【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 112

Column

CHAGE&ASKA 時代にモノ申すだけじゃなく、論より証拠を示す「LOVE SONG」は偉い!

CHAGE&ASKA 時代にモノ申すだけじゃなく、論より証拠を示す「LOVE SONG」は偉い!

“アーティスト”という言葉は、周囲で関わる人間達が“金づる”である歌手やミュージシャンをおだてるために使い始めたものだということを、どこかで読んだことがある。でも確かに、ちょっと歌えたり楽器が弾けるだけで“芸術家”の称号が手に入るなら、誰も苦労しないだろう。では真のアーティストとはどういう人達なのか。“アート”と認められる作品を、積み重ねてきて初めて、そう呼ばれるだろう。

ただ“売れ”ればいいわけじゃない。己を信じ、送り出した作品が、大衆に備わる審美眼に、長く耐え得るものだった場合のみ、その仲間入りを果たすのだ(悪い例が日本の90年代だ。多くのミリオン・アーティストが生まれたが、それらの人々のなかで、いま、我々が真の“アーティスト”として記憶している人達はごく僅かである)。

1989年3月。CHAGE&ASKAは「WALK」というシングルをリリースする。作詞・作曲をしたASKAは、こんな発言をしている。

僕らには時期さえくれば、絶対に世の中をとらえる自信がある。その時期がきた時、“やっぱりいい作品をずっと歌ってきたよね”と言われるような歌を書かなきゃいけないんじゃないかと思った。だから『WALK』もヒットが目的じゃなくて“いい作品を歌ってるんだね”と言われることが目的だったんだ。
(『飛鳥涼論 −けれど空は青−』石原信一・著(角川書店))

私達は、その後の彼らを知ってる。なのでこの発言を、有言実行だったよな、と、振り返ることが出来る。しかしこの時点では未確定。未来に向け、こんな気持ちで制作するのは並大抵じゃなかったはずだ。誰だって、一刻も早く認められたい。ヒット曲だって欲しい。彼らしい、信念に満ちた言葉である。

「WALK」のどこが“アート”なのか。そもそも演奏時間である。手元の時計で5分59秒(も)あった。シングル・カットする楽曲にしては大作だ。ラジオでフル・コーラスかかる可能性は非常に低い。さらにこの曲は、ヒットするポップ・ソングに不可欠な、キャッチィな“掴み”を用意したフシがない。

歌詞の構成も、夢と現実をミルフィーユ状に描く感覚であり(脳が“まどろむ”状態をそのまま活写したようなパートもある)一般的とはいえない。出だしはシンセのパッドを活かした浮遊感あふれる雰囲気が続いていく。これ、けっこう続く。そこまでして描きたいこと(もちろん歌詞の世界観とも呼応したものが)あったのだろう。

とはいえ聴き終えた時点で、ずいぶん抽象的なものを聴かされたな、という印象ではない。“♪la la la”という、コーラス的パートをあえて主メロにエディットさせてるみたいなとこも斬新だし、もちろんサビのメロディは、今では実に有名なものとなっている。

さらに心に残るのは、聴き終わった後に知る、「WALK」というタイトルの意味だ。主人公は、「君」が居てこそ[歩きだせる]と言ってる。タイトルを目にした瞬間、大半の人は自ら“歩き出していく”能動的な歌だと察するが、実は受動的な歌でもあり、でもそれは、相手に対する依存というわけではなく、ここに描かれる関係は、ギブ・アンド・テイク、フィフティ・フィフティを基本精神にしている。[勇気づけて]と乞うが、[暖めるよ]と手を差し延べてもいる。

「WALK」の3か月あと、CHAGE&ASKAは“めったにそんなタイトルつけないでしょ”という新曲をシングル・カットする。「LOVE SONG」だ。ただ、この歌はもともと“SOUL”というタイトルだったらしい。曲を書いたASKAはそう主張したが(確かに歌詞では、この言葉がキーワードである)、CHAGEが難色を示したので現タイトルになったという(僕も正直なところ、「LOVE SONG」で正解だったのではと思う)。

ところでこの歌、当時の音楽シーンに“モノ申している”ことでも知られている。

この曲を書いた頃はバンド・ブームの真っ最中。もしこのレベルの音楽が日本の音楽シーンの主流になるなら、自分たちにとっては少々つらい道が待ってるぞって思いも、曲の中に顔を出してるね。そして、こんな温もりのある歌を作りたい、歌いたいという意思表示でもあった。
(月刊カドカワ92年6月号)

ASKAはこのように振り返っている。ここで補足だが、彼はバンドの音楽を全面否定しているわけじゃない。この時代、新人バンドに対して青田買いが起こり、雨後の竹の子のごとくデビューし、しかも安易に演奏が成り立つタテノリ・ビートがまん延したことへの危惧が、この想いを生んだわけである。

さらに言うなら、音圧の高いロックの前で、繊細で暖かな表現を旨とするポップスは、ヘタするとかき消されかねなかった状況でもあった。彼らがやりたい“温もりのある歌”にとっては、不遇の時代だったわけだ。

「LOVE SONG」の歌詞を眺めてみれば、確かにこれらの想いが“顔を出してる”([半オンスの拳]という表現など)。でも押し付けではなく、あくまで客観的に眺め、書かれている。曲が進むたびに状態が変化していく歌だ。まずワン・コーラス目。とっかかりは前述の通り、“自分達のようにニュアンス豊かなポップスをやる人間には、生きづらい世の中になっちゃった”ということ。普通、こういう想いを描こうとすると“吐き捨て”口調にもなるが、そこはASKAであり、根っからの“美メロ男子”だと分かる快調な歌い出しである。

興味深いのは[君に出逢い]からのツー・コーラス目だ。このあと、それが歌を作る動機ともなって、さらにシンガー・ソング・ライターの“歌作り工房”の内部をご覧に入れます的なノリにもなる。[恋が歌になろうと]のあたりの部分である。

画期的なことに、「LOVE SONG」という歌のなかで、実際に“歌が作られていく”のだ。そして形になったものが、サビの部分だ。[君を描く]ことで己の[SOUL]が具現化し、果たされた結果である。いわばこの歌の6割ほどは歌のサナギの状態。ここから蝶へと孵化する。蝶になったからこそ、主人公の想いは「君」へと飛び立つわけだ。

思えば「WALK」も「LOVE SONG」も、凝った作りの歌だけど、全体としては、ひとつひとつが聴き手をやさしく包んでくれる。ただ、こうやって並べると、「WALK」と「LOVE SONG」では、主人公の恋愛観がちょっと違う。でもまぁそのあたりは「恋は異なもの味なもの」ということで…。

文 / 小貫信昭

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