黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 26

Interview

稀代のゲームプロデューサー「シブサワ・コウ」襟川陽一氏(中)ゲーム作りの大原則

稀代のゲームプロデューサー「シブサワ・コウ」襟川陽一氏(中)ゲーム作りの大原則

陽一氏が語る惠子さんとの出会いとは

なるほど。住まれてみて、いかがでしたか?

襟川 あそこは日吉の駅からすごく近くて、今はそうでもないんですけど、当時はバーとかクラブがたくさんあったんです。あの通りだけでバーがイチ、ニ、サン、ヨン……4つ、クラブが2つありましたね。それから雀荘とか卓球屋なんかもあって。小料理屋さんも確か3、4軒あって中華料理屋さんもあって、割と夜遅くまでみんなが楽しめるところだったんです。

そんな場所だったんですか。

襟川 ええ、だから、どちらかというと夜の方が賑やかな感じの通りで、きれいな女性がけっこういましたね(笑)。

ハハハハ、それはいいですね。そこで惠子さんに初めて出会われたわけですが、第一印象はちょっときれいな女性だな、みたいな感じですか?

襟川 最初はあんまり意識しなかったです。よくパチンコ屋や雀荘で会っていましたので、「あ、またいた」ぐらいな感じでしたね。

そうでしたか。恵子会長が下宿の階段のところに腰掛けていたら、ほろ酔いの陽一社長が帰ってこられて、飲みに行こうと誘われたというようなお話もお聞きしました。

襟川 あぁ~……シチュエーションはちょっと忘れちゃいましたけど、私のクラスの友人がその通りに4軒あるバーのひとつでバーテンダーのアルバイトをしていたんです。それで、今だから話しちゃいますけど、深夜12時くらいになってですね、お店が終わると店のオーナーも女の子もみんな帰っちゃうわけです。そうしたら、その友達が下の道路から「襟川、襟川~」って。そのバーって下宿のちょうど斜め向かいだったんですよ。

下宿の窓から見て斜め向かいにそのお店があったと。

襟川 ええ、いい場所なんです(笑)。で、その友達が「もうみんな帰ったぞ」とか「飲みにこいよ」とか言ってくるわけです。それで、行くとですね、余ったウイスキーだとかビールだとか、飲み残しがたくさんありまして、これ全部飲んでいいよとかなんとか。

へえ~そうだったんですか。

襟川 そこに会長と一緒に行ったか、他の店に行ったかで、いろいろ話をしたりしたんです。そういったことが縁になったような気がしますね。ただ、とにかく毎日会っていましたので。それこそ一緒にパチンコ屋に行ったり雀荘に行ったり……もう若い頃の話です、アハハハハハ。

アルバイト、ヨーロッパ旅行、部活、充実した大学生活

アルバイトもいろいろ紹介してもらったんですよね。テレビの裏方のお仕事とか。

襟川 大学時代にもっとも一生懸命やっていたのはジャズコーラスのバンドで、ほぼ毎日練習していたんですけれども、当時は全共闘が活躍していた時代で。

最近のライブ活動の写真

ロックアウトですか。

襟川 ええ、ロックアウトで日吉の校舎に入れないというのが、ごくごく普通の状態でした。1年のうちの半分とか、ロックアウトしていましたね。

そんなだったんですか。

襟川 ひどかったです。それで、昼間ヒマになったので、アルバイトをいろいろ紹介してもらったんです。テレビ局のアルバイトが多かったですね。

仕事をしないで、小川ローザさんとか弘田三枝子さんとか、当時の有名な歌手を見に行ったりしていたみたいなことを恵子会長がおっしゃられていましたが、それは事実ですか?

襟川 有名な歌手やタレントさんが普通に歩いていますからもう目移りしちゃって(笑)。テレビ局の中に入れるだけでも貴重な体験、経験ですからね。それだけでもう浮足立っちゃいまして、ほかのスタジオにいる有名な俳優やスターを見に行って、収録に間に合わなかったりとか、いろんな失敗をしました。

御一緒にヨーロッパ旅行もされていますよね。恵子会長がお友達と海外旅行の計画を立てていたときに、もっと長期でいいのがあるよと言ってきたとおっしゃられていましたが。

襟川 ええ、慶應の紹介で「英語とヨーロッパの旅」っていうツアーに。イギリスのボーンマスっていう場所だったかな? そこの英語学校で3週間勉強して、残りの3週間でヨーロッパ中をグルっとひと回りするっていう。確か、慶應の教授が3人か4人一緒で、お医者さんや看護師さんも帯同していて、全部で120人ぐらいのツアーでしたので、集団でワァーッといろんなところを移動していきました。

ヨーロッパ旅行での集合写真

そんなにすごいツアーだったんですか。それを御一緒されたんですよね。

襟川 ええ、一緒に行きました。それが大学4年生のときです。

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