佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 83

Column

大友良英の「ぼくはこんな音楽を聴いて育った」を読み終わったら、連載再開の知らせが届いた!

大友良英の「ぼくはこんな音楽を聴いて育った」を読み終わったら、連載再開の知らせが届いた!

日曜日の夜にNHKの大河ドラマ『いだてん』を見終わると、作者である宮藤官九郎がつくりあげた世界、すなわち“クドカンワールド”からしばらくの間は抜け出せなくなる。
さまざまなシーンを思い出しては、ふっと笑ったり、なるほどと気づいたり、急に胸がしめつけられたりして、なかなか余韻が消えないのだ。
それと同時に、音楽を担当している大友良英の“大友ワールド”が、かすかに鳴り続けていることにも気付かされる。

ツイッター上では毎回、音楽に関する反応がとても多い。
大河ドラマとは思えない軽やかで明るく勢いのある音楽が、知らず知らずのうちに緊張にさらされている心を、くすぐるように解きほぐしてくれるからなのだろうか。

視聴者のTwitter上での反応①
視聴者のTwitter上での反応②

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もう3~4か月前から読んでいた大友氏の単行本「ぼくはこんな音楽を聴いて育った」は、幼少期から思春期にかけての出来事を綴った自伝的エッセイだ。
全42話のうち24話までが書き下ろし、それ以降が『webちくま』での連載をまとめたもので、どのページを開いても風通しの良い文章で書かれていて、とても読みやすい。

とにかく描かれている体験談が具体的で面白いので、アーティストやレコードのことなどを、微に入り細に入り調べたくなってきて、ついつい寄り道をせざるを得なくなる。
とくに読み物としても独立しているコラムでは、そこに書かれてあるレコードや楽曲について、突っ込んで勉強したい気になってしまうのだ。

だから疑問を疑問のまま残して簡単に前へは進めなかったし、寄り道すればするほど知識も増えていくから、敬遠してきたたジャンルや未知の音楽にも出会えて楽しかった。

そんなわけで、とても充実した時間を過ごしてきたのはいいが、その分だけ読み終わるまでに時間がかかってしまったのである。

ぼくはこんな音楽を聴いて育った

大友良英(著) / 筑摩書房

大友氏は「はじめに」の冒頭で、こんな切実な文章を載せていた。

十代の頃は、自分が楽器を弾けるようになるなんて夢にも思ってませんでした。でも、もう音楽家になりたくて、なりたくて、理由はわかりません。物心ついた時からポップス歌謡曲が大好きだったんです。音楽が流れると踊りだすような、そんな子供でした。でも学校の音楽ほんとに嫌いで…。音痴だし、音符も読めないし、楽器もできない。いつも授業中は萎縮して小さくなってました。それでも、もう中学の頃には音楽家になりたいって思いは止められず、でも、そんなこと人に言えるわけがありません。黙って、一人で夢だけ見て悩んでました。どうやったら楽器が弾けるようになるのかって。どうやったら音楽の世界に行けるようになるのかって。

福島市に住んでいた中学3年生のとき、高校受験を目前に控えていながらも、大友氏はキング・クリムゾンのアルバム『太陽と戦慄』と『暗黒の世界』、それにNHK-FMから流れてくる現代音楽、そしてファンだった山口百恵のシングルやアルバムを、大きなヘッドフォンを装着して、やたらにデカい音量で聴いていたという。

そこからは、なんとしても音楽に近づきたいと思いながらも、具体的にはどうすれば良いのかがわからず、やみくもに音楽にハマろうとしている少年の姿が浮かび上がってくる。

部屋にはでっかい山口百恵のポスターが貼ってあった。山口百恵を眺めながら『暗黒の世界』や現代音楽を聴いていたのだ。クラスの男子は桜田淳子派と山口百恵派に二分していて、桜田淳子派8割、山口百恵派2割、当時は圧倒的に目のクリクリした桜田淳子優勢だったけど、オレは憂いを帯びた細い目で低い声で歌う山口百恵が好きだったのだ。媚びてない感じがしたのかな。たった一つ年上なだけのアイドルがえらく大人でかっこいいもんに見えたし、多分明るい音楽が聴きたくなかったんだと思う。

この文章の細部に垣間見えているリアリティと、音楽を受容するときの直感力は、ほんものの音楽家のものだと感心してしまった。

「明るい音楽が聴きたくなかったんだ」って、思春期においては実に大切なことだと思う。

また、この本は細部にこだわっていて、ちょっとしたキャプションの文章にも、意外な情報が盛り込まれていて楽しめる。
先に引用した文章が載っていたページの左隅には、小さな文字でこんなことが書いてあった。

*次ページ写真。この『百恵の季節』にはいっている「夢の恋人」が中3当時、一番好きだった百恵ちゃんの曲でした。

そうなると気になって、この「夢の恋人」を聴かないわけにはいかなくなる。
アルバム『百恵の季節』はリアルタイムで聴いていたが、「夢の恋人」はまったく憶えていなかった。
だからCDボックスを引っ張り出してきて、ひさしぶりに聴いてみたのだが、そうするともっと詳しいことが知りたくなった。

そこでどうしてオールディーズ風の曲調だったのかについて考えたり、参考にしたと思われる洋楽について調べたりしていると、疑問が疑問を呼んで切りがなくなってくる。
もちろん、そういうことをやっていると、あっというまに時間が過ぎてしまう。

そういえば、表紙の写真を見て「高校生なのにGibsonなのか?!」と最初に驚いたのだが、読み終わった後になってから、折返しの帯の陰に隠れる部分にさりげなく、その答が書かれていることに気づいた。

1978年3学期、18歳、高校の卒業アルバムより

こんな格好で写真をとっているの全校でオレだけでした。
ギターのロゴがGibsonになってますが、これはシルバーの模型用塗料を使って自分で書き換えたもの。
友だちの楽器もGibsonやFenderに書き換えてあげたりしてました。

そして、このユーモアと自由度こそが“大友ワールド”根本なんだなあと、あらためて納得したのだった。
そんなとき、大友氏から連載再開のお知らせがタイミング良く届いた。

さっそくその第3話を読んでみると、またしても筆者が知らなかった素晴らしい音楽のことが書いてある。

盲目の黒人ローランド・カークのアルバム『ヴォランティアード・スレイヴリー(奴隷志願)』について、東京に出てきた頃はいつもA面ばかりを聴いていたという話なのだが、なかなか面白くてためになった。

そこで実際にそのA面を聴いてみたら、とても嬉しくなった。

音楽の自由度がまるで「“大友ワールド”そのものじゃないか」と思ったからだった。

もちろん、これは最大の誉めことばである。
いみじくも大友氏はこのアルバムについて、“音楽の理想郷があるような感じがする”とまで述べていた。

どういうことなのか?

このアルバム、もちろんジャズなんだけど、なんか芸術っぽい立派な感じがしないのよ。雑な感じとでもいうか、へんなサイケ感があるというか、ストリート感とでもいったらいいのかな。どのジャンルにもはまらない整理されてない雑然とした感じとか、上手いんだか下手なんだかわからない微妙だけどすごい勢いのリズムセクションとか、なんかタンバリンだけたたいてるおっさんが入っているとか、カーク本人も興が乗るとサックスを複数同時に吹くだけじゃ飽き足らず叫びだしたり歌い出したり。なんだかメチャクチャなのに楽しくてなんでも受け入れてしまうような感じが素敵ですね、このローランド・カーク1968年録音の『ボランティアード・スレイヴリー』のA面には音楽の理想郷があるような感じがして、今に至るまでオレのフェイヴァリットレコードであり続けているのです。

今後も大河ドラマの『いだてん』には、歴史に残る画期的な作品となるようにと、脚本にも演出にも音楽にも、大きな期待を持ち続けていきたい。

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

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