
音楽、映画、ゲームなどを総称するエンタテインメントは、人類の歴史とともに生まれ、時代に愛され、変化と進化を遂げてきました。 そこには、それらを創り、育て、成熟へ導いた情熱に溢れた人々がいます。この偉人であり、異人たちにフォーカスしインタビュー形式で紹介するエンタメ異人伝。
2017年7月23日から三日間に渡って掲載された「エンタメ異人伝」の6話にコーエーテクモホールディングス 襟川惠子代表取締役会長に登場いただきました。
ビデオゲーム産業界での襟川代表取締役会長の活躍はすでに多くの人の知るところですが、「エンタメ異人伝」のインタビューでは、女史のプライベートな半生を振り返るものとなり、記事として好評を博しました。そこで語られたのは、私人としてのものが多かったことがその理由だと思います。
そして今回、襟川惠子の夫である、「シブサワ・コウ」こと襟川陽一の取材においては、先の「エンタメ異人伝」で語られた陽一との出会いなどを含めて、反証となる部分も大いに聞きたかった部分です。
ビデオゲーム産業界の始まりとともに、ゲームソフト開発にその人生の大半の時間を共にした二人、約40年、夫唱婦随(ふしょうふずい)とは若干色合いが異なりますが、パートナーとしてのお互いの存在があったからこそ、今に至る歴史が紡がれたのではないでしょうか。
今回の「エンタメ異人伝」は、襟川惠子、襟川陽一、このふたりで歩んだ人生を襟川陽一にフォーカスし、彼の目線で語るものです。最後までお付き合いください。
(敬称略)
※本記事は3回にわたってお届けするインタビューの最終回です。第1回(上)、第2回(中)はこちら
インタビュー取材・文 / 黒川文雄
『VR SENSE』の企画、開発に反対した理由は…
私みたいな小市民から見ると、本当に素晴らしい人生を送られていると思います。
襟川 いやいやいや、そんなことはないですよ。
いや、まさに成功された方だなと思います。最近の話になりますが、『VR SENSE』(注19)についてお聞かせください。最初はあまりポジティブではなかったということですが。
注19:コーエーテクモウェーブが展開するアミューズメント施設向けのVRライドマシン。香りや暖かさ、冷たさを感じられるなど多彩な機能が搭載されている。

襟川 業務用ゲームの開発に関してはテクモが長年ずっとやっていました。テクモの創業当時のビジネスというのはゲームセンターを運営していくこと、ゲームセンター用の業務用ゲームを作っていくこと、その業務用ゲームの筐体を売っていくことだったんですね。それを引き継いでいるのがコーエーテクモウェーブという会社で、そこでやるのがふさわしいと思っていたんですが、業務用のゲームとか筐体は、もう10年ぐらい作っていなかったんです。業務用ゲームの業界が厳しい時代を迎えていましたので、先を見越して撤退したんですね。それからしばらく経っていて経験がないので、あまり事を急がないほうがいいんじゃないかなと思っていたのですが、会長は思い立ったらすぐやりたい人で(笑)。
筐体のデザインも御自身でお考えになったりとか、すごいアクションが早かったですよね。
襟川 ええ、すっごい早いんですね。思い立ったらもう、すぐやらないと気がすまないので。
でも、そのときに「ウチのスタッフは使っちゃダメ」というようなことをおっしゃられたわけですよね。
襟川 それはですね、今もそうなんですけれども、毎年この時期にこういうソフトを出すという開発計画が、3年先まできっちりできあがっているんです。各ラインを含めて社員が2300人ぐらいいるのですけれども、その2300人が3年先の仕事まで全部埋まっちゃっているわけです。ですから、『VR SENSE』を今急にやるといっても、なかなか人員を揃えられないんですね。それで、どこかに捻出できる部隊がないかとなっていたんですが、たまたまコーエーテクモウェーブのパチンコやパチスロのソフトを作っている部隊の手が少し楽になっていまして。なんとかなりそうだというので、そこから数人を回して、コーエーテクモゲームスからもなんとか人を集めて、それでチームを作ったんです。

1989年サンフランシスコWCCF会場にて
決してネガティブだったわけではないけれど、人を出す余裕がなかったと。
襟川 ええ、そうです。
変化するゲーム会社の経営形態と、その進化を語る
でも、3年先まで開発計画ができているというのはすごいことですね。
襟川 ゲームソフト会社を経営するなら、3年から5年先ぐらいまでの仕事を事前に決めておかないといけません。でないと、どんな人材が何人必要か決まりませんからね。そうした計画に即した人たちを採用して、研修などで育てていくということをしていかないと、どんどん会社として衰退していっちゃうんです。やっぱり新しい分野に挑戦して、新しい面白さを作っていくとなると、どうしても社員の数が必要になるんです。

ゲームソフト会社としてスタートされた頃、もしくはそこで成功のフチに手がかかったぐらいの頃、社員が2000人以上いる今の規模のような会社に、みたいなお考えはあったのでしょうか。
襟川 いやいや全然思いませんでした。それはまったくないです。自分で楽しくプログラミングして、それを皆様に遊んでいただいて、喜んでいただいて、買っていただくっていう。それだけで十分という感じでしたから、将来の会社の設計であるとか長期の遠大な経営計画とか、そんなのは全然なくて。ただ面白い仕事をしていれば、なんとか食べていけるっていうね。最初の頃はそれぐらいしか思っていなかったです。
ですが、社員がだんだん増えてくると、やっぱり会社の経営方針であるとか、1年間の開発計画であるとか、そういったものを皆さんに提示して一緒に頑張ろうっていう風にしないと、みんなの力をひとつに結集できないんです。ですから、社員が増えてきたことで、自分が経営者としてすべきことがだんだん見えてくるようになりました。そういうのが分かってきて、初めて『信長の野望』ができたんですね。
