Interview

中村雅俊が、全世代に向けて送る「人生のエール(応援歌)」とは?

中村雅俊が、全世代に向けて送る「人生のエール(応援歌)」とは?
 連続ドラマ34本を含めて、これまで主演した作品は100本以上。一方、1974年に大ヒットした「ふれあい」から本格的音楽活動を開始して、中村雅俊のライブはすでに1400本を超えている。
ニューシングル「ならば風と行け」は、男の重みを前面に出したロックバラードで、聴きごたえ充分。前作「はじめての空」が軽快なポップだったので、その引き出しの多さと幅の広さが大きな反響を呼びそうだ。
早速、インタビュmoーしてみると、歌手と俳優の二つの顔を持つスーパー・ミドルマンの原点は音楽の方にあったという。

取材・文 / 平山雄一 インタビューカット撮影 / 森崎純子


「ならば風と行け」を聴かせていただいて、前作「はじめての空」とまったく違うタイプの曲なので驚きました。

そうですね、「はじめての空」はまさにポップスって感じですよね。今回の「ならば風と行け」は、それに比べると骨太な感じです。制作者の作詞・松井五郎さん、作曲・都志見隆さんが前作と同じということもあって、前とは違ったことをしてみようかっていう流れがありましたね。

歌い方も男っぽくて、説得するようなタッチになっていますね。

そこは自分なりの解釈なんです。詞の内容が、“お前は今までどうしてたんだ“とか、一聴すると相手に上からモノを言っているかのような感じになっている。そう言いながら、実は自分に対して言っているんですけれど。それと歌の表現の仕方としては、今の若い人は叱って欲しいみたいなところがあるという話が制作時にでて。お伺いを立てるというよりも、あえて叱るっていう表現はありかなって思ってました。それをはっきり言ってたのは、松井さんですね。それが、最終的には自分へ問いかける応援歌になるっていう。

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大まかな方向性は作詞家の松井さんが持っていたんですね。

そうですね。実はこの歌、詞先なんです。松井さんの書いた歌詞に、都志見さんがメロディーを付けた。詞が限定されているから、それに合わせてメロディが意外な展開になったりする。♪ならばー、風といけー♪の部分とか、ある程度、言葉が先にあるからメロディがああなったって思ってるんです。“詞先”の面白さですよね。

スタッフとの強い信頼関係を感じますね。

作曲してる都志見さんとは、もう30年ぐらいの付き合いです。ホントに「中村雅俊」のことをよく知ってるなと思います。俺のいわゆる“歌い手としてのスペック“をよくわかってる人なんだなって、常々思いながら一緒に仕事をしてます。
前作「はじめての空」のカップリングは「恵み」っていう曲なんですけど、俺があんまり歌ったことないようなタイプのバラードだったんですよ。「なんでこの歌なの?」って聞いたら、都志見さんに「こういうメロディーを雅俊さんに歌って欲しかったんだよ」みたいなことを言われてね。俺がやったことのないタイプの曲を、わざわざ持ってきてくれる。ただ、都志見さんが歌ったデモテープの歌がうまいんですよ(笑)。ちょっと悔しくなるぐらい。

(笑)それだけ長い付き合いで、まだまだ新しいアイデアが出てくるって面白いですね。

嬉しいですよね、歌ったことないような感じの曲をもって来てくれるって。松井さんも同じく、もう30年くらいの付き合いです。

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一緒に制作するたびに、“今回はこうきたか”っていう感じなんですね。「ならば風と行け」の場合はどうだったんですか?

都志見さんとしては、キーを半音下げてもうちょっと抑えた感じで歌うっていうアイデアもあったようですけど、実際に歌ってみたら“歌のキャラからすると、高いキーで歌ったほうがいいな”っていう感じだったので今のキーになりました。

確かに歌の主人公のキャラクターが強く出てますよね。正直、最初に聴いたとき、言葉をねじ込むように歌ってるのでぎょっとしましたから(笑)。「こういう歌い方が好きな人だったっけ?」と思って。

(笑)「ふれあい」とかとは、全然違いますよね。

「ふれあい」の歌はさっぱりしてましたね。

「ふれあい」は42年前ですね。思えば長い間、歌ってきてるんだな。

「ふれあい」のアナログ盤は素晴らしいですね。

あ、そうらしいですね。うちのディレクターが、今流行りの“ハイレゾ”で聴いたら、「ふれあい」の良さがすごく出てたって言ってましたよ。
あの曲のレコーディングは、10回も歌わないうちに終わりましたからね。B面の「青春貴族」にいたっては、練習のテイクをそのまま使ってます(笑)。

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その頃は、めっちゃ忙しかったんでしょう(笑)。

なんでしょうね。理由はよくわかりませんけど。作曲してくれたいずみたくさんがいて、「じゃあ、ちょっと軽く声を出してみましょうか」っていって、2、3回、歌って、「じゃあ、本番」って。もう5回くらい歌ったら、「ハイ、OKでーす」。「え? もう終わりですか」っていう、そんな感じでしたよ。麻布十番のアオイスタジオっていうところでした。よく覚えてますよ。今思うと、42年前はえらい簡単にレコーディングしてた。今、スタジオに何時間もいることを考えると、もうホントに(笑)。

隔世の感ですね。

そうですね。でも売れてよかったなと、つくづく思います。俺の場合は、その頃、まさかレコードを出すとは思ってなかった。だからドラマのプロデューサーから「雅俊、今度、レコード出すから」って言われて「ふれあい」をもらったときには、“うわー、すげえー”って思って、すぐに大学の同級生に「俺、今度レコード出すよ」電話しました。それくらいレコードを出すのっていうのは、別な意味で夢でしたからね。

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