【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 115

Column

CHAGE&ASKA 「太陽と埃の中で」と『ライ麦畑でつかまえて』は、どうも“怪しい”、という件

CHAGE&ASKA 「太陽と埃の中で」と『ライ麦畑でつかまえて』は、どうも“怪しい”、という件

今回は、泣く子も黙り、やがて一緒に歌い出す(かもしれない)CHAGE&ASKAの名作、「太陽と埃の中で」について書く。ちなみにこの作品は、アーティストからの評価も高い。本人に無断で名前は出さないが、ふだん、他のアーティストを褒めたりしないヒトが、珍しくこの作品を褒めていて、ビックリしたことがあった。

この歌の最大の特色は、聴いてるうちに、すっぽり自分の体が歌のなかに入り込んでる気分になることだ。確固たるイメージが目の前に浮かび(ここでは仮に、“追い駈けて追い駈けても共同体理念”と呼んでおく)、自分もその構成員のひとりであるという自覚が降り注ぎ、いつしか他人事に思えなくなる。

なので学級委員に立候補するようなヒトも教室の隅で引っ込み思案なヒトも、サッカー部も手芸部も、どんなヒトも置いてけぼりにしない雰囲気を持っている。それを僕は、“護送船団方式J-POP”と呼んでいる。

これ、そもそもの“狙い”だったようだ。レコーディング風景をプレイバックしてみよう。CHAGE&ASKAの二人やミュージシャンだけじゃなく、その場に居たスタッフも協力し、サビのコーラスを歌っているのだ。二人が求めたのは、プロの綺麗なコーラスじゃなく、ついみんなが歌ってしまいました、という雰囲気。レコーディングはロンドンなので、現地スタッフも、拙い日本語で加わっている。ASKAの回想によると、正直なハナシ、中にはヘタッピィも居たという。

やがてこの作品が聴き手に届いた際、またはライブでパフォーマンスされる際に、作品の“あるべき姿”を率先してやってみた、ということだろう。そもそもこの歌のコンセプトは、「みんなで大合唱できるもの」だったというし、物怖じせずみんなに歌ってもらうためのお手本が必要だったからこそ、こうしたスタジオ風景が繰り広げられたのだ(なんて書くと、スタジオでヘタッピィだったヒトに悪いけど)。

ところで「太陽と埃の中で」というのは、変わったタイトルだ。“太陽”と“埃”がセットになっている。普通、“太陽”のお相手は“月”とか“北風”である。どういうことなのか? 歌詞をみれば、嗅覚に関することだと判る。主人公は、これらふたつの[匂いを覚えてる]と言っている。

CHAGE&ASKAの公式ページに各曲の“ライナーノーツ”という項目がある。そこにはこの曲に関して、「青春讃歌を書いてみたい、と思ったのがこの曲のキッカケ」とある。作者であるASKAの言葉の引用だ。

これを読んで、「そうか、青春賛歌なのかぁ〜」と、即座に納得するヒトもいるだろう。でも僕は、“じゃあ、ASKAの想う青春賛歌ってなんなのさ?”と、深掘りしたくなる。“そもそもASKAの青春てなんなのさ?”。大前提からして、確かめたくなるのだ。かつて僕は、この件(青春とは?)について、訊ねているので引用する。

 自分にとって、“青春”て言葉のイメージですか? それは、いろいろな意味で「予想のつかない展開が行われた時期」だよね。もちろん、四十になっても五十になってもいまだ青春だ、という人もいるだろうけど、それは言葉のロマンであって、真実味ということになると、やはり僕の場合、紛れもなく高校の頃が“青春”だった。それは自制できなかった時代。無茶して相手に迷惑かけて、でも、それが自分にとってラッキーだった時代。そんな意味で、予想のつかない展開だった、というか(『月刊カドカワ』96年6月号)

これらの言葉を受け、再び歌詞に戻りたい。ASKAに規定する“青春”は、いかにも彼らしい。では、“太陽”と“埃”の匂いを覚えていることが、どうそれと重なるのだろう。場所を特定するなら、その匂いがしたのは部室かもしれない。彼の個人史のなかで推測するなら、剣道部の部室…。

ふたつの言葉を、メタファーと捉えることもできるだろう。“太陽”が照らしたから“埃”の存在も露わになり、その匂いも際だったのだとして、“太陽”=“理想”、“埃”=“現実”としてみるのはどうか? ふたつのバランスで言うなら、“太陽”の勢いが衰えないのが青春である。しかし大人になれば、“埃”が目立たないよう、光の量を絞るズルさを覚えていく。

さらに今回、「太陽と埃の中で」はサリンジャーの小説『ライ麦畑でつかまえて』と関係あるのでは? とも考えてみた。普通、サリンジャーというと名前が挙るのは、浜田省吾や佐野元春といった人達であり、CHAGE&ASKAと結びつけた人間は少ないかもしれない。インタビューで、CHAGE&ASKAがこの小説家に言及しているのを読んだこともない。しかし二人の年代で、『ライ麦畑でつかまえて』を知らない人間はいない。表現者というのは、ラインマーカー引きながら熟読しなくても、そう、なんとなく知ってるだけでも、充分、そこから影響を受けることは可能だ。

「太陽と埃の中で」という歌に、成就はない。[追い駈けて 追い駈けても]、または、[愛して 愛しても]、結局のところ、“ing”のままだ。さらにこの“追い駈ける”イメージは、“捕まえたい対象”があってこそだが、しかし具体的に登場するわけじゃなく、そのあたりは『ライ麦畑でつかまえて』のストーリーとも確かな共通点があるのだ。

なお、この歌の有名な1行目、[名前も国もない][生まれたての元気]というのは、完全自由主義(リバタリアニズム)を謳うような始まり方になっている。最初にこの“宣言”があるからこそ、この歌は、どんな人も分け隔てなく、青春の鼓動へと誘ってくれるのかもしれない。

文 / 小貫信昭

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