LIVE SHUTTLE  vol. 330

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大江千里 ジャズ・ピアニストとしてセルフカバーした意欲作に込めた想いを自ら解き明かした特別な時間

大江千里 ジャズ・ピアニストとしてセルフカバーした意欲作に込めた想いを自ら解き明かした特別な時間

Japan tour 2019“Boys & Girls,again-January-”
1月28日 TOKYO FMホール 

デビュー35周年を迎えたジャズ・ピアニスト大江千里は昨年9月、ユニークなアルバムをリリースした。『Boys & Girls』は、1983年のデビュー曲「ワラビーぬぎすてて」や、ヒット曲「格好悪いふられ方」などの“ポップ時代”のナンバーを、ジャズピアニスとしてカバーするという内容。シンガーソングライターからジャズ・ピアニストへと進化した千里ならではのアプローチは、音楽シーンで大きな話題を呼んだ。そのアルバムをメインにしたライブが、今回の“Boys & Girls,again-January-”だ。会場は千里がパーソナリティを務めていた番組の収録場所だったTOKYO FMホールで、開演を待つオーディエンスには当時の記憶を行き来する表情が浮かんでいる。しかし、もっとも当時の思い出に揺さぶられていたのは、大江千里本人だった。

暗転になり、スポットライトを浴びながら大江がステージに上る。ステージにはグランドピアノが置かれ、キーボードの反対側には客席が特設されている。そこも満席だ。千里はフロアの客席にはもちろん、特設席にも両手を広げて満面の笑みで挨拶し、ピアノ椅子に座って右手で「January」のメロディを弾き始めた。

1985年の傑作アルバム『乳房』収録の曲で、歌詞は新しい年を迎えた恋人たちの様子を描いていて、この日のオープニングにピッタリだ。オーディエンスはジャズで演奏される名曲の世界に、すんなりと引き込まれていく。と、ピアノの音の他に何か聴こえてきた。ん? これは鼻水をすする音では? そう、いちばん感極まっていたのは、大江だった。それでも演奏は佳境に入っていく。オープニング曲が終わると、会場は大きな拍手に包まれた。

大江は立ち上がって、ピアノの上に置かれていたマイクを手に取ると話し始めた。

「ようこそ、TOKYO FMホールへ。このライブの直前にいろいろ思い出してしまいました・・・駆けつけてくれた皆さんに、感謝します。めちゃくちゃ嬉しい!」。この挨拶の合い間にも、大江はしばしば声を詰まらせる。涙はないが、鼻の奥に思いが込み上げているようだ。

「35年間、あっという間で、初めてレコード会社のディレクターの方に会ったのが、ついこの前のことのようです。イバラの道でね、楽しいだけじゃなかった。皆さんの人生もそうでしょ?」と大江は続ける。「このホールで、いろんなアーティストと一緒にやりました。初めて会って、“何、やる?”って話して、ここでそれをやる。7年間でしたけど、毎回本番は緊張しました」と言いながら、ホールの高い天井に目を向ける。その視線の先には、音楽活動をスタートさせた頃の不安や歓びが見え隠れしていたのだろう。大江はジャケットのボタンを外して両手を広げ、また感謝の意を表わす。「それではジャズ・ピアニストになった大江千里が、この3曲お送りします」と言って、再びピアノに向かった。

「ワラビーぬぎすてて」は「Wallabee Shoes」、「10people 10colors」(十人十色)、「Never See You Again」(格好悪いふられ方)と呼び方を変えて、大江はジャズ・ピアニストとして自作の楽曲に新しい命を吹き込む。「Wallabee Shoes」では足を踏み鳴らし、スキップするようなビートで演奏する。サビでは椅子から腰を浮かせて、オーディエンスを先導する。まだ時折、“ハナススリ音”が混じるものの、5拍子にアレンジされた「10people 10colors」、左手の低音が印象的な「Never See You Again」と、進むにつれてライブには自然な一体感が生まれていった。

「今回、バイナルのLP(アナログ盤)を作ったんですけど、デビューアルバムの『WAKU WAKU』もLPだった。あのジャケットはCG合成じゃなくて、高い場所からカメラマンさんが実際に撮ってくれた。ムリな姿勢を取ってたので、だんだん顔がむくんできたりしましたが、でもその甲斐もあってキュートでしょ」と、35年前のエピソードを語る。「35年経って、僕の曲を聴いてくれたいろんな人の人生の中で、いろんな意味が出てきたこれらの楽曲を、ジャズに新たに仕上げて感じました。これからが青春です。そんな気持ちを込めて」と次の「Boys & Girls」(1984年の4枚目のシングル)へ。 

テンションの効いたコードで1行目のメロディを奏でた途端、ぶわっと風が吹いたように、会場の雰囲気が一変した。僕はこの日のライブがどんなものになるのかを、あまり予想しないで観に来た。というより、きわめて特殊な大江のキャリアと、珍しいアルバムの成り立ちを考えると、前例がないだけに予想がつかなかったのだ。だが、「Boys & Girls」を聴いていると思うことがあった。大江はジャズ・ピアニストとして、かつての自作曲に向かい合っている。その日、その場所で感じたことをプレイに反映させるのがジャズであるならば、「Boys & Girls」の演奏はアルバムから離れ、TOKYO FMホールとそこを埋めたオーディエンス、そして何より大江自身の想いが深く反映されたジャズだった。

その傾向は「Rain」でさらに深まる。大江のピアノに乗って、この名曲はオーディエンスの心の中で歌われていた。あるいは大江の歌心が、ピアノからあふれ出していた。この夜のライブの醍醐味は、寧ろそこにあった。もしかするとアルバム『Boys & Girls』の意図が、ライブ“Boys & Girls”によって解凍された瞬間だったのかもしれない。それほど大江のパフォーマンスは、予想を越えていた。続く「Tiny Snow」は、2016年発表のジャズ・アルバム『answer july』収録の曲で、歌詞は大江の尊敬するジョン・ヘンドリックスが書き下ろしてくれた。誰も歌っていないのに、英語詞が言語の壁を越えてスッと入ってくる。これもまたピアノ・インストならではのマジックで、この日のライブの特殊性と可能性を指し示していて驚かされた。

終わると大江は一度、ステージを去り、すぐにタオルを持って再登場。物販のことをひとしきり話して笑いを取る。このあたりの緩急の効いた進行も、実に大江らしい。

「報告があります。『Boys & Girls』がグラミー賞4部門でコンシダレーションになりました。なんと僕にも当日の招待状が来たんですよ」という嬉しい報せの後、新曲を2曲、オーディエンスにプレゼントする。ボサノヴァ・タッチの「Bikini」と、ロック・テイストの「Orange Desert」で会場を盛り上げる。そのプレゼントに、オーディエンスはノリノリのハンドクラップで応えたのだった。

すっかり和んだ会場で、大江は生来のエンターテイナーぶりを発揮する。弾けるようなビートの「Jessio`s Bar」(84年)では、途中で立ち上がって「Are you ready?」と観客を煽り、ぐいぐい温度を上げていく。ジャズ・ピアニストにあるまじきパフォーマンスだ(笑)。ラグタイム・タッチの「The Adventure of Uncle Senri」では音楽的ユーモアをたっぷり盛り込んで演奏。終わると、帽子を取って両手を広げるいつものポーズで大歓声を浴びていた。

大江は「もう時間がな~い!」と名残り惜しそうに告げて、ラストチューンの「YOU」を弾き始める。するとシンコペーションの効いたメロディが、オーディエンスの“心の中の歌”をまた呼び起こして感動を呼んだのだった。

特大のアンコールの拍手が鳴り響く中、登場した大江は深々と頭を下げる。

「今日は僕にとって、特別な時間になりました。このピアノ、この空間にいられるのは、僕の歌をそれぞれの人生の中で奏でてくれたみんながいてくれたからです。5月には、僕の好きなトリオのメンバーを連れてブルーノートに帰ってきます。楽しみにしていてください。そして何より今、伝えたいのは、この場所にみなさんの人生をチューニングしてくれて……」。ここまで話すと、大江は込み上げる想いに言葉が出なくなった。

「ありがと」と短く言って、最後の曲は「Arigato」。ラストナンバーにふさわしいバラードを、噛みしめるように弾く。オーディエンスも静まり返って聴き入る。最後の一音が消えたとき、ステージの背後を染めるオレンジ色の光の中に、大江のシルエットが黒く浮かび上がった。

終演後、大江は「指で歌っていると、込み上げるものがあった」と語った。まさにオンリーワンの、大江千里にしかできない、奇跡のエンターテイメントだった。

取材・文 / 平山雄一 撮影 / 鈴木圭

Japan tour 2019“Boys & Girls,again-January-”
1月28日 TOKYO FMホール

セットリスト

1. January
2. Wallabee Shoes
3. 10people,10colors
4. Never See You Again
5. Boys&Girls
6. Rain
7. Tiny Snow
8. The Very Secret Spring
9. Bikini
10. Orange Desert
11. 帰郷
12. Jessio’s Bar
13. The Adventure of Uncle Senri
14. YOU
[ENCORE]
En-1. Arigato

その他の大江千里の作品はこちらへ。

大江千里

1983年にシンガー・ソングライターとしてエピックソニーからデビュー。2007年末までに45枚のシングルと18枚のオリジナル・アルバムを発表。音楽活動のほかにも、俳優として映画やテレビドラマに出演。またNHK「トップランナー」のMC、ラジオ番組のパーソナリティ、エッセイや小説も執筆。
2008年、日本国内の音楽活動に一区切りをつけ、ジャズ・ピアニストを目指しNYへ。THE NEW SCHOOL FOR JAZZ AND CONTEMPORARY MUSICへ入学しジャズピアノを専攻。AARON GOLDBERGやJUNIOR MANCEなどのピアニストに師事。2012年卒業。自身がNYに設立したレーベル、PND RECORD & MUSIC PUBLISHINGから、ジャズ・ピアニストとしてのデビュー作『BOYS MATURE SLOW』を同年7月に全米発売。翌年には2枚目の『SPOOKY HOTEL』を発売。両アルバムともにNYのジャズ誌で取り上げられ、話題となる。日本ではBILLBORD JAPAN JAZZ CHARTSでともに1位を獲得した。ジャズ4枚目の『answer july』がグラミー賞ジャズボーカル部門でコンシダレーションに選ばれる。この夏、ソノロピアノとして初のデトロイトジャズ出演をスタンディングオベーションにて成功させる。
現在、NY在住。月一でジャズクラブ「トミジャズ」でライブをやりながら自身のレーベルPNDを運営している。

オフィシャルサイト
http://peaceneverdie.com

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