黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 26

Interview

稀代のゲームプロデューサー「シブサワ・コウ」襟川陽一氏(中)ゲーム作りの大原則

稀代のゲームプロデューサー「シブサワ・コウ」襟川陽一氏(中)ゲーム作りの大原則

ゲーム作りは新しい面白さを楽しんでいただくというのが大原則

恵子会長が手がけられた女性向けの『アンジェリーク』もそうですが、新しいものに対して常に意欲的に取り組まれてきましたよね。それはやはり、ご自身の興味の向くままという感じなんでしょうか。

襟川 私もいちゲームユーザーなので、新しい面白さに対してすごく貪欲ですし、やっぱり同じタイプのゲームを何回も繰り返すのはあまり面白いとは思わないです。いちゲームプレイヤーとして常に新しい面白さを求めていますので、自分がゲームを作るときも新しい面白さを楽しんでいただくというのが大原則だと思っています。

もともと別に好きじゃないけど、社業だからやってきたという方が経営する会社もあると思うんですけど、陽一社長の場合はホントに好きで始めて、それが拡大していって。さらに自身のプレイヤーとしての目線も含んでクリエイティブとして増殖していくっていう、すごくいいパターンですよね。

襟川 80年から、ゲームと接していることが1日のほとんどを占めるようになりましたので、自然と面白いもので遊びたい、面白いものを作りたいと。そういうことが、いつも頭の中で練られているといいますか、錬成されているといいますか……何と言ったらいいのか分からないですけど、普通にいつもそう思っちゃっているんですね。面白くないものは何とか直さなくちゃいけないし、面白いものはより面白くしたいと。

幼稚園から中学3年までバイオリンの稽古の背景は父の教育方針

そうした物事をご自身から積極的に楽しんでいくという陽一社長の資質は御両親の影響によるところもあるのでしょうか? なぜかというと、妹の襟川クロさんも映画のほうで大成されて、今でも現役で活動されていますよね。陽一社長もゲームというエンターテインメントの分野で活動されていて、御兄妹でそうしたジャンルに進まれたというのは、なかなか珍しいと思うのですが、それは御両親が文化的なことに対してすごい寛大だったからではと思ったんです。

襟川 あれしろ、これしろと強くは言われなかった記憶はあります。ただ、バイオリンだけは絶対にやりなさいと。これだけは厳命されまして、幼稚園から中学校の3年生までやっていました。

かなり長いことされていたんですね。ご両親としては何か目論見みたいなものがあったのでしょうか。

10才のとき バイオリンの発表会にて 右側

襟川 父親がクラシック好きだったんです。クラシックのレコードをコレクションしていて、しょっちゅう聞いていました。そういう親だったので、必然的に子供たちも何かやれという話になりまして。それで息子にはバイオリンを、娘ふたりにはピアノをやらせて、家族や友人・知人、親戚なんかが集まったりするときにみんなの前で弾かせるわけです。

兄妹全員で演奏すると。

襟川 そうです。襟川一族は人数が多かったですから、そういうところで弾かされました。学校でもよく弾くことがありましたし、中学に入ってからは足利の市民交響楽団で大人に混じって第2バイオリンをやっていました。ベートーベンの第一とかを演奏しましたね。

それだけスキルがあったわけですね。

襟川 ただ、好きでやっているわけではなくて、両親にやらされていましたので、どちらかというと義務感みたいに感じていました。

では、御両親はけっこう厳しい方だったんですか。

襟川 音楽のことだけです。勉強しろとかはあまり言われなかったですし、割と好きに遊ばせてもらいました。

ほかに何か少年時代に文化的な部分で影響を受けたものはありますか。

襟川 う~ん、そうですね……足利市は足利尊氏の一族の発祥の地で足利学校(注15)もありますし、鑁阿寺(ばんなじ)っていう足利家の菩提寺もあります。足利一族の居宅跡であるとか、足利家にゆかりのあるお寺であるとか、そういう歴史に囲まれた環境の中で育ったんですね。そうしたことは私が歴史を非常に好きなことに関係があるんじゃないかとは思います。

注15:栃木県足利市にある史跡。中世の高等教育機関で日本最古の学校といわれる。

商売に関係するところを受けなさいと言われ、慶應大学商学部を志望

その後、慶應大学に入られたわけですが、なぜ慶應を選ばれたのでしょうか。

襟川 私は割と数学が好きで、理科も好きで、電子工作・電気工作も大好きなので頭の中は理工系じゃないかなと思うんですね。ですが、父親に家業の3代目になるんだから、商学部であるとか経済学部であるとか、そういう商売に関係するところを受けなさいって言われまして、それで慶應の商学部を選んだんです。

そこで慶應を選んだからこそ、のちの出会いもあったわけですよね。当時、日吉の校舎のあたりで下宿を探されているときに、あてにしていたところがダメになってしまって、それで恵子会長の御実家があった今のFOST(注16)のある場所に下宿されることになったとお聞きしましたが。

注16:襟川陽一氏が理事長を務める公益財団法人・科学技術融合振興財団の略称。シミュレーション&ゲーミングなどの研究への助成と、その成果を広く還元する普及啓発を事業の柱としている。

襟川 そうです。あそこの2階に下宿していました。

それは誰かの御紹介だったのでしょうか。

襟川 ええっと、最初はですね……そうだ、慶應の教務課にまず聞いたんですね、下宿屋さんを斡旋してくださいと。そうしたら下宿の協会といいますか、組合みたいなところがあるから、そこに行きなさいと言われまして。それで、行ってみたんですが、最初に紹介してもらったところが空いていなかったんですね。で、もう一件紹介してもらいまして、そこが会長の実家だったんです。

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