【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 111

Column

CHAGE&ASKA 倫敦に行かず、倫敦を“呼び寄せ”完成した『ENERGY』

CHAGE&ASKA 倫敦に行かず、倫敦を“呼び寄せ”完成した『ENERGY』

先日、ASKAのライブを観てきた。紛れもないASKAであった。このヒトの歌には、他の人には感じない奥行きがあり、かといって幅が狭いわけではなく、老若男女、聴く者すべてが彼の歌世界に抱かれて、“聴いた”に留まらず、“体験した”気分になる。いやもう、ズビズビそうなりました、心の芯まで。終演後、楽屋でちらっと会ったけど、本人、とても充実した表情をしてた。というわけで、さて本題です。

CHAGE&ASKAを巡るストーリーも、80年代後半である。1988年頃というと、ASKAがソロ・アルバム『SCENE』をリリースする。最近、リマスター盤が再発された。久しぶりに聴いてみたが、やはり「MIDNIGHT 2 CALL」。これはイイ。僕はこの歌を聴くたびに、最後の最後、“片手で上着を掴むんじゃな~い 我慢しろー”と、主人公に向かって叫びそうになる。分かりますよね、この気持ち(歌のシチュエーションは違うけど、松本隆作詞・吉田拓郎作曲の「外は白い雪の夜」と並ぶくらいの“大人の名曲”だと思ってる)。

CHAGE&ASKAがジャニーズのアイドル・グループ「光GENJI」にヒット曲を提供したのもこの頃である(懐かしいなあ、この少年達…。みんな、体を張ってたよね)。そもそもはアンドルー・ロイド・ウェバーが音楽を担当し、役者が全員ロ-ラ-スケ-ト履いて登場するロンドン・ミュージカルの『スターライトエクスプレス』に触発され結成されたのだろうけど(ワタシ、このミュ-ジカル、わざわざロンドンまで取材に行きました)、ローラースケートを履いて歌番組に出てくるグループなんて、二度と登場しないだろう。

CHAGE&ASKAは、彼らにデビューから関わっており(デビュー曲の「STAR LIGHT」はASKA作詞CHAGE&ASKA作曲)、その後の大ヒット「ガラスの十代」「パラダイス銀河」は、ご存知、ASKAの作詞・作曲である。特に「ガラスの十代」。壊れそうなモノばかりを[集めてしまうよ]ってところ。改めて思うけど、これは歌謡史に残る名フレーズである。 

なんだか「光GENJI」の話になったが、80年代コラムなのでお許しを…。でもアーティストにとって、対外活動というのは無意味なことではなく、やがて自分達へ還元されるものなのである。特にポップ・ミュージックをやっている人間にとって、“時代と周波数のあった”音楽性を実感・実践する上で、得がたいヒントにもなるわけだ。いや実際のところ、彼らにとってこの経験は、まさに自分達へ還元されたのである。

しかしこの時期、彼らは対外活動ソロ活動以外にも、もちろんツアーを準備し、行っていたわけであり、多忙に多忙が重なり精神的に無精髭ボーボーだったのかもしれない。実はロンドン・レコーディングが予定されていたというが、準備がままならず、延期となっている。

その代わり、といってはなんだが、行けないならロンドンからエンジニアやミュージシャンを呼ぼう、ということで、東京でレコ-ディングされたのがこの年の11月にリリ-スされた『ENERGY』だった。

ちょうどこの頃、ASKAは友人とレコーディング・スタジオを建設し、その“こけら落とし”として、このアルバムが制作されたのである。このあたり、なかなか面白い巡り合わせではないか。その際、ASKAは日進月歩であるスタジオ機材の“宿命”を理解していたので、買い揃えるのではなく、すべてリースにしたという。

この場合、自分達のプライベート・スタジオではなく、外にも貸し出すものだったが、それでも自分達が何かを閃き、レコーディングしたい時には有利に使えただろうし、またひとつ、さらにCHAGE&ASKAが飛躍する環境が整ったといえる。実はスタジオって、好き勝手に使えるようで、そうじゃないのだ。お気に入りの場所であっても、たまたま予約が埋まってたら、使えない。世界中で熱狂的に受け入れられた頃のビートルズだって、アビイロード・スタジオを自由に使えたわけではなかった。

『ENERGY』には、エンジニアのレニー・ヒルとうヒトが来日し、彼の選択でドラムのリチャ-ド・スティーヴンス、ベースのデズモンド・フォスター、ギターのグレン・ナイチンゲールが選ばれ、参加している。ぱっとこの名前をみて、(もの凄くこの時代の洋楽に詳しいヒト以外でも)知ってそうなのはグレン・ナイチンゲールだろうか…。

タイトル・チューンの「Energy」を聴けばすぐ分かるが、やはりこれまで制作されてきた国内のミュージシャン達とは音が違う。日本のドラムの名手達が“背筋で叩いている”感じなのに較べ、ここで聴かれる音は“腕っぷしで叩いている”ように聞える。しかしこれ、レニー・ヒルというヒトの録り方なのか新しいスタジオの特性なのか、様々な要因あってのことだろう。でも、ハッキリ言えるのはこのアルバムのエコー感で、全体的に深めだ(ベースがレゲエ~ダブ方面のミュージシャンだからってわけではないんだろうが…)。

面白いのは「夢のあとさき」で、イエスのスティーヴ・ハウのようなスパニッシュ・ギターの前奏から、まさにレゲエ~ダブ色の強いロンドン・パンク的な胸熱な世界へと一気に突入する展開をみせるのだ。しかしCHAGEが書いたメロディは美しく、全体として、他では聴けないバランスの仕上がりとなっている。

CHAGEといえば、他にもこのアルバムなら「東京Doll」が有名だろう。この時、ロンドンからやってきたミュージシャンの生態もヒントに生まれた楽曲だというが、歌詞の内容はともかく、この作品の“急いた”テンポ感こそが、バブルの真っ只中、そうでなくても眠らない街であった当時の東京の、リアルな雰囲気を伝えるかのようなのだ。

なお、『ENERGY』のレコーディング・エピソードとして、ロンドンからやってきたミュージシャン達は“譜面が読めなかった”といったことが書かれているが、このあたりはまさに“両刃の剣”であり、読めるヒトを集めればアレンジャーの設計図どおりのものが完成し、一方、大まかに“こんな感じネ”と演奏する人達なら、スタジオ内のマジックが生まれやすい。いずれにしても、設計図アリにしてもナシにしても、そこに携わる人達が、どれだけ引き出し持っていて、さらにその引き出しの、どこを開けるのがこの場合適切かを判断出来るのかに係っている。

翌1989年は、CHAGEのソロ活動(正確に言うと別グループのMULTI MAXの活動)が始まる。気付けば彼らは、デビュー10周年を迎えていた。中身が濃い10年であった。CHAGEとASKAという、それぞれの円は、それぞれに半径を広げ、“存在感の面積”を増し、ここに至った。お互いの半径が広がったのであるなら、たとえそれが5㎝だけ重なったのだとしても、実質的な面積は、過去より大きなものとなる。そう。その重なり、より面積の大きなものが、この先、待ち受けている。

文 / 小貫信昭

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