Interview

音楽だから伝えられることがある。伊万里 有の“愛”が込められた2nd EP「My Love Is...」

音楽だから伝えられることがある。伊万里 有の“愛”が込められた2nd EP「My Love Is...」

2016年よりミュージカル『刀剣乱舞』で長曽祢虎徹 役を演じ、“刀剣男士“としても注目を集めつつ、劇団鹿殺しロングスタイル歌劇『俺の骨をあげる』(18)、今年に入ってからも『機動戦士ガンダム00 -破壊による再生-』や、今後も舞台上演が何本も控えるなど、精力的に舞台出演を重ねている俳優の伊万里 有。昨年7月にはEP「My Name is…」でアーティストデビューを果たしたことを機に、本格的に音楽活動をスタートさせ、2nd EP「My Love Is…」のリリースを4月3日に迎える。そんな彼に、2nd EP「My Love Is…」のこと、振り返っての音楽ルーツ、今後の目標などについて聞いた。

取材・文 / 松浦靖恵 撮影 / 増田慶

音楽がなかったらもっと孤独を感じていたと思う

お姉さんやお兄さんの影響もあって、小学生の頃から洋楽を聴いていたそうですね。

姉と兄がパンク好きだったので、自分もその影響でパンクを聴いていました。当時、クラスの中でセックス・ピストルズを聴いていたのは自分だけでしたね(笑)。

兄姉3人揃ってパンク好き! どんなご家庭だったのか、とても気になります(笑)。

今思うと、厳格すぎる親への反抗心からパンクにいったんだろうなって思います(苦笑)。親には「少しもズレることなくまっすぐに歩け」と言われ続けていたんですけど、まず姉が「私は曲がります!」って感じになって(笑)。最初に姉がパンクに走り、そのあと兄もって感じで、自分もふたりのあとに続いていました。その後、姉がヒップホップにハマったり、兄がDJをやったりするようになるんですけど、そのジャンルの音楽を自分も追いかけて聴くようになって。音楽やファッションに関しては、当時の姉と兄の影響をすごく受けていたと思います。あと、兄の幼馴染みの影響でビジュアル系バンドも好きになったりして。LUNA SEAとかガンガン聴いてましたね。

好きな音楽の話をクラスメイトにしても、話が合わなかったのではないですか?

そうなんですよ! 1ミリも共感してもらえなかったです(笑)。だから、姉や兄の世代の人たちと遊ぶことが多かったですね。パンクを聴いていた小学生の頃には、安全ピンを耳に刺して穴を空けていたし、ファッションもほかの子とは全然違っていましたから(笑)。ダメージデニムを履いて、スタッズの付いたリストをしたり、姉のお下がりのポンプフューリーを履いて学校に行っていたりしたので、同級生たちにはかなり変わり者に思われていたと思います(笑)。

やんちゃな小学生だった?

おそらくそういうことでしか、自分の中に溜まり続ける鬱憤みたいなものを消化できなかったんでしょうね。あと、目立ちたがりなところも少しあったので、自分はほかの子と、やっていることも聴いている音楽も違うんだっていうアピールをしたかったっていうのもあったんじゃないかな、と。今思うと、わかりやすい子だなって思いますよね(苦笑)。

でも、自分には好きな音楽があって、カッコいい音楽を知っているんだっていうのが、当時の伊万里少年にとっては、とても大事なアイデンティティになっていただろうし、音楽に救われていた部分もあったのではありませんか。

それはすごくあると思います。ずいぶん変わり者だったと思うし、当時は身長も小さかったのでいじめられることもあったから、音楽がなかったらもっと孤独を感じていたと思います。当時はスペースシャワーTVやMTVを観るのも好きで。そこで好きな音楽や好きなアーティストを自分で見つけるのが楽しくて。日本のアーティストだと、HUSKING-BEEやHi-STANDARDが好きでしたね。小5の頃には「“FUJI ROCK FESTIVAL”に行きたい!」って思っていましたし(笑)。地元が佐賀県だったので、苗場までは遠くてなかなか行けなかったんですよね。だから、空を見上げて飛んでいる飛行機を見て「あれに乗って、俺は絶対“FUJI ROCK”に行くんだ」って夢見てました(笑)。

ダンスへの興味は?

小学生の頃に陸上と空手をやっていたりしたのでスポーツも全般好きでしたし、外で動きまくっていたので自然と運動神経が良くなっていたこともあったし、自分が好きな音楽がダンスと一体なものが多かったから、自然とダンスにも興味が向いていましたね。ただ、当時住んでいた街の周辺にはダンススタジオがなくて、周りにもダンスをやっている人がいなかったので、興味を持ったばかりの頃は『少年チャンプル』(ストリートダンサーを取り上げていた深夜番組)をテレビで観ているだけでした。高校に入ってから、独学でダンスをやっている同級生と一緒にダンスチームを組んで、B2Kのメンバーが出ている映画『You Got Served』を観て影響を受けてオリジナルのダンスを作ったり、イベントに出たりもして。ダンスができる環境がないなら自分たちで環境を作ろうぜって感じでしたね。それで、「高校を卒業したらダンスをやりたい」と親に言ったら、厳格な親は当然「NO!」で。親が自衛官だったこともあって、自衛隊の試験を強制的に受けさせられるんですけど、100パーセント落ちるために、テスト用紙には何も書かないで提出したりしました(笑)。

自分で音楽をやりたい、歌を歌いたいということを現実的に考えたきっかけは何だったんですか?

音楽やダンスは好きでしたけど、自分が歌うということは考えたことがなかったんですよ。モデルや俳優の世界に入って活動をしていくなかでレコード会社の方やDJ PMXから「レコーディングをしてみようよ」と声をかけていただいたことが、大きなきっかけになりました。伊万里 有ってこういう人間で、こんな音楽が好きなんですよっていうところを、自分の音楽で表現したいという気持ちにさせてくれた。そんな大切な出会いだったと思います。

「My Name is…」を作ってからは、自信を持って行動ができるように

昨年7月に1st EP「My Name is…」でアーティストデビューを果たしたことや、自身の音楽を発信できる場所ができたことで、何か心境の変化はありましたか?

「My Name is…」に参加してくれたUTAさんやSunny Boyさんと初めて会った時期は、今思うとですけど、人の目を気にしすぎてしまっている自分があまり好きではなかったような気がします。本当の自分を誰にも見せることができなくて、自分に嘘をついているような気がしていたというか、気持ち的にも一番つらかった。周りの人にも「大丈夫? 元気ないけど」って言われることも多くて。そういう後ろ向きの気分もあって、あんなに好きだった音楽があまり好きではなくなっていたんですよ。でも、そんな時期に「My Name is…」のレコーディングがあって、自分の救いになりました。やっぱり音楽って楽しいんだ、自分は音楽が好きなんだってことを再確認させてくれた大事な作品になりましたね。

そこで伊万里さんはまた音楽に救われたんですね。

救われまくってます(笑)。やっぱり自分は音楽が好きなんだっていう気持ちになれたことで、俳優として触れる音楽に対しても楽しいっていう感覚が自然と生まれてくるし、自分が好きな音楽がより好きになりましたね。「My Name is…」は、俳優として自分が歌っていたミュージカルの音楽とは違うジャンルの音楽だったので、ファンの方はビックリしたと思うけど(苦笑)。「My Name is…」を作ってからは、音楽活動だけじゃなくて俳優としても、どんな状況に置かれても、自分で考えてしっかり咀嚼して、消化したものや得たものをアウトプットしていけるようになれました。自信を持って行動ができるようになったし、なんでも楽しめるようになりましたね。

そんな心境の変化が、2nd EP「My Love Is…」にも十分に注がれているんですね。

今日、ここに来るまでに「My Love Is…」を聴きながら来たんですけど、なんか……いい意味で余裕が出てきたのかなって思いました(笑)。きっと「My Name is…」を出す前って、「やらなきゃ! 頑張らなきゃいけないんだ!」って、どこか自分で自分を追い詰めているような日々だったんですけど、今はどんな状況でも自分でいられるというか。レコーディングでも舞台でも、人の意見に耳を傾けつつ、自分の意見もちゃんと貫く。貫くからには「みんなを喜ばせるから! みんなを楽しませるから!」って、自信を持って言える自分が今はいますね。

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