【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 118

Column

CHAGE&ASKA 「僕はこの瞳で嘘をつく」を、ASKAは宮本武蔵『「五輪書』の「水の巻」を読んで書いた”という説

CHAGE&ASKA 「僕はこの瞳で嘘をつく」を、ASKAは宮本武蔵『「五輪書』の「水の巻」を読んで書いた”という説

さて今週はこの話題から。4月2日の火曜日。NHKの「うたコン」という生放送の歌番組を観ていたら、1曲目が「YAH YAH YAH」だった。歌ったのは島津亜矢と井上芳雄。島津はジャンルとしては演歌だが、ポップやロックも歌いこなす。井上はミュ−ジカルを中心に活躍し、どちらも文句ナシの実力派だ。それもあり、改めてあの曲のスケールの大きさが伝わった。

コーラス隊も加わったステージだったので、後半はオリジナルのイメージより、ゴスペルっぽい仕上がりに感じた。でも実は、もともとこの歌は、ゴスペルの雰囲気を秘めていたのではなかろうか(オリジナルにおける後半の二人のハモりの掛け合いなど…)。それを「うたコン」という番組が、改めて気付かせてくれた。

CHAGE&ASKAのファンの中には、本人達以外のものを歓迎しないヒトもいるかもしれないが、作品というのは違うボーカリスト、違うアレンジャーが光をあてることで、そこに新たな“造形”を得て、新鮮に感じられたりもする。

「YAH YAH YAH」だなんて、ちょっと話が先走ってしまったが、このコラムは現状、「SAY YES」からアルバム『TREE』あたりに差し掛かったところだ。でもあれだけのヒットだったわけで、CHAGE&ASKAの二人もまわりのスタッフも、次のシングルはどうすんべ−、ということにもなったのではなかろうか。

いやでも、ヒットするかなんて分からないのだし、既に事前に次の曲は選ばれてて、良かれと思われるタイミングに粛々と出されただけかもしれない。その曲が、91年11月の「僕はこの瞳で嘘をつく」だ。

とはいえこの曲は、通常なら、シングル・カットする必要がなかったかもしれない。そもそも『TREE』の1曲目だ。もうみんな、アルバムで聴いていた。それをわざわざシングルにするというのは、市場原理から言って、ひとつのことしか考えられない。この時期のCHAGE&ASKAは、需要が供給を上回っていたのだ。アルバムからのリカットなのに、当時このシングルは、ミリオン近くまでセールスを伸ばした。

しかもカップリングだけはアルバム未収録曲かと思いきや、「TREE Digest」という、まさにアルバムのダイジェスト・メドレー音源だった。筆者は真面目なので、改めてこの「TREE Digest」をmoraで257円出して聴いてみた。それはそれで面白かったが、ダイジェストということは、アルバムの“試供”という意味合いであり、そこから伝わるメッセージはただひとつ。「まだの方はぜひ、アルバム『TREE』を聴いて下さい!」。

この時期のチャゲアス・サイドは、需要に供給が追いつかないのを知りつつ、同時に新たな需要を掘り起こすという離れワザをやっていた。そもそも1991年といえば、CHAGEがMULTI MAXを、ASKAがソロを、旺盛に展開していた。誰にでも人生の繁忙期というのはあるが、まさにそうだった。

さらに別の角度から、シングル・カットの意図を探ってみよう。それは翌年1992のツアー『BIG TREE』への布石、ということだ。まさにそうかもしれない。コレを聴いたら、もう、ライブを観ないわけにはいかなくなる。

手元に音源をお持ちなら、改めてエンディングまで聴いて欲しい。実際はそうじゃないだろうけど、“スタジオ・ライブ音源”と言ってもいいほどの臨場感である。その場に居たミュージシャン達の、音楽への情熱がほとばしり、ぐいぐい押し寄せてくる。

音楽スタイル的には“タッ、タッ”という立った感覚のドラムが特徴的で、想起する音楽ジャンルは伝統的なソウル・ミュージックだ。で、しばしば話題になる、“含み”の多い恋愛表現に関しては、作者のASKAも“含み”の多い発言をしている。公式HPのライナーノーツには「やさしさとはまた違うんだけど、男のズルさともまた言い切れない」、と。

僕はこの曲、ASKAが剣道の達人だから書けたんだと想像する。試合において、対戦相手の目をみて、次の一手を察するのみならず、自ら相手に目から情報を送り、攪乱するのは普通のことだろう。よく歌に出てくる“目”や“眼”や“瞳”は、主人公が相手の瞳を覗き込み、“もはやアナタの眼には他のヒトが映ってる。ひどぉ〜い!”みたいなのが多いが、この歌における“瞳”の登場の仕方はより能動的だ。

かなりアクロバティックな類推かもしれないが、ASKAは宮本武蔵の名著『五輪書』の「水の巻」を読んで、この歌を書いたのではなかろうか? 目の前の相手の仕草と、この恋愛自体の行く末と、その両方を同時に感じとれる心のスタンスがこの歌を生んだとするなら、「水の巻」との共通点がないわけではない……、みたいなことを、僕は今回、考えてみた。ぜひ読者のみなさんも、自分のオリジナルな歌の解釈を、おのおのお友達と盛り上がって頂きたいものである。

なお、この歌のライブでは、彼が一段高い場所から片手倒立し、ふわりとステージに着地してみせるパフォーマンスも話題だった(YouTubeに、そのシーンのみ集めたものもあった!)。肝心なことを書く。とはいえ彼は、自分の運動神経を見せびらかしたくてやってたのではない。

ライブで「僕はこの瞳で嘘をつく」を体験したヒトなら分かるだろうが、あれは楽器のソロ演奏のエスカレーションにも似た行為…、つまり、歌の延長の表現だ。とってつけたものではない。事実、客席にいる我々は、その行為が歌や演奏の延長線上のものであることを認識し、だからその瞬間、更なる解放を味わうのだ。

音楽は時間芸術であり、時間に則って進行していく。でも片手倒立し、ふわりと着地となると、そこだけ(視覚的な)別の時間軸が出現する。耳に入ってくる演奏と、目で確認するASKAの身体パフォーマンスが、意識のなかで程良くズレる。だから客席にいて、ゾクゾクするのである。

書き忘れたが、ASKAの剣道における得意技……、それは「引き面」だそうである。さらに余談だが、彼は剣道四段である。

文 / 小貫信昭

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