Interview

鈴木拡樹が極める役者道。舞台『どろろ』で“相棒”と共に歩み続ける果てなき旅路

鈴木拡樹が極める役者道。舞台『どろろ』で“相棒”と共に歩み続ける果てなき旅路

手塚治虫・未完の長編漫画を原作とした舞台『どろろ』が3月2日(土)より梅田芸術劇場・シアター・ドラマシティにて上演される。本作はテレビアニメと舞台の連動企画として、テレビアニメが1月からすでに放送中。体を失った作り物の男・百鬼丸が“どろろ”という相棒と共に妖怪を退治しながら自らの本当の体を見つけるというダークファンタジーの物語で、アニメ&舞台の両作において主人公・百鬼丸を務めるのが、鈴木拡樹だ。
テレビアニメで声優に初挑戦した彼が、舞台ではどのように百鬼丸を演じるのか? 求道者のごとくどこまでも芝居を極めようとする彼の目の前に広がる“役者道”、その一端を探る。

取材・文 / 竹下力 撮影 / 冨田望


アニメ独特のスピード感を舞台で再現したい

まず、舞台版の脚本・演出の西田大輔さんの脚本を拝見させていただき、原作を存分に活かした内容でとても感動しました。

そうですね。なにより、本作はアニメの放送中に上演することも特徴的ですね。アニメを欠かさず追っていただいている方は続きを気にしながら観られますし、舞台版ならではのお話も体感できる素敵な脚本になっています。

脚本から西田大輔流の作劇の面白さを感じましたか。

稽古をしていけばしっかり見えてくると思いますが、ト書きから西田さんの殺陣の華やかさやスピード感が随所に見受けられますね。今回も僕が演じる百鬼丸だけではなく、登場人物の多くが殺陣を披露することになるので、独特のスピード感を舞台で再現したいと思っています。

演出の西田さんについて伺わせてください。『煉獄に笑う』(17)でご一緒したときの印象はいかがでしたか。

すべてにおいて決断が早いです。おそらく明確な答えを持っている方で、回答がスピーディーです。まさに「迷ったら、聞くべし」ですね(笑)。お芝居のパートは、質問したら「こう演じて欲しい」と提案してくれますし、僕から提示した芝居を採用してくださることもあります。稽古場では自分のお芝居を試しながら、西田さんの描いている世界観をつくりたいです。

本作に話を戻すと、ライバルである多宝丸(有澤樟太郎)と対峙する百鬼丸がやはり気になりますね。

原作やアニメをご覧になった方はご存知だと思いますが、多宝丸と百鬼丸は兄弟であり、訳あって離れ離れになって、お互い兄弟だと知らないまま出会うことになります。その瞬間がとてもスリリングです。百鬼丸はお互いの関係性がわかるにつれて、多宝丸とぶつかりたくないという気持ちが芽生えるのですが、激突しなければいけなくなる。なので「ぶつかりたくないけれど、ぶつからないといけない」という複雑な心境を舞台では表現したいですね。

鈴木さんはすでにアニメでも百鬼丸を演じていますね。

アニメのサブタイトルに「鬼か、人か」と付けられていますが、“人間”とはなんだろうと考えさせる哲学的な作品でもあって。百鬼丸は、原作よりも人間味がない、人形のような存在で、何を考えているのかわからないし、最小限の動きで自分を表現している。だからこそ視聴者は、相棒になる“どろろ”(CV:鈴木梨央)と同じように、「百鬼丸は今何を考えているのだろう?」と感じながらアニメをご覧になっていると思います。

あまり感情を表に出さないように。多くを表現しすぎないように

百鬼丸は原作と同じように、最初は手足だけではなく、耳や鼻や口、顔さえない存在としてこの世に生を受けます。そうすると声ではなく所作だけで演じる部分が多くなると思うのですが、どのように演じていきますか。

もちろん、自分の中に百鬼丸の感情を流していく必要はありますが、あまり感情を表に出さないように、多くを表現しすぎないようにしたいですね。アニメと同じように、僕の動きに反応した“どろろ”(北原里英)の感情が百鬼丸の答えになると思うので、それがお客様に届けば嬉しいです。

アニメが舞台版での役づくりに参考になる部分はありますか。

アニメでは、百鬼丸が喋れないからこそ、彼の性格がその行動に見え隠れしていた気がします。たとえば、右手の義手を取って仕込み刀を使って戦うときは、戦闘での効率性を考えて、左腕で右の義手を抜いて刀を取り出し、腕がバラバラにならないように戦う。彼の人生では当たり前の部分が役づくりに活かせそうですね。

アニメで百鬼丸を演じ、舞台でも同じ役を演じることの難しさはあったりするのでしょうか。

みんなでつくった空気感で演じることが大切だと思っているので、それほど感じてはいないですね。つまり、どちらの現場にも「こんな作品を届けたい」という熱意を持ち込むことが大事だと思っています。舞台とアニメ、周りのキャストが違いますから、百鬼丸のお芝居のニュアンスも自然に変わると思っています。僕自身も、百鬼丸の新鮮な一面を受け取ることができそうなので本番が楽しみです。

この作品は、もともと強い主人公が敵を倒していけばいくほど、普通の人間になって弱くなってしまうという設定で、最近の漫画には見られない傾向だと思いますが、鈴木さんは原作からどんなことを感じられたのでしょう。

あきらかに手塚治虫先生の『ジャングル大帝』や『ブラック・ジャック』とは系統が違いますよね。今作はバトルアクションではあるのですが、おっしゃるように、敵を打ち倒して人間に戻れば戻るほど弱くなっていく。主人公が強くなって成長したいという目的の漫画ではないんです。バトル系の漫画であれば修行を重ねて強くなるところを描くと思いますが、『どろろ』はもともとあるべき自分の体を取り戻そうという想いで旅を続けていく。それでいて、実際に人間になればなるほど感じてしまう弱さに困惑していくんです。百鬼丸が“人間”を取り戻していくにつれて、僕らが当たり前に感じていた“人間”の存在について深く考えさせられると思います。アニメで演じてみると、ノドで喋ることがどれくらい他者とコミュニケーションをとるのに大切なのかをひしひしと感じましたから。

お互いなくてはならない相手だと気づく。“バディもの”

原作もアニメも拝見させていただいて思ったのですが、手塚さんには、『どろろ』のようにハードで暗いお話でも、底抜けに明るいところがあるような気がします。

やはり“どろろ”の存在ですね。ひょんなことから一緒に旅を続けていくのですが、お互いなくてはならない相手だと気づくようになります。ある意味、本作は“バディもの(対照的なキャラクターふたりが手を取り合って難題に立ち向かう物語)”だと思っていて。百鬼丸はあまり喋らないので、明るく舞台を彩ってくれるのが“どろろ”なんです。時代背景も笑顔が少なかった時代だからこそ、抗って戦い続ける“どろろ”の性格が舞台を明るく見せてくれる。“どろろ”が明るくなればなるほど、ほとんど喋らない百鬼丸の弱いところ、彼の気持ちが揺れ動くシーンが活きてくるんですね。

別の言い方をすれば、百鬼丸が本来の自分自身の人生を獲得していくお話だとも思いますが、鈴木さんは約十数年役者を続けてきて、振り返ってみると、役者としてどんなものを得てきた人生だと思いますか。

新しい公演に出演するごとにつねに課題が見つかる役者人生ですね。それが苦しくもあり、楽しい(笑)。だからこそ役者を続けることができた十数年だったと思います。役者はキリのない挑戦だから大好きで。今作でも座長として板の上に立ちますが、そういう体験も貴重な経験に繋がっていきます。それから、昔からいろいろな座組みに参加させていただき、尊敬する方たちを見続けました。理想の先輩たちに近づけるように切磋琢磨して、それをお客様の前で発揮できる場所をいただけていることも光栄なことですね。

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