黒川文雄のエンタメ異人伝  vol. 26

Interview

稀代のゲームプロデューサー「シブサワ・コウ」襟川陽一氏(中)ゲーム作りの大原則

稀代のゲームプロデューサー「シブサワ・コウ」襟川陽一氏(中)ゲーム作りの大原則

彼女は感覚的に捉える、私は論理的に構築して捉えるというように全然違うんです

お話しにくいかもしれませんが、いつ頃からお互いに意識をされ始めたのでしょうか。

襟川 う~~ん…………(熟考)。

恵子会長はお母さまが陽一社長のことを「深草少将」(注17)と呼んでいたとおっしゃられていて、陽一社長は「人命救助結婚だ」みたいなお話をされていますが、正直なところどちらなのでしょうか。

注17:小野小町に恋して彼女のもとに通い詰めたとされる伝承の人物。

襟川 いやもう2階の窓から釣り糸が垂れていましてね、それに私がうまく引っかかっちゃったもんで、ハハハハハ。

アハハハハ、そっちなんですね。でも、恵子会長は今もすごくおきれいですし、当時から魅力的な方だったのだと思います。

襟川 趣味が非常に近かったといいますか、似ていたんですね。どちらもジャズが好きで、パチンコが好きで、麻雀が好きで。それから、飲み屋に行って騒いだりするのも好きだし。

もちろん趣味が合ったということも大きかったと思いますが、どちらかというと陽一社長はクリエイティブの側で、恵子社長は割と前にガッと出ていくタイプで。そこが、プラスとマイナスではないですが、対照的なだけにすごくマッチングが良かったような気が僕はしているんですけど、御自身はどのように感じられていますか?

襟川 まったく性格は違うし、考え方も全然違うんですね。彼女は多摩美で平面デザインを専攻していましたから非常に美的センスが良いですし、性格も感覚的、直観的で、あまり物事を理屈で考えないんです。一方、私は先ほど申し上げたように数学とか物理とか理科が好きで、理屈で物事を組み立てていく。プログラムはまさしく理屈で組み立てて出来上がるものですからね。ですから、彼女は感覚的に捉える、私は論理的に構築して捉えるというように全然違うんです。ただ、趣味だけは一致しているんです。いいと思う音楽も同じで、どちらもジャズが好きだし、山下達郎やユーミンも好きでしたし。そういう好きなところが非常に近かったんです。だから、話が合ったんですね。

それは重要なことですよね。ただ、いざ結婚となったとき、陽一社長の御実家の方に抵抗があったというような話もうかがっていますが、そのあたりはどうだったのでしょうか。

襟川 う~~ん……そうですね。最初に早いっていうのは言われましたね。24歳で結婚は早すぎると。まだ若いんだから、もっと修行してから結婚しなさいと父親には言われました。

でも、それを押し切られたわけですよね。

襟川 そうですね。あの~~……まあ人命救助婚でね。責任取らなきゃいけないかなというような気持ちもあって、ハハハハハ。

最近のライブ活動にて

いやいやいやいや(笑)。ただ、お父様はもうちょっと社会経験とか積んだほうがいいと思われていたわけですよね。

襟川 まだ修行中の身だっていう意識だったと思うんですね。父親は高校を出てすぐに大阪の船場にある問屋さんに丁稚奉公に行っていますから。そこで修行して帰ってきて、亡くなった祖父の仕事を引き継いだんです。ですから、私も同じように7、8年は外で修行して、それで帰ってきてから結婚しなさいみたいなイメージがあったんじゃないかと思いますね。

65年続く、大学サークル「カルア」の活動を今でもサポート

なるほど、そうでしたか。先ほど趣味のお話がありましたが、バンドはもう趣味の域を超えていますよね。「カルア」というバンドでレコードも出されていたり。

襟川 「カルア」は大学のサークル活動といいますか。正式のクラブ活動ですけどね、文化団体連盟……ブンレン、ブンレンって言っていましたけど、その文化団体連盟KBRソサエティーの所属で昔はハワイアンのバンドだったんです。

そうだったんですか。だから「カルア」なんですね(カルアはハワイ語)。

襟川 そうですね。代々名前を引き継いでいまして、私の代のときにはジャズとボサノヴァのバンドになっていました。今はわりとロック系になっています。

今も続いているサークルなんですか。

19才のとき 右から2人目

襟川 続いています。5年前に60周年を迎えました。

60年! すごいですね、それは。

襟川 50周年のときも60周年の時も青山のブルーノート(注18)に先輩後輩250人ぐらい集まりました。それぞれの時代の曲をみんなで歌いまして、あっという間に3時間ぐらい経っちゃいましたね。

注18:ジャズライブを鑑賞しながらディナーなどを楽しめる東京南青山の老舗ジャズクラブ。

はあ~~慶應ならではのエピソードですね。60年と聞くとびっくりしますね。

襟川 あと5年で70年になるのかな。多分、またブルーノートでやると思います。

もう、ある種のOB会ですね。

襟川 そうですね。ただ、ブルーノートでやるのは10年に1回ですけど、OB会はOB会で毎年やっています。で、私は18歳で「カルア」に入ったんですが、いまだにそのときの同級生たちとバンドをやっていまして。「カルアージュ」というバンドで、昨年の12月9日にも青山のCAY(カイ)というところでライブをやりました。120人ぐらい集まったんですよ。

スパイラル(東京青山にある複合文化施設)の地下ですよね。あそこでもライブをされているんですか。

襟川 ええ、そういうライブを昨年は5回やりましたね。

それは襟川社長を接待ライブで盛り上げようとか、そういうのではなくて?

「カルア」50周年のとき ブルーノートにて

襟川 違います、違います。そういうのじゃないです(笑)。

いや~ダイナミックですね。ホントにアグレッシブに生きておられますね。じゃあ練習もけっこうされているんじゃないですか?

襟川 月に2回か3回ですね。3、4時間ぐらいスタジオを借りてやっています。

あ、御自宅に巨大スタジオがあるとか、そういうわけではないんですね。

襟川 いえいえ、普通のスタジオでやっています。

失礼しました。でも、楽しそうですよね。

襟川 そうですね。昔の仲間が集まると、あっという間に18歳の頃に戻っちゃいますからね。

撮影 / 北岡一浩 取材協力 / 仁志睦


続きは第3回インタビューへ
3月26日(火)公開予定

稀代のゲームプロデューサー「シブサワ・コウ」襟川陽一氏(下)次の世代へのメッセージ

稀代のゲームプロデューサー「シブサワ・コウ」襟川陽一氏(下)次の世代へのメッセージ

2019.03.26

著者プロフィール:黒川文雄【インタビュー取材】

くろかわ・ふみお
1960年、東京都生まれ。音楽ビジネス、ギャガにて映画・映像ビジネス、セガ、デジキューブ、コナミDEにてゲームソフトビジネス、デックスエンタテインメント、NHN Japan(現LINE・NHN PlayArt)にてオンラインゲームコンテンツ、そしてブシロードにてカードゲームビジネスなどエンタテインメントビジネスとコンテンツの表と裏を知りつくすメディアコンテンツ研究家。コラム執筆家。アドバイザー・顧問。黒川メディアコンテンツ研究所・所長。株式会社ジェミニエンタテインメント代表。DMMオンラインサロンにて「オンラインサロン黒川塾」を展開中。
黒川塾主宰。ゲームコンテンツ、映像コンテンツなどプロデュース作多数。

< 1 2 3 4
vol.25
vol.26