黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 25

Interview

ゲームプロデュースの最先端 齊藤陽介氏(上)これじゃ『与作』しかできないぞ?

ゲームプロデュースの最先端 齊藤陽介氏(上)これじゃ『与作』しかできないぞ?

ホントはオモチャ業界に入りたかったんですけど……

それはちょっと違いますよね(笑)。それで「カセットビジョン」では遊ばれたんですか?

齊藤 けっこう遊びましたね。で、そのあとなんだかんだで「ファミコン」が家にきて、『ドラクエ』とかを遊んで。『ドラクエIII』はなかなか買えなかった思い出がありますね。

でも、その頃は今のようなお仕事に就くとは……。

齊藤 全然(キッパリ)。これっぽっちも思っていなかったです、ハイ。

その頃、将来こうしたいみたいな、お考えはあったんですか?

齊藤 両親が両方とも銀行員で、なんとなく自分も銀行……とはいっても、当然そんなすごい銀行には入れないですからね。地銀とかで人のカネを数えるのがオレの仕事かなと思っていたんです。でも、人のカネを数えるのもつまんないなと。やっぱり楽しい仕事がいいなと思って、ホントはオモチャ業界に入りたかったんですけど、いくつか内定をいただいた中からエニックスを選んだんです。

なぜエニックスだったんでしょうか。当時のエニックスって、まだいろいろなことをやっていた時期ですよね。堀井(雄二)さんのお話だと(注8)、たとえば公団住宅の案内とか、いろいろグッズを作ったりとか。それはご存知だったんですか?

注8:エンタメ異人伝vol.5堀井雄二氏の回で、まだベンチャー的な気質が強かった黎明期のエニックスについて堀井氏が語っている。

ドラクエ堀井雄二氏(上)知られざる幼少期、マンガの神々

ドラクエ堀井雄二氏(上)知られざる幼少期、マンガの神々

2017.06.18

オレがメチャクチャしても潰れないな、この会社(エニックス)は……

齊藤 ちょっと話が長くなるんですけど、私は大学で勉強をまったくしなかったんですね。

水泳は続けられなかったんですか? 付属高校からのエスカレーターですから当然誘われますよね。

齊藤 そうなんですけど、大学に入ってまでストイックに泳いだりとか絶対にイヤだと思って。大学は遊ぶところだと勝手に思っていたんです。

遊ぶところですか(笑)。

齊藤 それでも水からは離れられなくてスキューバダイビングをやっていましたけどね。で、まあ勉強はしなかったんですけど、経済学部だったんでP/L(損益計算書)とB/S(貸借対照表)が読めるようにはなっていて、エニックスがいかに優良な企業かっていうことが分かったんです。

大学時代 アルバイト先にて

そこから分析したんですか!

齊藤 そうなんです。預金は山ほどあるし社員も100人くらいしかいないから、オレがメチャクチャしても潰れないな、この会社はっていう。

うわあ、すごい決め方をされたんですね。

齊藤 ちょうどバブルが弾けた年だったんですが、ナムコさんとかセガさんからも内定をいただいていました。ただ、さっき言ったように自分はオモチャ業界志望で、本当に行きたかったのはバンダイだったんです。ところが、バンダイは落ちちゃいまして。タカラは内定をいただいたんですけどね。でも、「オレがリカちゃん人形やったら世も末だな」と思って、お断りしちゃったんです(笑)。

新入社員でも大きな声出せば社長まで届くんじゃないか……

それは当時ありましたね。じゃあ、ホントに会社の預金残高とか、健全さとかが基準だったんですか。

齊藤 ホントそれだけです。大学では「中小企業論」っていう中小企業のことを勉強するゼミに入っていましたから。でも、ゼミの教授から「なんで一部上場から内定もらってんのに、店頭公開の会社に行くんだ」って言われちゃいまして。いやいや、いつもアナタがゼミで言っていることと違うじゃねえかって思いましたね(笑)。

アハハハ、そうですよね。

齊藤 でも、ありがたかったですよ。中小企業のことを勉強していたから、エニックスをいい会社だなと思えたわけですし。だから、まあ潰れないだろうし、100人ぐらいの会社だから新入社員でも大きな声出せば社長まで届くんじゃないかぐらいに思っていましたね。すでにナムコさんやセガさんは1000人以上いる会社になっていましたから。

高いビジョンを持って入られたんですね。

齊藤 完全なカン違いでしたけどね。新入社員の言葉なんて聞くわけがない(笑)。とにかく、そんなトチ狂ったワケのわかんない考え方でエニックスに入ったんです。

僕は堀井さんから、エニックスは最初小滝橋にあったみたいな話を聞いたんですけど、齊藤さんが入られたのはもう初台の頃ですか?

齊藤 違います。小滝橋通りと職安通りの交差点にある木村屋ビルっていうところでした。

その頃もまだエニックスは住宅情報などをやりつつみたいな?

齊藤 そういったことをやっていた役員はまだ残っていましたけど、稼業という意味では多分もう終わっていたと思いますね。出版部門が立ち上がって少し経ったくらいだったと思うので。でも、おかしな会社でしたよ。ゲーム開発の隣で中国からパソコンラックとか椅子を仕入れて売ったりしていましたからね。ちょっと前だと醤油とかも売っていましたし。

醤油の話は聞いたことがあります。

齊藤 その醤油が中国でシェア2位になったんですよ。それで、すごいと思ったら1位のシェアが90何パーセント以上で、それじゃあ意味ないでしょっていう(笑)。

< 1 2 3 4 >
vol.24
vol.25
vol.26