佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 88

Column

半世紀以上も前の記事を見直してあらためてわかったアメリカでの「スキヤキ」現象と名曲の生命力

半世紀以上も前の記事を見直してあらためてわかったアメリカでの「スキヤキ」現象と名曲の生命力

「上を向いて歩こう」が「SUKIYAKI」のタイトルで、アメリカを皮切りに世界中で大ヒットしたのは1963年のことだ。

トップ画像のレコードは、会員が特別価格で商品を購入することができるというドイツの娯楽クラブシステムで、その1963年以降に頒布されたものらしい。

レコードのA面にはビリー・ヴォーン楽団の演奏による「SUKIYAKI」と「HAPPY COWBOY」が、B面にはパット・ブーンの「TIE ME KANGAROO DOWN SPORT」と「MEMORY MOUNTAIN」が収録されている。

日本でも「悲しきカンガルー」のタイトルでヒットした「TIE ME KANGAROO DOWN SPORT」だが、オリジナルはロルフ・ハリスの自作自演によるもので、アメリカでヒットしたのは1963年の夏のことだった。

坂本九の「SUKIYAKI」が7月6日付で4週目の全米チャート1位になっていたときにベストテンに入ってきて、その後3位にまで上昇した。 だから1963年のヒット曲を組み合わせて、ドイツでこんなレコードが作られたのだろうと思われる。

ビリー・ヴォーンの演奏によるシングル盤はヒットしなかったが、同じ時期に『SUKIYAKA』というタイトルで発売したアルバムは、チャートで最高10位にまで食い込むヒットになった。

DOT(ドット)レーベルのA&Rとしても手腕を振るったビリー・ヴォーンは、当時のポピュラー音楽界のリーダー的な存在で、彼が見出した楽曲はかなりの確率でヒットした。
彼がメロディー重視でアレンジした軽やかなサウンドのインストゥルメンタル作品は、1950年代からポピュラーソングのファンの間では人気があって、アルバムが安定して売れていたのである。

そんなことをあらためて確認したのは、先日亡くなった内田裕也氏について調べるため、「ルーツ・オブ・ジャパニーズ・ポップ」という本を資料として読み直したことがきっかけだった。

これは新興楽譜出版社(現在のシンコーミュージック・エンタテイメント)発行の音楽誌『ミュージック・ライフ』のバックナンバーから、日本のアーティストに関する記事だけをピックアップして年代順にページを組んで復刻した本である。

これを編纂した音楽研究家の故・黒沢進氏が対象としたのは、「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が日本に紹介された1955年の9月号から、ロカビリーブームとGSブームが終焉した後に、ニューロックが台頭してくる1970年の12月号までの記事である。

それが約450ページもの厚さの本になって、1995年に発行されたのだ。

グループサウンズの研究で知られる黒沢氏がまとめれたこの貴重な労作がなかったならば、筆者の執筆した「美輪明宏とヨイトマケの唄」は成り立っていなかったと思う。

そのくらい、資料としての価値が高いページが多い。

さて、この度は「ルーツ・オブ・ジャパニーズ・ポップ」の246ページに掲載されていた日本ポップス界の金字塔、坂本九「SUKIYAKI(スキヤキ)」のチャート・データについて、あらためて読み直して考えさせられたことについて述べたい。

以前に「上を向いて歩こう」のノンフィクションを執筆したときは、現在でも詳細なチャートが残されていて、しかもインターネット上で確認できる『ビルボード』誌のデータに依拠した。

そのために『キャッシュボックス』誌のチャートに関しては、参考にながめていたという感じだった。
だから気づかなかったのだろうが、今回は新しい角度からの発見があった。

きっかけとなったのは「スキヤキ」関連のレコードが、『キャッシュボックス』のシングルとアルバムのチャートで、どのように推移したのかを解説した内容の記事で、それを見ていたときに気づいた。

ここで1963年8月当時に掲載された『ミュージック・ライフ』の記事を引用したい。
なお、対象となったレコードは坂本九のシングル盤「SUKIYAKI」と、同じく坂本九のアルバム『Sukiyaki and Other Japanese Hits』、それにビリー・ヴォーン楽団のアルバム『SUKIYAKA』である。

6月1日付 第8位 (シングル盤、坂本九)
第19 位 (LP、ビリー・ヴォーン)

6月8日付  第2位 (シングル盤)
第66位 (LP、ビリー・ヴォーン)

6月15日付 第1位 (シングル盤)
第54位 (LP、ビリー・ヴォーン)
第87位 (LP、坂本九)

6月22日付 第1位 (シングル盤)
第35位 (LP、ビリー・ヴォーン)
第66 位 (LP、坂本九)

6月29日付 第1位 (シングル盤)
第20位 (LP、ビリー・ヴォーン)
第46位 (LP、坂本九)

7月6日付  第1位 (シングル盤)
第15位 (LP、ビリー・ヴォーン)
第29位 (LP、坂本九)

7月13日付 第4位 (シングル盤)
第11位 (LP、ビリー・ヴォーン)
第19位 (LP、坂本九)

7月20日付 第9位 (シングル盤)
第10位 (LP、ビリー・ヴォーン)
第15位 (LP、坂本九)

7月27日付 第13位 (シングル盤)
第19位 (LP、坂本九)
第21位 (LP、ビリー・ヴォーン)
 

筆者がこの記事で驚かされたのは、ビリー・ヴォーン楽団のアルバム『SUKIYAKA』が、インストゥルメンタルにもかかわらず、大いに健闘していたという事実だった。

すでにその年の1月にイギリスではジャズのコンボを率いるケニー・ボールが、「SUKIYAKI」というタイトルを最初に名付けて、シングルチャートの10位にまで食い込むヒットを放っていた。

このときにも明るくて陽気なアレンジで、イギリスでは大人のファンに受けが良かったのだ。

アメリカでもビリー・ヴォーン楽団のアルバムを買うのは大人の音楽ファンであり、シングルチャートを支えている子供や若者向けではなかった。
そうした大人の層にまで日本生まれの歌が、しっかり届いていたということの意味は大きい。

ティーンエージャーたちは坂本九の歌声を聴いて一緒に口笛を吹いて楽しみ、大人たちはケニー・ボールやポール・モーリア楽団の演奏するメロディーやハーモニーを受け入れたのだろう。

したがって坂本九の歌う「SUKIYAKI」とは別に、「上を向いて歩こう」という楽曲が、メロディーの良さで浸透していったのではないか。

アメリカではビリー・ヴォーンによって「SUKIYAKI」の名前とメロディーが、かなり広範な層にまで知られたに違いない。

ドイツにおいてパット・ブーンとのカップリングでレコードが出たりもしたのも、そうしたことの延長上であったと考えられる。

つまり歌詞や歌がなかったとしても「SUKIYAKI」は器楽曲として成立していたし、日本のみならず世界にも通用する力があったのだ。

それを証明するかのように、10数年の歳月を経て個性的なヴォーカルによるカヴァーによって、「上を向いて歩こう」は日本とアメリカでリバイバルヒットしている。

「上を向いて歩こう」が日本の若い音楽ファンの間で有名になったのは、忌野清志郎が率いるロックバンドのRCサクセションが、ライブでカヴァーしたことによるものだった。

ライブの評判が良くて1979年にシングル盤で発売されたが、この時点ではヒットしなかった。

それが1980年代に入って、大ヒットしたアルバム『ラプソディー』に収録されたことで、一気に新しいファンに知られるようになっていったのである。

それとまったく同じ頃に、アメリカでもキャピトルに所属するR&Bグループで、グラミーでは新人賞に輝いたテイスト・オブ・ハニーが、英語詞による「SUKIYAKI」に挑んでいた。
本人たちの強い希望によってスローでエキゾチックなサウンドになり、1980年に発表されたアルバム『Twice As Sweet』の1曲として世に出た。

ただしこのアルバムは当初、セールス的に完全な失敗に終わっていた。
2枚続けてシングル・カットした曲が、どちらもまったくヒットしなかったので、そのまま万事休すかと思われた。
ところがそこに思わぬ神風が吹いてきて、「SUKIYAKI」に脚光が当たり始めたのである。

テレビ映画の大作『SHOGUN(将軍)』がNBCネットワークで5日連続放映されて大いに話題になったのは、1980年9月15日から9月19日にかけてのことだった。

この番組が全米視聴率では平均32.6%、最高36.9%を記録して大評判になり、そこから翌年にかけて時ならぬ日本ブームが起こった。

テイスト・オブ・ハニーの「SUKIYAKI」は1981年2月、そんなタイミングでキャピトルからシングル・カットされた。

当初は地味な動きだったがじわじわとソウル・チャートを上昇し、発売から半年後の8月に入って、ついにナンバーワンの座を射止めることになった。

しかもソウル・チャートばかりでなく、全米ポップ・チャートでも3位にまで上昇し、全米レコード協会(RIAA)公認のゴールド・ディスクに輝いたのだ。

筆者はRCサクセションがロックでカヴァーした「上を向いて歩こう」と、ソウル・バラードになった「SUKIYAKI」が、それぞれ2年がかりでリバイバル・ヒットしていった軌跡をたどってみて、世界のスタンダード・ソングにまで成長した楽曲の持つキャパシティの大きさが、あらためてわかったように思った。

それとともに、わかりやすくて普遍的なメロディーのほかに、歌そのものに宿っている生命力があるのではないか、と思わずにはいられなかった。

それにしても日本とアメリカとでシンクロニシティだったのは、何とも不思議な現象だったが、それもまた名曲の生命力によるものなのだろうか。

そんなことをあれこれと考えていると、ニューヨークを舞台に白戸家の面々が「上を向いて歩こう」を歌う、というソフトバンクのCMが流れてきた。

「上を向いて歩こう」にはこれからも何かが起こるのではないかと、希望がわいてきた。

『上を向いて歩こう』(スキヤキ)楽曲一覧
『上を向いて歩こう』 / 坂本 九

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち

著者:佐藤剛
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ビートルズ来日をめぐる人間ドラマを丹念に描く感動のノンフィクション。

1966年のビートルズ来日公演、それは今になってみれば、奇跡的といえるものだった。いったい誰が、どのようにしてビートルズを日本に呼ぶ計画を立てて、それを極秘裏に進めて成功に導いたのだろうか? これは日本の経済復興の象徴だったリーディング・カンパニーの東芝電気と、その小さな子会社として生まれた東芝レコードにまつわる、歌と音楽とビジネスをめぐる物語である。

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