
誰からも愛される「K」。海を渡って来た彼が初めて語る日本と自分
総力特集 海を渡ってきたJ-POPシンガー「K」 vol.1
取材・文 / 森 朋之 撮影 / 森崎純子
当時の韓国には、ピアノの弾き語りをやっているアーティストはほとんどいなかった

Kさんのこれまでのキャリアを振り返っていきたいと思います。2004年に韓国でデビュー、翌年2005年に日本でデビュー。このときの経緯を教えてもらえますか?
韓国でデビューアルバムを出す前から、裏方の仕事をしていたんですよね。作曲家の方の弟子みたいな形で、車の運転とか掃除、譜面を書くのを手伝ったり。その後デビューしたわけですけど、韓国は兵役に行かなくちゃいけないから「活動を一旦ストップして、軍隊に行くのもいいかなと」と思っていたんです。それが2004年の夏なんですが、そのときにちょうど日本のスタッフが弾き語りのアーティストを探しているという話を聞いて。当時の韓国には、ピアノの弾き語りをやっているアーティストはほとんどいなかったんですよ。踊ったり、立ってバラードを歌うシンガーが多かったので。で、オーディションを受けてみようと思ったんですよね。落ちたら兵役に行こうと思ってたんですけど、運よく受かったので、じゃあ、日本でやってみようと。初めて日本に来たのが2004年の10月で、そこからレコーディングや撮影がどんどん始まって。そのときは日本に住みたいっていう感じではなかったんですけどね。スムーズに活動できるとも思ってなかったので。
日本の音楽シーンのことは知ってました?
そんなに詳しいわけではなかったけど、日本の音楽は好きでしたね。MISIAさん、平井堅さん、中島美嘉さんも知っていたし、坂本龍一さんのサントラのアルバムがヒットしたり。あと、カシオペアとT-スクエアがすごく人気だったんですよ。日本のアニメとかも観ていたので、日本に対する興味はありました。

1stシングル「over…」のリリースは2005年3月でした。
最初の頃は作家さんに曲を書いてもらってたんですけど、「この楽曲が出たら、日本で自分のことが知られるかもしれない」という期待半分、あとは「本当に受け入れられるんだろうか?」という不安もありましたね。テレビのスポットで自分の顔を見たときも信じられなかったし、ハラハラドキドキと不安、楽しさと嬉しさが混ざり合って、一言では言えないような気持ちでした。すごく貴重な経験だったし、ああいうことは一生味わえないんだろうなって思いますね。
プロデュースは松尾潔さん。R&Bのテイストが入った楽曲は、Kさんの基本的なスタイルにつながっているかもしれないですね。
当時はいまよりもジャンルを意識していたかもしれないです。「この曲はロック」「これはJ-POP」ということをすごく考えていたというか。いまは「自分が好きなことをやればいい」という感覚なので、ジャンルは関係なくなってますけどね。「over…」の制作は2004年の11月だったんですけど、その頃は日本語がほとんどしゃべれなかったんです。レコード会社のディレクターさん、スタッフの人たちが考えていることも、通訳さんを通して教えてもらっていて。
コミュニケーションがいまのようにスムーズではなかった?
そうですよね。この前、たまたま当時のディレクターの方と話す機会があったんですけど「あのときは大変だった」って言ってました(笑)。韓国出身でこういう音楽性のアーティストはいなかったし、プロモーションのときも「この子(K)が現場のスタッフにどう思われるだろう?」という不安もあったって。だからスタッフは必死だったと思います。もちろん、僕も僕なりに必死でしたけどね。