【KING of R&R】忌野清志郎と光る服  vol. 1

Interview

忌野清志郎という光〜衣装アーティストと写真家が見たステージの表と裏〜

忌野清志郎という光〜衣装アーティストと写真家が見たステージの表と裏〜

没後7年。いまなお多くの若者、ミュージシャンに影響を与え続ける“KING OF ROCK’N ROLL”忌野清志郎。
既成の枠や概念に囚われない彼の音楽、言動、ファッション、スタイルは常に注目を集め、音楽シーンのみならず広く世界にメッセージを発信し続けた。
反戦・反原発を歌ったアルバム『COVERS』が発売禁止となり、その存在感と「反骨」を見せつけた1988年から1991年1月活動休止宣言まで、衣装デザイン・スタイリングを手がけたRuu Ruu。
ザ・ローリング・ストーンズとRCサクセションとが撮りたくて写真を始め、現在はストーンズのオフィシャル・フォトグラファーを務める有賀幹夫さん。
音楽評論家とは違う立場で忌野清志郎という不世出のアーティストを見つめてきた二人に、ステージの表と裏、彼が放ったメッセージについて、語ってもらった。

構成・文 村崎文香

忌野清志郎と光る服

photo by MIKIO ARIGA

はじまりは一本の電話

1988年からRCサクセションが活動休止した1991年まで、実質3年間にわたって忌野清志郎さんの衣装をつくっていらっしゃいますが、どういう経緯で手がけることになったのですか?

Ruu Ruu 清志郎さんの当時のマネージャー、片岡たまきさんから突然電話が来たんです。「衣装をつくってください」と。突然でびっくりしたけれど、「あ、はい」と答えて。そうしたら、サイズを言われて、「わかりますよね?」と。正直、あんまりわかってなかったんだけど「はい」と。

1988年といえば空前のバンド・ブーム。さまざまなスタイルのバンドがデビューし、音楽シーンが活気に溢れていた時代。その中でRCサクセションは“ミュージシャンズ・ミュージシャン”、若いミュージシャンにとって憧れのバンドだった。とくに、衣装はもちろんのこと、清志郎さんのステージ・パフォーマンスは注目されていました。

Ruu Ruu そうですね。若いミュージシャンにとって、清志郎さんは雲の上の存在だったみたい。衣装をつくっている、って言ったら「凄いですね」とよく言われました。

清志郎さんとはもともと面識が?

Ruu Ruu いいえ、全然。私は1年、スペインで暮らしながら旅をして、ボウシをつくりはじめ、70個くらいたまったボウシをバッグに詰めてパリへと飛んだ。そしてボウシ屋になろうと決めて、日本に帰ってから1988年3月に千駄ヶ谷でボウシ屋を始めたばかりだったんです。金子マリさんとは友人で、彼女にボウシや衣装をつくったりはしていたので、それがきっかけだったみたいですね。
「わかりますよね?」というのは、清志郎さんのステージでのスタイルのことでした。当時の清志郎さんは、ランニングの上にシャツを着て、そのうえにジャケットを羽織って、ステージで一枚一枚脱いで放り投げていく、それがパフォーマンスにもなっていた。そういうのに沿ってつくってください、という意味だったと後からわかりました。

実際にはどのLIVEの衣装を?

Ruu Ruu 最初の依頼は1988年5月の渋谷公会堂の衣装でした。
「仮縫いとかありますか?」と聞くと、「いえ、開演の30分くらい前に楽屋に持ってきてもらえれば」と。本当に電話一本。細かい注文も一切なし。なので、自由につくらせてもらいました。5月といえば新緑の季節。草や葉っぱがサラサラとそよぐみどりの葉っぱのイメージが広がった。そういう衣装をつくりました。

初めての衣装のデザイン画。採寸もなかったため、電話で聞いたサイズをメモって仕上げた

初めての衣装のデザイン画。採寸もなかったため、電話で聞いたサイズをメモって仕上げた

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ランニングはタイで買ってきたジム・トンプソンの、大好きな色・ショッキングPINKの綺麗なシルクでつくりました。胸のあたりは葉っぱの形に透けるオーガンジーを縫い合わせて、中には光るビーズやスパンコールを入れた。動くと揺れるように。

本当に、開演30分前に、仮縫いも試着もしていない衣装を手渡したのですか?

Ruu Ruu そうです。だから、衣装の説明をしたんです。何の注文もなくつくらせていただいたので、どういう気持ちでつくったかを説明したかった。ひと通り説明が済むと、「じゃあ、客席へどうぞ」と通されて。
正直、どんな風に着てもらえるのか、不安でした。つくったものは全部そこに並べたけれど、どれを着てもらえるのか、それとも着てもらえないのか、着こなしてもらえるのか……。
開演のベルが鳴って、会場が暗くなり、そしてパッと明るくなったステージに飛び込んできた清志郎さんを観たときの衝撃といったら!
ちょっと前に楽屋で会ったときとは全然違う。エネルギーというか光を全身に纏っていました。
そのとき、正直思ったの。「うわっ、負けた」って。私がつくった衣装なのに、もう完全に彼のものになってる!
結局、つくっていった衣装は全部着てくれたんです。そのときの興奮はいまも鮮明に覚えています。
唯一ステージで使わなかったのは帽子。彼はステージでは髪を立てるスタイルだから、冠らないのはわかっていたけど、私はもともと帽子屋だから、つくって持っていった。この牛革のベレー帽はプレゼントしたものです。

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この写真は私が撮ったんですが、着ていらっしゃるのは私服です。この頃の清志郎さんには、中性的な魅力も漂っていました。(Ruu Ruu)

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ストーンズとRCが撮りたくて

ザ・ローリング・ストーンズのオフィシャル・フォトグラファーとして活躍されている有賀さんですが、もともとストーンズとRCサクセションが撮りたくて写真を始められたとか。

有賀 ええ。僕はもともと洋楽が好きで、13歳のとき、部屋に貼ったビートルズのポスターを見つめて「動け!」と念じていたくらいなんです。洋楽の音楽番組などほとんどなく、MTVもない時代。動いている彼らを観ることは夢だった。音楽を聴き、写真を見ては想像を膨らませるロック少年の日々でした。
いろんなミュージシャンを聴いたけれど、とくにストーンズは大好きで、その空気を纏ったRCサクセションがデビューしたときは衝撃だった。20歳を過ぎて、本当に彼らを撮りたくて写真を始めたんです。
最初は雑誌社に写真を持ち込んで、「撮りたいんです!」とアピールして。まだ20代の若い頃です。1986年に念願叶ってRCのLIVEを雑誌で撮らせてもらえるようになりました。その記事を見たレコード会社から依頼が来るようになって。毎日のように好きなバンドの写真を撮れるってことが本当に嬉しかった。

photo by MIKIO ARIGA

photo by MIKIO ARIGA

Ruu Ruuさんの衣装を身につけた清志郎さんは、被写体としていかがでしたか?

有賀 Ruu Ruuさんの衣装からは、とても東洋的なものを感じました。Rock’n Rollといえば西洋への憧れが強い時代に、Ruuさんが手がけた清志郎さんの衣装からは、アジア人としての誇り、カッコ良さが伝わってきた。唯一無二の迫力でした。

Ruu Ruu 有賀さんが2010年5月に『忌野清志郎写真集 NAUGHTY BOY KING OF ROCK’N ROLL』を出されて、その写真展の会場で初めてお会いしたとき、言ってくださったんですね。「清志郎さんが光っていたのは、あの衣装があったからだと思う」って。
当時は誰が衣装をつくっているとか、あまり注目もされなかった。それから20年も経ってから、そういう言葉をかけてもらえたことが、本当に嬉しかったです。

有賀 いま思い出しても、Ruuさんの衣装は完璧でした。写真展のトークショーでも話したのですが、「1ミリの隙もない」とはこのことだと。写真展のイメージ・フライヤーに使わせていただいたのもRuu Ruuさんが衣装を担当したステージの写真。いま見ても全く古びていない。この時期にこういうスニーカーを合わせたことも含め、素晴らしいと思います。1989年4月、汐留PIT の写真です。

photo by MIKIO ARIGA

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Ruu Ruu この写真の衣装、上に着ているのはRCのオフィシャルTシャツなんですが、パンツとスニーカーは私が用意したもの。パンツはジャージー素材で、ストライプと花柄は手描きしているんです。布に描けて,乾くとプクプクと立体的になるペイントを使って。衣装をつくる、というよりは、絵を描く、立体的なものをつくっていく感じ。スニーカーは日本でつくって海外に輸出する品のサンプルでした。ステージで飛んだり跳ねたりする清志郎さんはスポーツシューズでないと動きにくいんですね。あと、日本に出されるものより、輸出用のほうが面白いものがあるので。

パリで見つけた繊細で柔らかいキラキラした布を使った「花咲くブラウス」。動くとフレアーが文字通り花のように開く。ヨーロッパならではの透明感のある素材をよく使用した

パリで見つけた繊細で柔らかいキラキラした布を使った「花咲くブラウス」。動くとフレアーが文字通り花のように開く。ヨーロッパならではの透明感のある素材をよく使用した

自ら光を発するのが“スター”

有賀 1989年の汐留PITはRCのメンバーが全員揃ってLIVEをやった最後のステージですね。ステージを撮っていると、普通は「光」ってピンスポで来るものなんだけど、本人が光を発しているように見えることがある。そんな「光を発するアーティスト」を“スター”って呼ぶんじゃないか。それはRCやストーンズを撮るときにいつも思っていたことです。

photo by MIKIO ARIGA

photo by MIKIO ARIGA

デジタルではない、つまり、いまほどたくさん撮れない時代、どんな瞬間にシャッターを押すのかにカメラマンの感性が問われました。

有賀 清志郎さんやミック・ジャガーを撮りながらいつも思っていたのは、本人以上に本人らしい写真を撮りたいということ。誰よりも清志郎さんっぽい清志郎さんを撮りたいって思っていました。たとえば、コアなファンが「ここを撮ったか!」って驚くくらいの瞬間を撮りたい、と。
本当に凄い人と向き合うって、そういうこと。だって、普通に撮ったって、カッコいいわけだから。自分が心底カッコいいって思える瞬間の清志郎さんを撮れるか。そこにこだわっていました。

Ruu Ruuさんは1988年に渋公の衣装を初めて手がけて以来、毎回ステージ衣装を担当されることになるのですが、その後何か注文はあったのでしょうか?

Ruu Ruu それが全くないんです。最初から最後まで、注文は何一つなかった。
だから私は、つくることを愉しみながら、本当に自由に「私が思う清志郎像」をつくらせてもらいました。そして、いつもどんな気持ちでつくたせてもらったかを、手紙にして渡していたんです。いつも「あー、例の手紙ですね」と、ニコニコしながら受け取ってくれた。時には「ラブレターですかー?」なんて言いながら。

1988年12月の武道館の衣装。クリスマスに向けて天使の羽根のイメージでつくった

1988年12月の武道館の衣装。クリスマスに向けて天使の羽根のイメージでつくった

有賀 日本も、衣装をつくったりする人にもっとスポットが当たってもいいよね。デヴィッド・ボウイの衣装を山本寛斎さんがつくっていることを誰もが知っているように。
今年4月から、ストーンズの結成50周年を記念して彼らの全仕事を展示する“EXIBITIONISM”というイベントがロンドンで開かれているんです。楽曲、未公開の楽屋、楽器、衣装、ポスター、アルバム・アートワーク……。ミック・ジャガーの衣装も展示されていて、一つの目玉です。1969年くらいの衣装を展示したりもするらしい。僕の写真も使われているので観に行ったんですが、それは凄い規模で素晴らしかった。4年かけて世界各国を回るそうです。清志郎さんもそういうイベントがあってもいいですよね。

photo by MIKIO ARIGA

photo by MIKIO ARIGA

Ruu Ruu それは、ぜひ日本でも観たいですね。私も規模は違うけれど、1991年に『光れる服』という衣装展を恵比寿で開催したんです。清志郎さんをはじめボ・ガンボスやAURA、BUCK-TICK、KUSU KUSUの衣装を展示して。

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そのとき、清志郎さんの衣装が本当に綺麗な状態で保管されていて、びっくりしました。
私がつくる衣装は「洗濯もクリーニングも不可」のものばかり。そういう現実的なことを考えてつくっていないから。ビーズやスパンコールは付いているし、洗濯したら縮んじゃうような素材ばかりだったのに、マネージャーのたまきさんがステージごとに水を通して大切に保管してくださった。ほんとに感謝しています。
RCが休止宣言をしたのが1991年。私も1994年に事情があって東京を離れました。2000年に戻ってきて2007年に仕事を再開しようと思って連絡したら、清志郎さんからとても豪華なお花をいただきました。ああ、これからもっといろんなことを話しながら仕事ができる、仕事をしたいなぁって思っていたら、その矢先に亡くなりました。ショックでした。
彼が亡くなった後、マネージャーさんに何の注文もなかった訳を尋ねると、「気に入ってたんじゃないかな。だから何も言わなかったんだと思う」と言われました。

プロフィール

Ruu Ruu
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京都良福寺に生まれ、藤川延子学園にてファッション・デザインを学ぶ。1975年、東京へ移り、東京ファッション企画デザイナー等を経て独立。1979年インドへ。ヨーロッパ、アフリカを紀行しながら帽子をつくり、1988年東京・千駄ヶ谷にアトリエRuu Ruuをオープン。帽子の他にミュージシャンの衣装を制作。手がけたアーティストは忌野清志郎、ボ・ガンボス、金子マリ、AURA、BUCK-TICK、Kusu Kusu、YOU(フェアチャイルド)、アンジーなど。
1991年6月、ロックの衣装展「光れる服」を東京・恵比寿 Phisyque2Bで開催。1993年、長男の誕生を機に奈良県吉野天川郷に移住。2000年、東京に戻り、2007年より「Song of Cerebration 祝祭の歌〜100% Love&Peace Parade」を始める。2016年10月2日、「くにたちPARADE2016 produced by 100%Parade」を開催予定。忌野清志郎風ショールやベストもリターン商品に入ったクラウドファンディングも進行中!
クラウドファンディング Motion Gallery
くにたちPARADE2016
アトリエRuu Ruu


有賀幹夫(ありが みきお)
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1960年東京都小平出身。70年代後半、ロック・バンドとしてシーンに再登場したRCサクセションに衝撃を受け写真を始める。80年代半ば過ぎからライヴやアルバム『COVERS』レコーディング・ドキュメントを撮影。
90年、ザ・ローリング・ストーンズ初来日にオフィシャル・フォトグラファーにバンド側から採用され、以降2014年まで計6回の来日公演に関わる。2010年、80年代に撮影した写真を中心に忌野清志郎写真展を企画、1年にわたり全国で開催、大きな話題となる。
2016年4月ロンドンから始まったザ・ローリング・ストーンズ展(『EXHIBITIONISM』)に来日公演の写真が採用され、9月24日にはメディコム・トイから忌野清志郎Tシャツが発売される。
予約はメディコム・トイ オフィシャルサイトにて受付中。詳細はhttp://www.medicomtoy.co.jp/
Amplifierオフィシャルサイト
twitterアカウント @Amplifier_rock

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