Interview

映画『怒り』でも強い存在感。俳優として引く手数多のピエール瀧の「本業」とは?

映画『怒り』でも強い存在感。俳優として引く手数多のピエール瀧の「本業」とは?

映画に、ドラマに、CMに、その姿を観ない日はないと言っても過言ではない存在となった、ピエール瀧。そんな彼が、李 相日監督最新作『怒り』の刑事・南條邦久役に抜擢され、残忍な夫婦殺人事件をめぐる3つの異なるエピソードを束ねる重要な役回りを演じている。
今や、日本で最も忙しい俳優の一人となった彼。しかし意外や、俳優は“本業”ではないと語る。そのマイペースなキャラクターと足取りで、気が付いてみればかつてない立ち位置で、事実上の“国民的俳優”へと歩みを進める、規格外の男の発言に注目して欲しい。

取材・文 / 千葉一郎 撮影 / 冨田 望

本業は、電気グルーヴですよ。僕のことをミュージシャンだと思ってない人もいっぱいいますけど(笑)

完成した映画『怒り』はいかがでしたか?

観終わってちょうど夕方の6時くらいですかね、有楽町の街中に放り出されたんですけど、「なんで日曜の夕方にこんな気分で街に放り出されなきゃいけないんだ?」っていうような気分になって。あんなに賑やかで楽しそうだった日曜の有楽町が「こんなに風景って変わっちゃうものなのか?」っていう……。街の見え方が全然変わるような感じで。もちろん街は変わってないですから、こっちの心持ちだったりとか、精神状態がそういうふうになるってことだと思うんですけど。話を知っている側でさえ、そう思うわけですから、たぶん話を知らない人が初見で観たら、相当持っていかれるんだろうなって気がします。何を観せられたのかよくわからないっていう感じ?だけど、何かしらの感情だけは確実にねじ込まれていて、あきらかに自分の中で、何かちょっと、世の中の見え方が変わったりとかする。浮かれ気分の人が観る映画ではないのかなって気はしますけどね(笑)。ただ、うかつに観た人が観終わったあとに打ちのめされるっていうのは、たぶん、作り手側にとってはすごくいいセットだと思う。

もしかしたら、“オールスター”キャストである意味合いは、そういうところにもあるのかもしれないですね。どんどん、うかつに観て欲しいっていう。記者会見では「この顔ぶれの中に自分がいることが意外だ」みたいなことをおっしゃっていましたけれども。

そりゃそうですよ!フェスに出てる人いないですもん、ほかに(笑)。

映画『怒り』 ピエール瀧

たしかに(笑)。映画にドラマに、近年の引く手数多の状況は、ご自身ではどう感じていますか?

誘っていただけるというか、面白がってくださる方がいるので実現できてるっていうのが大前提ではありますし、そういうところに甘えて、いろんなものづくりの現場を見られるっていうのはラッキーだなと思いますね。だからといって、自分が役者の仲間入りをしたっていう感覚はもちろんないんですが。

もう10年以上、俳優の仕事はされてると思うんですが、今でもないですか?

ないですねー。やっぱり、ここを“本業”として自分が認識してないというか。そういう部分では甘えた状態でやらせてもらえてるのが、すごくラッキーな状況だっていうことも理解してるので。プロのみなさんはすごいなあとも思うし。そういうふうに自分の中では線は引いてますけどね。思い上がんないように。

映画『怒り』 ピエール瀧

ちなみに、「本業は?」と聞かれたら……。

本業は、電気グルーヴですよ。一応ね(笑)。僕のことをミュージシャンだと思ってない人もいっぱいいますけど(笑)。

俳優として、自分に求められているものは何だと思いますか?

やっぱり、違和感じゃないですか? 普段、そういうプロのフィールドでやってるみなさんの中に、僕みたいな、半分素人みたいなやつを入れることによって、予定調和にならないような部分だったりとか、例えば音楽で言うと、シンセとかリズムマシンの音の中に生音のサンプリングを放り込むと、急にちょっと奇妙な感じも出たりするっていうようなものと近いのかもしれない。すべてがコントロールどおり動く中に、思いどおりに動かないものをちょんと入れてはめ込むと、それによって周りのものの見え方が変わったりするじゃないですか。そういうような感じなのかなあという気はしてますけど。

映画『怒り』 ピエール瀧

そうして呼ばれた今作の李組なんですけど、実際、どうでしたか?

まあ、李さんの噂というか、すごく大変だっていうのはいろいろ聞いてました。テイクも重ねるし、いろんな部分でとにかく妥協しない組である、っていうようなことを。僕は妥協の産物みたいなものですから(笑)、そこまで研ぎ澄まされた演技を積み重ねていくような現場で、果たして自分がそこに噛み合えるスキルがあるのか?というような部分では若干、不安はありました。実際、現場で演出なり雰囲気なりを体験して感じたことは、やっぱり“高み”を目指してるんですよね。もっと高い山があるのかもしれないと。あと、役者の“念”も込みでRECしたいっていうような部分で「もうワンテイク」ってところもあったでしょうし。

なるほど。

なんにしろ、中身を濃くしよう、そのシーンの重みをもうちょっと重くしてみようというような部分にすべて集約されていたと思うんですよね、その「大変だ」ってみなさんが言ってる部分が。そこに関しては、もちろん楽ではなかったですよ。正直言って大変でしたけど、非常に理解はできました。ものを作るって、やっぱりそういうものじゃないですか。音楽だと、歌入れのときに、ピッチも合ってるし、譜割もリズムも合ってるんだけど、もうちょっと感情入るんじゃねえか?とか。あるいは、サビに入るところ、ちょっと声がかすれて入ったけど、かすれて入ったほうがいいっていうような部分ってあるじゃないですか。ほんとは音程も合わせて、譜割どおりきちっと入るのが正解と言えるのかもしれないけど、“歌”ってそれが正解というか。ちょっとずれてたり、なんか声が裏返ったりしたほうが叙情的に聴こえたり……というような部分を、たぶん監督は映画というもので突き詰めたいのかなっていう気はしましたけどね。

どういう演出の指示が出されるんですか?

「こうしてくれ」っていう感じよりも、おだやかに理路整然と、すごく落ち着いたトーンで「もう一回」ってくるんで、そうなると、こっちの覚悟も違ってくるじゃないですか、なんか(笑)。そういうふうに、追い込まれるって言ったら変ですけど、研ぎ澄ましてやるようになりますよね、やっぱり。

1 2 >