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上口耕平、多和田任益ら実力ある若手俳優が5人で3編の物語を紡ぐ、舞台『僕のド・るーク』

上口耕平、多和田任益ら実力ある若手俳優が5人で3編の物語を紡ぐ、舞台『僕のド・るーク』

舞台『僕のド・るーク』が、3月7日(木)有楽町・オルタナティブシアターにて開幕した。
“ドルーク”とは“友達”という意味のロシア語。本作は、“友達”をテーマに描く3つのオムニバスストーリーだ。上演台本・演出は鈴木勝秀が担当している。出演者は上口耕平、多和田任益、辻本祐樹、小早川俊輔 / 井澤巧麻(Wキャスト)、小林且弥 / 鎌苅健太(Wキャスト)。芝居力を誇る俳優陣が男性キャスト5名のみで、濃密な会話劇を届ける。
初日キャスト(小林且弥&小早川俊輔)にて公開されたゲネプロの模様をレポート。

取材・文・撮影 / 片桐ユウ

“友情”とは何とするか。そもそも“愛”とは何なのか。

ごくシンプルなセットの中で繰り広げられるオムニバスの前半は『サリエリとモーツァルト』。後半は夏目漱石『こころ』を題材にしたストーリー。冒頭と、上記した2つの作品の間となる中盤、そしてエンディングには、シェル・シルヴァスタイン作の絵本『おおきな木』をベースにした『森の主と少年』の物語が綴られ、少年と木の友情を追っていく。

まず語り部(辻本祐樹)の紹介で始まるのが『森の主と少年』。
森の主である大木(小林且弥)は、元気良く森にやってくる少年(小早川俊輔)と仲良く遊んでいる。“木の擬人化”と言ってしまうと平たいところを、語り部が劇空間と合わせてユーモアたっぷりに表現。頭に花飾りを付けている森の主の様子からもうかがえるように、少年と木の友情は微笑ましく、明るく幸せな空気に満ちている。

次に始まる『サリエリとモーツァルト』も、ピーター・シェファーの『アマデウス』を語ろうとする語り部(小早川俊輔)に対して、幽霊となったサリエリ(上口耕平)とモーツァルト(多和田任益)がイチャモンをつけるコメディタッチのシーンから始まる。

このストーリーで中心に描かれるのは、もちろんサリエリとモーツァルトの友情。だが、場面が回想に入ってから明かされていくふたりの関係は非常に複雑だ。
誰も追いつけないレベルの天才・モーツァルトと、その才能を誰よりも認めているサリエリ。だがサリエリは宮廷楽長の立場を以って、モーツァルトを音楽界から遠ざけるようなマネをする。……と、思いきや、時には彼の肩を抱き、彼の隣りで言葉に耳を傾けてやる。

サリエリを演じる上口耕平が人物に持たせる奥行きと、怒涛のように交わされる台詞の間に入れ込む“遊び”の間合いや仕草が見事で、こちらの集中力を切らさない。

そしてモーツァルト役の多和田任益は天真爛漫さがピッタリ。長い手足を伸び伸びと使って、変態的とも言えるモーツァルトの天才ぶりをイキイキと演じている。長躯に似合う衣裳もそうだが、物語の後半、苦しい状況に立たされたモーツァルトの絶望感が美しい。華やかな存在感と儚さが同居する彼の魅力は他に代え難い。

“同業者”ふたりの友情関係は、お互いに持っているものをつい比べてしまう悲劇がつきまとう。立場、収入、家族、そして才能。
天才作曲家たちの物語だが、嫉妬と羨望を“友達”に抱いてしまう罪悪感なら覚えたことがある人も多いのではないだろうか。サリエリとモーツァルトの物語に惹き込まれながらも、普遍的な色合いを感じる作品だ。

再び『森の主と少年』の語り部が現れ、冒頭の場面から年月が経ったことを告げる。
少年は成長して青年となり、遊びよりも金を欲する。森の主は自分になる果実を売り、工夫して資金をつくるようにと助言する。
だが元・少年は成長するたびに金が必要だと困り顔を見せて、森の主は、自分の枝を、そして幹を友達の人間に与えていく……。

木の幹を切り倒すシーン、冒頭の揶揄が皮肉めいて思い起こされる。もう花も咲かず、果実もならない木がそれでも相手に何かを与えようとする様を見ていると、憤然さと切羽詰まるような哀しみで胸がいっぱいになった。

森の主を演じる小林且弥の一見淡々とした台詞遣いと、登場ごとに成長していく少年を演じる小早川俊輔が醸し出す人間味の対比が生きる。

森の主が切り倒されたあと、始まるのが『こころ』。
この作品では、語り部(小林且弥)がつねに舞台の中心におり、小説『こころ』の展開を切り取っていく。
私(多和田任益)が先生(辻本祐樹)のあとを追って、K(上口耕平)の墓参りを目撃する場面が皮切り。“私”が帰省して兄(小早川俊輔)と会話を交わしたあと、“私”は自分宛に届いた先生からの手紙を開く。その分厚い手紙が開かれていくと同時に回想が始まり、Kと先生の関係が明かされる。

小説『こころ』の中で、夏目漱石は「恋は罪悪だ」と断じる。そして愛については、劇中でも朗読されるように「もし愛という不可思議なものに両端があって、その高い端には神聖な感じが働いて、低い端には性欲が動いているとすれば、私の愛はたしかにその高い極点をつらまえたものです」と述べる。
そうして“不可思議なもの”である“愛”については言葉を尽くして表現する夏目漱石も、“私”と“K”の間に流れる感情については、明言しないままだった。

そんな“私”と“K”、ふたりのみに焦点を当てることで、“友達”とは何かを浮かび上がらせようとするストーリー。仲良しげに語り合う“私”と“K”、そして“お嬢さん”を挟んで、むき出しになっていく心情と歪んですれ違っていく友情……。『こころ』の結末を知っているせいなのか、つねに不穏さが感じられる構成だ。

“先生”と過去の“私=先生”を演じる辻本祐樹は、『森の主と少年』の語り部で見せた表情とはまったく違う佇まいで、静寂の演技を広げる。温順さと繊細さが混ざり合い、決して悪人ではないのだが大事な瞬間に弱さが前に出てしまうような、それでも頑固であり、情に厚いのだとわかる“私”だ。

そして、小説内ではあくまで“私”の語る、私である“先生”が学生の“私”に書き記す存在としてしか出てこない“K”を演じる、上口耕平の気迫が凄まじい。
手紙の中で、重大ではあるが出来事のひとつであるKの自殺が、生身の人間が訴えるとこうまで強烈な激しさを伴うのだと、頭を殴られたような衝撃が走った。

ここで語られる“友情”とは、何なのか。このふたりは“友達”だったのか。先生が殉じたのは、何に対してだったのか。“友達”が“友達”に与える影響力の大きさに慄く物語だ。

最後は、切り株のみになった森の主と、老人となって森に帰ってきた元・少年の顛末が語られる『森の主と少年』。切なく、温かな気持ちに包まれる幕切れだ。

どのストーリーも役者がハマっており、見応えたっぷり。
心が洗われたり、心の中が渦巻いたり。それでいて忙しなさとは違う、静かな充実感に満たされるだろう。

“友情”とは何とするか、難しい。身近な存在だが、恋愛感情より複雑なようでもあるし、そもそも“愛”とは別のものなのかもわからない。己が定義していた“友情”や“友達”像が揺らぎ、あらためてそれが何であるのかを考えたくなる。
舞台装置と同様にシンプルでありながら実は複雑で深い。心の奥で眠っていた、あるいは眠らせようとしていた思考や感情を喚起する作品だ。

小林且弥&小早川俊輔の出演は3月8日(金)昼・夜回まで。9日(土)~10日(日)は鎌苅健太&井澤巧麻が出演する。

舞台『僕のド・るーク』

2019年3月7日(木)~3月10日(日)オルタナティブシアター

上演台本・演出:鈴木勝秀

出演:
上口耕平
多和田任益
辻本祐樹
小早川俊輔/井澤巧麻(Wキャスト)
小林且弥/鎌苅健太(Wキャスト)

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