Interview

大橋ちっぽけ、「弾き語りのイメージを脱したい」と自身の新たな可能性を広げた1stアルバム『ポピュラーの在り処』

大橋ちっぽけ、「弾き語りのイメージを脱したい」と自身の新たな可能性を広げた1stアルバム『ポピュラーの在り処』

愛媛県松山市出身で20歳のシンガーソングライター、大橋ちっぽけが3月13日に待望のメジャーデビューを果たした。
2016年に出場した〈未確認フェスティバル〉でセミファイナルに進出し、昨年はテレビ番組『水曜夜のエンターテイメントバトル エンタX』のオーディション企画で優勝。同年3月に両国国技館で行なわれた〈J-WAVE TOKYO GUITAR JUMBOREE~YOUNG BLOOD~〉ではオープニングアクトに抜擢され、聴き手の心を内側から優しく温めてくれる歌声にはオーディエンスから絶賛の声が上がった。J-POPシーンのど真ん中に届く全10曲を収録した1stフルアルバム『ポピュラーの在り処』でメジャーデビューする彼の音楽的背景とこれまでの道のりを聞いた。

取材・文 / 永堀アツオ 撮影 / 冨田望

当時好きだった隣りの席の女の子が、ニコニコ動画の「歌ってみた」を教えてくれた

メジャーデビューを直前に控えた心境から聞かせてください。

キャリアは浅いですし、アーティストとしての経験もまだまだなんですけど、一方で長かったような気もしていて。ネットの動画サイトで歌を人に聴いてもらうようになったのが中1からだったので、そこからだと長いこといろいろやってきたなと思いつつも、20歳でメジャーデビューは早いっちゃ早いかなという気もするし。不思議な心境ではいますけど(苦笑)、ひとつの目標には辿り着けた気もするし、ここからスタートするんだなという自覚も芽生えてきてます。

中1でネットに動画を投稿する前はどんな音楽を聴いていたんですか?

あんまり聴いてなくて。小学生の頃はYUIさんとかポルノグラフィティさん、あとはアニメの主題歌とか、親の車で流れていた奥田民生さんを聴いていたくらいで、音楽好きっていう感じではなかったです。小6のときに親とカラオケに行って「歌、上手だね」と褒められたことがあって、自分の中で「あ、上手なんだ」って勝手に思い違いをして(笑)。その当時好きだった隣りの席の女の子が、ニコニコ動画の「歌ってみた」を教えてくれたんですけど、これだったらお金もかからないし、自分でも手軽にできるかなと思って、中学生になってネットに動画を投稿して聴いてもらうっていうのを始めました。

中学生時代、音楽に熱中しました?

いや、もともと小学校6年生までは漫画家になりたくて、中学も美術部だったんです。しかも、小学生のときは鳥取県に住んでて、中学に上がるときに愛媛県に行ったんですけど、それまでも各地を転々としてて。

ああ、じゃあ、好きだったクラスメイトとは……。

すぐに離れ離れになっちゃいました(笑)。何回か転勤は経験していたので新しい場所に行くのは慣れていたんですけど、中学校という新しい環境で、さらに知らない土地だったので、ネットで知り合った人との繋がりが大きくなって。リアルの繋がりもありましたけど、インターネットにのめり込んでいた時期でもありました。同じ学校なのに学校では話したことのない友達とネットゲームの中で話したり、平日も毎日、朝の3時とか4時までゲームするくらいネットにのめり込んで。ただ、同時に歌もやっていくなかで、だんだん「音楽っていいな」ってシフトしていったのが中学生の期間だったなって思います。

“歌い手”としてボカロのカバーをしていたようなルーツは、作品からはあまり感じないですよね。

たしかにピコピコした電子音の曲はあまりないですね。中学2年生の秋頃にアコースティックギターを始めて。そこから、だんだんボカロ以外の曲も聴くようになって。ネットに重きを置きつつも、少しずつリアルの世界の音楽にも触れていき始めた感じです。

作詞作曲を始めたのは?

高校1年生でした。高校には軽音部があったんですけど、見学に行ってみたものの馴染めなくて入れず、結局、帰宅部になっちゃって。家に帰ったらすぐにパソコンを開いてネットして、歌ってという日々を過ごしてました。僕、高1の夏休み明けに、一週間くらいプチ不登校になるんですけど(笑)、そのときに親がえらい心配して。それまでは厳しいというか、ちゃんとしなさいっていう親だったのが、「もう好きなことやりなよ」ってなって。それがきっかけで、親の勧めもあって地元の音楽教室に通うようになり、発表会ライヴで初めて人前のステージに出るようになり。その頃から“大橋ちっぽけ”と名乗るようになってました。

目立つけどカッコつけてない、謙遜的なニュアンスのあるハンドルネーム

どうして“ちっぽけ”と名付けたんですか。

もともと中3のときにローマ字で“chippoke”っていう名前で動画投稿を始めたんですけど、“歌い手”の名前に本名を付けるのも面白いなと思って、ふざけて、“大橋ちっぽけ”にしました。高2の夏休み、人生で3回目のライヴが東京で、そのライヴに誘ってくれた人と知り合ったのがネットだったので、そのときもネットで名乗っていた名義で出たりして。それから、気づけばずっと“大橋ちっぽけ”でやってますね。もともと、“歌い手”で名乗るときに、人とかぶらないっていうのと、目立つ名前なんだけどカッコつけてない、謙遜的なニュアンスのあるハンドルネームを探してるなかで思いついた名前でした。

中2から謙遜してるっていうところに人間性が表れていますよね(笑)。本格的に音楽をやっていこうと決めたのは?

高校3年生のときに〈未確認フェス〉に出たことがきっかけですね。ライヴ活動と並行してカバー動画投稿も続けてたんですけど、そこで地元の人や自分のお客さん以外の人に僕の歌を聴いてもらって。しかもラジオでも流してもらって、コメンテーターの方が「いいね」って言ってくれたことにも感動して。部屋でひとりで作っていた歌が、ちゃんと伝わるんだ、届くんだっていうことを実感したんですよね。正直、覚悟とかは、今もわからない部分が多いし、これから自分が挑戦していく世界がどういう場所なのかもわかってないんですけど、一方で、楽観的な部分もあるというか。自分がどこまで通用するんだろうとか、自分がいいと思ったものをみんなもいいと思ってくれるのかなっていうことを確かめたい気持ちが、その頃からどんどん芽生えていたと思います。

セミファイナルまで進出した翌年、2017年の春に上京しています。

大学進学と同時に上京しました。進学は親を安心させたい気持ちもあったし、何もなしで飛び込むほどの覚悟がそのときにはなかったっていうことですね。普通に大学進学しようと思いつつ、東京には行きたかったので、関東の大学だけ受験して。ありがたいことに、〈未確認フェス〉の影響もあって、僕のことをすでに知ってくださっていた東京のライヴハウスもあったので、上京して、自然とライヴ活動も始めていった感じでした。

上京2年目となるちょうど1年前に、音楽バラエティ番組「エンタX」に出演して優勝しました。

何かで一番っていう経験自体が初めてだったので、嬉しい反面、よくわかってない部分もありました。テレビで歌うことも初めてだったし、直接、目の前の審査員に審査されるのも初めてだったし。初めてづくしで緊張しっぱなしだったんですけど、今思うと、よくあれに挑戦できたなって思います(笑)。あの番組で優勝したことで知ってくださった人も増えたし、声をかけてくださるレコード会社の人も出てきて。今の活動があるのは、あの番組に出て優勝したからだなと痛感してます。

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