瀬尾まいこの「傑作はまだ」  vol. 18

Story

連載最終回! 瀬尾まいこ『傑作はまだ』の完結版は電子先行発売中。紙書籍は3月8日より全国書店にて発売予定!

連載最終回! 瀬尾まいこ『傑作はまだ』の完結版は電子先行発売中。紙書籍は3月8日より全国書店にて発売予定!
あらすじ

引きこもりの小説家・加賀野<かがの>の元へ、生まれて以来一度も会ったことのなかった息子・智<とも>が突然訪ねてきた。

しばらく泊めてほしいと言う智の頼みで、二人は一緒に暮らすことに--。

息子のことは何も知らない。血がつながっている、ただそれだけの関係。ただそれだけのことがこんなにも俺の心をかき乱す。

『そして、バトンは渡された』で「ブランチBOOK大賞2018」受賞、「キノベス2018」1位獲得、「2019年本屋大賞」にもノミネート‼ 切なくてやさしい物語を送り出してきた作家・瀬尾まいこが、不器用な親子の不思議な同居生活を描く、笑って泣けるハートフルストーリー。

第1回はこちら
瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

瀬尾まいこ『傑作はまだ』新連載スタート!! 小説家・加賀野の元へ、生まれて以来一度も会ったことのない息子が訪ねてきた

2018.12.02

バックナンバー

連載 瀬尾まいこの「傑作はまだ」

連載最終回

第三章

11

 具材を突っ込めば鍋ができるとは言ったものの、そうは簡単にはいかないと思っていた。ところが、鶏肉に白菜に春菊に大根に長ねぎ。それらをただ入れただけで鍋は十分おいしかった。

「ポン酢ってすごいんだな。肉にも野菜にも合う」

「だな」

「白菜ってこんなにとろっとなるんだなあ。いくらでも食べられる」

「そうだね」

「この出汁、おいしいよな。鶏肉っていい出汁が出るんだな」

「おっさん、鍋は何年ぶり?」
 俺が感想を並べるのに、智が笑った。

「どうだろう。いつ食べたか覚えていないくらいだ」

 実家を出てから、鍋を食べた記憶はない。一人での外食で選ぶメニューではないし、鍋自体持っていなかったのだから自宅で食べたこともない。

「そりゃすごいね。これだけ感動してもらえたら鍋も本望だな」

「ああ、森川さんの奥さんが作ってくれた筑前煮も漬物もせんべいもどれもうまい」

「せんべいは市販品だろうけどね。おっさん、実はよく食べるんだね」

 そういう智も鍋を食べ終え、香ばしい音を立ててせんべいをかじっている。
「確かに、えらく食べたな」

 いつもの食事はカロリーメイトやレトルトのカレーなどで十分だ。こんな量を食べることはないし、おいしいとしみじみ感じることも少ない。

「これだけ食べるとお腹が重いな」

「本当に」
 智も満足げにお腹をさすった。

 もう九時になろうとしている。普段は十分もあれば食事を終えられるのに、二時間以上食卓に座っているとは。俺は時計を見て驚いた。鍋はきれいに具がなくなっているし、もう何も食べられそうにないのだから片付ければいいのだが、お腹が膨れて動けそうにない。

「君はもう寝たほうがいい。睡眠とらないと、せっかく鍋を食べたのに、風邪がぶりかえしてしまう」
 俺がそう言うと、智は、
「こんなお腹が膨れた状態で横になったら、胃を壊しちゃうよ。もうちょっと消化してからだな」
 と、またお腹をさすった。

「そうか」

「そうそう。それに、鍋のおかげで風邪もすっきりしたし。おっさん、ありがとう」
 率直に礼を言われ、俺は鍋で温まって赤くなった顔がさらに熱くなるのを感じた。

「いや、食材を切ったのは君だし、俺は鍋に具を放り込んだだけだ」

「鍋にしようと思い立ってくれたのはおっさんだろう。病気になると、二十五年間放っておいた父親ですら優しくしてくれるんだな」
 智はいたずらっぽく笑った。

「いや、そんな。……あ、そうだ、君は怪我することも多いのかな」
 けらけら笑う智の子どもみたいな顔が、泥だらけになっていた写真の姿と重なって、俺はそう聞いた。八年前の秋に送られてきた三枚の写真、それを思い出したのだ。

「怪我……? どうかな。捻挫した覚えはあるけど。どうして?」

「どうしてって、えっと、ほら、これ」
 突然の質問に不思議そうにしている智に、俺は写真をしまってあるファイルを取り出し、松葉杖姿の写真を見せた。

「あ、これ、高校二年生の時だ。うわ、俺ひょろひょろだな」
 智は懐かしそうに写真に食いついた。

「松葉杖の前は泥で汚れた体操服姿で走る写真が送られてきたんだけど。部活中に走っていて怪我したのか?」

「この走っているのは体育祭の写真。俺、リレーのアンカーだったんだ」

「すごいじゃないか。こけたのに走っているなんて」

「こけてなんかないよ」

「体操服、ずいぶん汚れてるけど」

「ああ、それは洗濯出すの忘れてたからだ。そういや、体育祭の日、一日体操服が汗臭くて倒れそうだった。あ、ついでに捻挫は部活中じゃなく、昼休みに鬼ごっこして階段を踏み外したんだよ。俺、お調子者だったから」

「そうだったんだ……。じゃあ、どうして松葉杖ついて、グラウンドを眺めてるんだ?」
 怪我の原因は鬼ごっこかもしれない。けれども、十月に送られてきた写真の智は、真剣な表情でグラウンドを見つめている。

「グラウンド?」

「ほら、じっと見てるの、グラウンドだろう」

「ああ、これは家の近所の小学校のグラウンド。同じアパートの子が小学四年生でリトルリーグのエースやっててさ、どれだけすごいのか休みの日に試合見に行ったんだ」

「そうなんだ……。でも、どうしてそんな写真を撮ったんだ?」

「一ヶ月に一度おっさんに写真送る約束になってたのに、この月は写すの忘れてたんじゃない? 確か、おふくろが、写真撮らなきゃとか言いながらグラウンドまでカメラぶら下げてきた記憶がある」

「そっか……。じゃあ……」

「うん。申し訳ないけど、十一月の泥まみれの写真も、走って転んで汗かいてってドラマティックな姿じゃないよ。これは高校で幼稚園との交流会に行って、子どもたちと芋掘りした時の。必死で芋掘ってたらこんな顔になったってだけ」

「そうなんだ」

 当時苦悩していた自分と照らし合わせ、智の写真に、怪我をしても必死で立ち向かっているのだと勝手な想像を膨らませていた。汚れても傷ついても必死で前を向いている姿だと胸を熱くしていた。だけど、現実は少し違ったようだ。

「けれど、おふくろ、なんで、よりによって三ヶ月続けてこんな写真選んだんだろうね。高校の二学期なんて文化祭も合唱祭もあったから、もっといいのありそうなのに」

「そうなんだ」

「そうそう。学校で販売されてた写真だって他に何枚も買ったのに」

 もしかして……。俺はファイルをめくってみた。智の日常を切り取った写真。幼少期は、歩いたり走ったりご飯を食べていたりといろんな姿があるが、小学生のころからは部屋の中でただ立っているスナップが多く、高校二年生の泥だらけの写真のように特徴のあるものはない。考えすぎかとページをめくって小学五年生の七月の写真に目が留まった。

「これは?」
 小学生の智は、満面の笑みで手に表彰状を持っている。

「なんだっけ?」
 智は目を凝らして写真を見ると、「あ、一学期休まなかったから皆勤賞もらったやつだ」と言った。

「皆勤賞。すごいんだな」

「そんなの、すごくないよ。俺、小学四年生の時はマラソン大会で優勝したし、中学一年生の時は市の絵画展で佳作だったんだよ。あ、書道コンクールでも表彰されたことある。それなのに、賞状持ってる写真って、これだけじゃん。もっとすごい賞の写真送ればいいのに。おふくろの価値観ってちょっとずれてるんだよなあ」
 智はファイルをめくりながら文句を言った。

 智が小学五年生ということは、俺が三十六歳の時だ。十四年前。何があっただろうか。ああ、そうだ。何年かぶりの冷夏で涼しかった夏。記憶を少したどるだけで思い出すことができた。

 その年の七月、俺は二年連続で候補に選出された文学賞に落選した。一年目は惜しくも逃したが、今年は確実に取るだろうと周りから言われていた。作品の出来もよかったし、本の売り上げも上々だった。ところが、一年前と同様だめだった。賞を狙っていたわけでもないし、取り立てて欲しいと思ってもいなかったが、二年連続の落選に俺の小説はいまいちだと、評価を下されたようで多少気はめいった。

「おふくろは元気だったらそれでいいっていうおおらかな人だから、マラソンや書道の賞より、皆勤賞が貴重だったのかな。いや、どう考えても、マラソン大会優勝のほうがすごいよなあ」
 智はそう言うと、「ちょっと、これ見てよ」と次のページの写真を指さした。

 何か意味があるのではと考えてしまうのは、小説家のくせかもしれない。毎月写真を撮っているのだ。二百四十一枚の写真。そのうちの何枚かが、俺の境遇と当てはまっていても何の不思議もない。

「この写真の俺、髪の毛、左右長さが全然違うだろう。おふくろに切られて、がたがただったんだよな。俺、小学校卒業するまで家で散髪してたんだよ。こんな髪型で出歩いてたんだ。今見るとぞっとする」
 智は自分の姿に苦笑した。

「子どもだからおかしくないよ」

「本当? あ、俺チビだったのが、中学一年生で突然背が伸びだしてさ、このころ洋服きつくて」
 智はページをめくってそう言った。

「少しズボンの丈が合ってないかな」

「だろう。背の順、一気に三番から十一番になったんだよ」

「すごい伸び方じゃないか。この三ヶ月見比べると、手足がぐっと長くなっているな」

「そうそう。成長痛で夜中足が痛かったっけ」

 夜は確実に深まっている。けれど、お腹がいっぱいでまだ動けそうにないのだから、食卓で写真を眺めるのも悪くない。

「この何ヶ月か同じような写真が続くんだけど」
 俺は中学二年生の智の写真を指した。服装が違うだけで、ほぼ同じ表情で憮然と座っている写真が六枚は続いている。

「あはは。このころ反抗期だったんだよ。写真撮るから笑えって言われてもさ。月一回母親に写真撮られるの、思春期の男子にしたらつらいよ」

「だろうな。あ、この辺りかな? 反抗期が終わったの」

「かもね。俺、うっすら笑ってるもんな」

 十万円を送り、その返事に送られてきた写真。毎月の決まりでただの受領書のようになっていたそれらが、突然動きだしたように思えた。

つづきは完結版へ
タイトル画像・デザイン / 山家由希


『傑作はまだ』の連載は今回が最終回になります。この連載に書きおろしを加えた完結版は3月8日(金)より全国書店にて発売予定です。また、紙書籍の発売に先駆けて、Reader Storeでは、電子書籍版を独占先行配信開始! 詳しくはこちらから。

第17回はこちら
この家は自分のための物しかない。瀬尾まいこ『傑作はまだ』第17回

この家は自分のための物しかない。瀬尾まいこ『傑作はまだ』第17回

2019.01.27

『傑作はまだ』発売情報

著者:瀬尾まいこ
発行:ソニー・ミュージックエンタテインメント
発売:エムオン・エンタテインメント

引きこもりの小説家・加賀野の元へ、生まれて以来25年間一度も会ったことのなかった息子・智が突然訪ねてきた。その真意を測りかねる加賀野だが、しばらく泊めてほしいと言う智に押し切られ、二人は奇妙な同居生活を始めることに--。息子のことは何も知らない。血がつながっている、ただそれだけの関係。ただそれだけのことがこんなにも俺の心をかき乱す。『そして、バトンは渡された』など切なくてやさしい物語を送り出してきた作家・瀬尾まいこが、不器用な親子の不思議な同居生活を描くハートフルストーリー。

紙書籍の詳細はこちらhttp://www.m-on-books.jp/book/id013685

2019年本屋大賞ノミネート作家・瀬尾まいこの最新作『傑作はまだ』が書籍化決定!

2019年本屋大賞ノミネート作家・瀬尾まいこの最新作『傑作はまだ』が書籍化決定!

2019.01.25

瀬尾まいこ(せお・まいこ)

1974(昭和49)年、大阪府生れ。大谷女子大学国文科卒。2001(平成13)年、「卵の緒」で坊っちゃん文学賞大賞を受賞し、翌年単行本『卵の緒』で作家デビュー。2005年『幸福な食卓』で吉川英治文学新人賞を、2008年『戸村飯店 青春100連発』で坪田譲治文学賞を受賞する。他の作品に『図書館の神様』『優しい音楽』『温室デイズ』『僕の明日を照らして』『おしまいのデート』『僕らのごはんは明日で待ってる』『あと少し、もう少し』『春、戻る』『そして、バトンは渡された』など多数。

書籍情報

ブランチBOOK大賞2018受賞作!
『そして、バトンは渡された』

瀬尾まいこ(著)
文春e-Books

たくさんの〈親〉たちにリレーされて育った優子。数奇な運命をたどったけど全然不幸じゃなかった少女の物語。
私には父親が三人、母親が二人いる。家族の形態は、十七年間で七回も変わった。これだけ状況が変化していれば、しんどい思いをしたこともある。新しい父親や母親に緊張したり、その家のルールに順応するのに混乱したり、せっかくなじんだ人と別れるのに切なくなったり。(本文より)
幼くして実の母親を亡くし、様々な事情で血の繋がらない〈親〉たちの間をリレーされ、四回も苗字が変わった優子だが、決して不幸だったわけではない! 〈親〉たちの愛を一身にうけて、〈親〉たちのことも愛して、いま十七歳の優子は幸せなのだ。身近な人が愛おしくなる、著者会心の感動作!

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