【KING of R&R】忌野清志郎と光る服  vol. 2

Interview

忌野清志郎という光〜Ruu Ruuと有賀幹夫が捉えたその刹那と永遠〜

忌野清志郎という光〜Ruu Ruuと有賀幹夫が捉えたその刹那と永遠〜

「清志郎さんが光っていたのは、あの衣装があったからだと思う」
『忌野清志郎写真集 NAUGHTY BOY KING OF ROCK’N ROLL』発売記念の写真展で初めて顔を合わせたとき、写真家の有賀幹夫さんが当時の衣装仕立て人・Ruu Ruuにそう告げた。 派手なメイクと衣装で「爆発」という言葉がふさわしいパフォーマンスを繰り広げ、一方では経済優先の社会にもの言い続けた“KING OF ROCK’N ROLL”忌野清志郎とは、いったいどういう存在だったのか?
ステージの表と裏で彼の「光」を見つめ続けた二人に訊く。

構成・文 / 村崎文香

photo by MIKIO ARIGA

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エネルギーを静かに溜めて

舞台裏やレコーディング・スタジオで会う清志郎さんはどんな方でしたか?

有賀 本当に静かな人だったよね。ステージ上とはまるで違って。

Ruu Ruu 舞台裏、楽屋では隅っこに座って目を閉じて瞑想してるような感じだった。エネルギーを静かに溜めているようにも見えた。これから数分後には舞台に出る。そのときの静けさといったら。それで、舞台に出た瞬間、エネルギーがバッと弾ける。
楽屋には衣装がズラリ。一目瞭然という感じでたくさん並べられていて、何を着てもいい。それは彼だけ、特別だった。

有賀 カメラマンにとって、清志郎さんやミック・ジャガーっていうのは、ただのシンガーじゃないんです。シャーマン的というか。もの凄く躍動感があって。そういう意味で衣装は重要なモチーフ。
ミックはよくタイツを履いていて、それがダサカッコいいんです(笑)。他の人が履いたら間違いなくダサい衣装を、あの動きと雰囲気でカッコ良く見せる。それは彼にしかできないこと。
清志郎さんもその意味で特別だった。転げ回りながら歌うわけで。あのしなやかな動きと衣装とのマッチングは見事だった。

イタリアで買ってきたランニングにアイロンで付くスパンコールを川の流れのようにたくさん付けた衣装。この上には透け感のあるブラウスを羽織っていた photo by MIKIO ARIGA

photo by MIKIO ARIGA イタリアで買ってきたランニングにアイロンで付くスパンコールを川の流れのようにたくさん付けた衣装。この上には透け感のあるブラウスを羽織っていた

Ruu Ruu 私は、「衣装=メッセージ」だと思っていて。人が着てくれて初めて伝わるように思う。その人が着てくれたとき、初めてメッセージという光を放つもの。そういう意味で清志郎さんは、私が込めたメッセージを乱反射して放ってくれた。

photo by MIKIO ARIGA

photo by MIKIO ARIGA

「綺麗な薔薇色の布が美しすぎて」サクラ咲く1989年4月6日の汐留PITに向けてつくったスーツ。パリの雑貨屋で見つけたキラキラ光るパーツをたくさん付けて

「綺麗な薔薇色の布が美しすぎて」サクラ咲く1989年4月6日の汐留PITに向けてつくったスーツ。パリの雑貨屋で見つけたキラキラ光るパーツをたくさん付けて

魂が輝くとき

選挙や政治、憲法のことも清志郎さんは自由に歌っていました。1988年は空前のバンド・ブームの年でもあり、彼が原発のことを歌った『COVERS』というアルバムが発売禁止になった年でもあります。

有賀 僕は『COVERS』には縁があって。レコーディング中、スタジオに訪れるゲストと清志郎さんとのツーショットを撮っていたんです。三浦友和さんや山口富士夫さん、桑田佳祐さん……いろいろな方が日替わりでスタジオを訪れた。
清志郎さんはそんなゲストを迎えながら、本当に愉しそうにレコーディングしていました。まさか、そのアルバムがそれほどの問題作になるなんて思ってなかったんじゃないかな。そのくらい彼にとっては、「原子力は危ねえ」って叫ぶことは自然なことだったと思う。
1986年、チェルノブイリ事故があって、佐野元春さんは「警告どおり計画どおり」って曲を書いて、まだインディーズだったブルーハーツも原発のことを歌って、海外ではポール・ウェラーがイベントをやって……。音楽業界にそういう意識の波動はあった。それをオブラートにくるまず、メジャーでやったのが清志郎さんだった。

「素晴らしすぎて発売できません」の発売中止広告も衝撃的だった。日刊ゲンダイから

「素晴らしすぎて発売できません」の発売中止広告も衝撃的だった。日刊ゲンダイから

そこからRCでやれないのなら、とザ・タイマーズという覆面バンドで言いたいこと言って、91年にはRC活動休止宣言があって。正直、写真家としてはタイマーズには惹かれない(笑)。でも、常にこちらの予想を裏切って先に進む。その前傾姿勢にはいまも憧れます。
このとき清志郎さんは30代。僕は20代。60代になった清志郎さんを撮りたかったな。

Ruu Ruu 彼は本当に自由だったし、愛があった。ギターを持っていないと喋ることもままならないくらいシャイなのに、言いたいことは何があっても世の中に向かって叫び続けた。
その瞬間瞬間を、正直に生きて、どんどん変わっていった。年齢とともに変わっていく清志郎さんの衣装、またつくってみたかった。
いまでもそのステージを観ている瞬間を思い出すと、つい昨日のことのように胸が熱くなります。

1989年8月の日比谷野外音楽堂  photo by MIKIO ARIGA

photo by MIKIO ARIGA 1989年8月の日比谷野外音楽堂

衣装代って、実はそんなに高くなかったんです。でも、私、いい素材があるとすぐ買ってきちゃって。原価計算とかできないから(笑)。
でも、やっぱり自分がときめかない素材でないと、つくれないんですね。
最後の衣装は1990年、クリスマスの武道館公演。“人間ツリー”を着こなせるのは彼しかいない。思い出すと本当に切なくなるけれど、人生をアートとして駆け抜けた彼のソウルは、未来永劫生き続けると思います。

1990年12月の武道館公演に向けてつくった衣装“人間ツリー”

1990年12月の武道館公演に向けてつくった衣装“人間ツリー”

最後に、この記事を読んでくださった方にメッセージをお願いします。

有賀 僕は本当にR&Rに憧れて写真家になりました。いまストーンズや復活したTHE YELLOW MONKEYを撮ったりしているけど、13歳のときに写真のビートルズに「動け!」って念じていた頃から、気持ちはほとんど変わってないんです。何かにもの凄く強く憧れる気持ちって、現実をつくると思う。
いま、カメラはもの凄く良くなって、メディアも変わってきたけれど、それでも変わらないものはあると思ってる。
写真は誰にでも撮れるけど、最高のアーティストが光り輝く瞬間は、誰にでも撮れるわけじゃない。
後追いじゃダメ。ピークが来る前に先回りして構えていなくちゃ、撮れないんです。
それはどんなことでも一緒。
魂の前傾姿勢。それはステージ上の彼も、カメラを構えている僕も同じだった。
僕が撮った清志郎さんの写真がプリントされたTシャツが9月に発売されます。
別にそれを着なくてもいいけれど、清志郎さんの光を纏って、それぞれの光を発してくれるといいなと思っています。

"1990年9月1日の日比谷野外音楽堂。RC最後の野音になった

photo by MIKIO ARIGA 1990年9月1日の日比谷野外音楽堂。RC最後の野音になった

Ruu Ruu みんな、もっと自由に、非日常を生きればいいと思う。
私はボウシ屋でスタートして、清志郎さんの仕事がきっかけで衣装屋になって、たくさんのミュージシャンの衣装をつくらせてもらったけれど、20年以上経って、ようやく衣装が持つ本当の力、アートの力が“腑に落ちて”きたんですね。
2007年から「100%PARADE 地球を歩く」というイベントをやっているんです。
カラフルな光る服を着て、「神飾り」(帽子)を冠ってストリートを歩くわけ。
表参道、渋谷・公園通り、パリのシャンゼリゼ通りを歩いて、去年からは清志郎さんの“聖地”と言われる国立・大学通りで始めました。
人って、衣装を身に着けた瞬間に変わるんです。
「非日常」になるっていうか、高揚感と勇気を手に入れる。ふだんは目立つのが嫌いな人、引っ込み思案な人の世界の扉が開く。
そんな高揚感を知ってほしいし、それを日常に生かしてほしい。
だって、人生ってアートだから。
私は、そんな気持ちでボウシや衣装に煌めきやエッセンスを注ぎ込む。
パレードは、“タマシイのリボリューション”。
平和への行進。愛の巡礼。
いまという時を歓び、踊り、歌う祝祭のアート。
清志郎さんのソウルと一緒に歩き続けたいなと思っています。 Love&Peace!

1990年12月の武道館公演が最後の仕事に。珍しく記念撮影をした。星のパンツに輸出品のスニーカー。レインボウのスパンコールの布をたっぷり使って“虹色に輝け!”

1990年12月の武道館公演が最後の仕事に。珍しく記念撮影をした。星のパンツに輸出品のスニーカー。レインボウのスパンコールの布をたっぷり使って“虹色に輝け!”

取材を終えて

Ruu Ruuは夢と現の間をたゆたいながら生きているような人。「ボウシをつくることは瞑想だから」というように、仕事という感覚でなく美しいものに惹かれる気持ちを、そのままアートとして表現している人だった。取材はRuu Ruuのアトリエで行ったが、そこかしこに光る素材を使ったボウシや衣装が溢れ、生活空間と一体化していた。
あの頃のアーティストの中でも、ステージ裏の清志郎はとくに静かで物思いにふけっていることも多く、自分の存在をひけらかすことの全くない人だった。それがRuu Ruuの衣装を身に着け、髪を立て、メイクをしていく過程で自身を非日常に向かわせたのだろう。ステージの表に飛び出した瞬間には完全に「非日常」のエネルギーを爆発させ、会場を席巻した。
光の共鳴。いまも大切に取ってある衣装の端切れやデザイン画を見ながら、そう思った。
写真家の有賀幹夫さんは、「憧れ」を強い意志とバイタリティで仕事に変えた人だ。写真を撮り始めたのも遅く、音楽業界にツテがあったわけでもない。持ち込みから始め、熱い想いを伝え、一つずつ、自分の手で獲得していった人。子ども部屋に貼ったポスターを食い入るように見続けてきた少年が、写真を撮る側へ。夢と現は天と地ほど離れているのではなく、ジャンプすれば必ず届く位置にある。
二人の話を聞きながら、清志郎が見せてくれた終わらない風景を、その強烈な光を、改めて眩しく見つめたのだった。

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Ruu Ruu

京都良福寺に生まれ、藤川延子学園にてファッション・デザインを学ぶ。1975年、東京へ移り、東京ファッション企画デザイナー等を経て独立。1979年インドへ。ヨーロッパ、アフリカを紀行しながら帽子をつくり、1988年東京・千駄ヶ谷にアトリエRuu Ruuをオープン。帽子の他にミュージシャンの衣装を制作。手がけたアーティストは忌野清志郎、ボ・ガンボス、金子マリ、AURA、BUCK-TICK、Kusu Kusu、YOU(フェアチャイルド)、アンジーなど。
1991年6月、ロックの衣装展「光れる服」を東京・恵比寿 Phisyque2Bで開催。1993年、長男の誕生を機に奈良県吉野天川郷に移住。2000年、東京に戻り、2007年より「Song of Cerebration 祝祭の歌〜100% Love&Peace Parade」を始める。2016年10月2日、「くにたちPARADE2016 produced by 100%Parade」を開催予定。忌野清志郎風ショールやベストもリターン商品に入ったクラウドファンディングも進行中!
クラウドファンディング: Motion Gallery
くにたちPARADE2016
アトリエRuu Ruu

photo by SHO MARUYAMA

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photo by Hanta Arita

photo by Hanta Arita

有賀幹夫(ありが みきお)

1960年東京都小平出身。70年代後半、ロック・バンドとしてシーンに再登場したRCサクセションに衝撃を受け写真を始める。80年代半ば過ぎからライヴやアルバム『COVERS』レコーディング・ドキュメントを撮影。
90年、ザ・ローリング・ストーンズ初来日にオフィシャル・フォトグラファーにバンド側から採用され、以降2014年まで計6回の来日公演に関わる。2010年、80年代に撮影した写真を中心に忌野清志郎写真展を企画、1年にわたり全国で開催、大きな話題となる。
2016年4月ロンドンから始まったザ・ローリング・ストーンズ展(『EXHIBITIONISM』)に来日公演の写真が採用され、9月24日にはメディコム・トイから忌野清志郎Tシャツが発売される。
予約はメディコム・トイ オフィシャルサイトにて受付中。詳細はhttp://www.medicomtoy.co.jp/
Amplifier のオフィシャルサイト
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