバランスのいい人は、あんまりいないですね。今さん松原さんの世代のフォロワーのスタジオミュージシャンとして生計を立てていた世代の人たちとして残っているのは鈴木くん、順ちゃんぐらいじゃない。そのころ、佐橋くんとか小倉くんとか他にもいろいろいるけど、鈴木くんの職人としての安定感は絶対的ですね。「アレやって」って言ったときに、「アレね」って言ってやってくれる感じ…。

「アレやって」とは、具体的にはどんなリクエストですか?

角松 例えば「グレイドンっぽくやって」とか「ちょっアル・マッケイっぽくやって」とかのニュアンスなんです。好きで聴いてきた洋楽が同じ世代だからこその疎通ですね。

つまりプレイスタイルのフレーズの引き出しが圧倒的に多く、反応が早いと。

角松 そうそう。自分を出すときは自分を出せるし、職人に徹するときは、そのアレをやらなければいけない。

それが出来る職人かそうでないかと。

角松 順ちゃんとか鈴木くんの世代ってアレっぽくっていうとすぐ反応してくれるんですよ。

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