【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 114

Column

CHAGE&ASKA 音楽の“本籍地”をロンドンに移し、過去を払拭させた『SEE YA』

CHAGE&ASKA 音楽の“本籍地”をロンドンに移し、過去を払拭させた『SEE YA』

1989年の年末に、ASKAが生活の拠点をロンドンに移した時、マスコミは「音楽留学」と伝えた。ただ、彼は現地で、誰かに師事し、作曲法なりを学び直したわけではない。

後年、ソロ・アルバム『Black&White』のなかの「London〜38 east end road」で、かの地での生活をスケッチしているが、歌詞に[知りたかった自分のこと]とあるように、まさに自分を見つめるための渡英でもあったのだ。デモ・テープ作りに使っていたコンピューターがWindowsからMacintoshに変わり、当初は戸惑った、といったことはあったものの、主に曲作りの日々が続いていたという。

ただ、これは大きな「賭け」でもあった。周到に練られた自己演出とも言えた。「万里の河」の呪縛から、未だ完全には解放されていなかったCHAGE&ASKAのイメージを、ここらで払拭しようと試みたのだ。

え〜、そんなのとっくに払拭されてたでしょ、とも思うが、いやいや世間さまというのはシツコイのだ。そもそも、一度貼られた“レッテル”は、時間が経つと糊も固くなり剥がれにくくなるわけで、思い切ったショック療法が必要であり、それがロンドン行きでもあった。

その成果として完成したのが『SEE YA』(90年8月)である。ASKAによりロンドンで6曲、CHAGEにより東京で5曲のデモ音源が録られ、全体はロンドンで仕上げられた。

アルバム・タイトルは、いかにも現地に根を生やし、制作されたことを伝える“SEE YA”で、親しい間柄だけで使う口語(「またねー」みたいな意味)である。「See you tomorrow でもなく See you later でもなく おつかれさま でもなく 僕等は毎日 SEE YA!といって別れた ピッタリだったんだ」。アルバムのブックレットには、こんな文章も載っていた。

わずか2か月という、短い期間の濃密なレコーディングは、連日遅くまで続き、でも一晩寝たら、「また新たな気持ちで取り組もう」と、別れ際に交わしたのがこの言葉だ。それを敢えて、アルバム・タイトルに持ってきたのは、先ほどの自己演出とも関係あったろう。 

つまり、いったん“ロンドンの人間になった”CHAGE&ASKAということだ。それを逆輸入させれば、今度こそ、世間はまっさらな気持ちで受け止めるハズだ。

人間というのは、イメージや先入観に左右され、冷静な判断を怠る。だったらそこから変えればいい。

先行シングルとして90年6月にリリースされた「DO YA DO」が試金石となる。それに相応しい、新鮮な作風だった。ひたすら音が下降していくイントロが大胆で、歌が始まり、今度は上昇していくフレーズも相まって、得も言われぬ歌空間を醸し出す。フットワークが効いた感覚と透明感が、同居している曲だった。コーラスはカラフル。“DO YA DO”というタイトルも口語のくだけた表現だ。そして声に出せば、言葉に縛られないスキャットとしても機能した。

結果はどうだったのか。見事にオリコンのベスト10入りを果すのだ! なんと「万里の河」以来、10年ぶりのことだった。音楽の“本籍地”を変えてみたら、世間の目も変わったのだ。

ここでふと、サザエさんで有名なマンガ家、長谷川町子の『エプロンおばさん』を想い出す。夫の敷金勇が、ある日縁側で、一句詠む。すると下宿人が集まってきて、あれこれボロクソに批評し始めるのだ。しかし夫が、「何を言う、これは芭蕉の句だぞ」と言うと、とたんにみんなが褒め始めるのだ。それほど大衆というのはイメージや先入観に左右され、付和雷同となる。いやちょっと、話が大幅に逸れた。戻す。

日本にいたCHAGEがロンドンに合流したのは90年の春である。直前の彼は村上啓介や淺井ひろみと組んだMULTI MAXで、(いわゆる“めんたいロック”の本場である福岡出身らしい)骨太なサウンドを響かせ、“新人バンド”なのにいきなり武道館も成功させ、まさに破竹の勢いであった。でもその活動にいったん区切りをつけ、CHAGE&ASKAの作品制作へと取りかかっていく。

とはいえ『SEE YA』に収録されたCHAGEの5曲で、4曲のアレンジを担当したのは村上であった。このあたり、ASKA、CHAGE、MULTI MAXというみっつの円が、それぞれに重なり、連なっていたのがこの時期の印象だ。

このアルバムのCHAGEの曲は、久しぶりに“詞先”で書かれている。このほうが、作曲者がより引き出しの多さを試されもする。ロンドン・レコーディングらしい英語のモノローグもフィーチャーされた「すごくこまるんだ」(作詞は青木せい子)は、ハチロクのロッカバラードにロカビリーの雰囲気も加味した雰囲気であり、声が通る歌い方も得意な彼が、ここでは敢えて、抑制された歌唱を魅惑的に響かせている。

澤地隆の作詞による「YELLOW MEN」は、ロンドン・レコーディングを意識したからだろうか、“日本人”の自分が客観視されている。メロディの展開で聞かせるというより、キーボードやギターのリズムのキレこそがオイシいファンク・チューンだ。でもこのアルバムで一番好きなCHAGEの曲は、なんといっても「Primrose Hill」である。

渡英後、現地で目にした景色や人々の印象が、歌詞に素直に反映されている。主人公である男女は、周囲と上手にコミュニケーションできない“異邦人”の設定であり、だからこそ、二人だけの愛の世界を形作る。[捕まえるんだ][雲の影]とある。これはまさに、(メキシコ湾海流と偏西風の影響で)雲の流れが非常に速いロンドンの空の景色を伝える。

さらに、このアルバムといえばASKAが書いた「モナリザの背中よりも」だ。跳ねるモータウン・ビートの作品で、体を揺すりながら楽しく聴ける。でも、この歌で評価が高いのは、タイトルの巧みな表現かもしれない。作家の万城目学も「絵に描かれたモナリザの背中は決して見ることができない。絶対に手が届かないことを伝えるために[モナリザの背中より遠い]と持ってくる。何ということだ! と毎度驚嘆するのである」と絶賛している(ぴあ&ASKA 「ASKAのすべて」55ページ)。僕はASKAが影響受けたとされる井上陽水の「背中まで45分」をチラリと思い出したりもする(具体的にどこかが似てる、とかってことではなく…)。

今回、久しぶりにこのアルバムを聴き直し、今の耳にこそ新鮮に思えたのは「ゼロの向こうのGOOD LUCK」だ。推測だが、この歌はDJやクラブ・カルチャー、ダンス・ミュージックの発信源となった、スペインのイビサ島のことを歌っているのではなかろうか。アレンジも今でいうEDMっぽくもある。歌詞のイメージの拡がりも素晴らしい。のちのASKAの『kicks』とも、どこか地下水脈で通じているような…。このあたりの文化が日本で本格的に紹介されるようになったのは00年代に入ってからだと思うので、だとしたらこの歌は当時、超トレンドだった。アルバムが手元にある人は、ぜひ聴き直してみて欲しい。

ひとつ忘れてない? あ、わざと忘れたふりをしました。91年の1月に、アルバムからリカットされたのが「太陽と埃の中で」。シンガロングの親玉みたいな曲。僕はこの名曲を思うとき、ふと、(本来のこの言葉の使い方からは逸脱するけど)“護送船団方式的J-POP”という言葉を思い浮かべる。そのことは次回に…。

文 / 小貫信昭

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