【80年代名鑑】明菜からYMOまで 80'sからの授かりもの  vol. 119

Column

CHAGE&ASKA 1992年5月3日 大阪城ホールでの勇姿

CHAGE&ASKA 1992年5月3日 大阪城ホールでの勇姿

1992年の快進撃は、3月に発売された『SUPER BEST II』に如実に現われていた。「モーニングムーン」以降の全シングルを収録したこのアルバムは、いきなり300万枚を突破した。さらに、日本の人気ドラマは国境を越え、アジアでもファンを獲得していたため、主題歌を歌うCHAGE&ASKAの人気も、様々な国へ飛び火していった。でも、既に書いた通り、彼らはこれらの“現象”を、いたって冷静に受け止めた。これはASKAの回想だ(ここだけ引用すると、当時の発言より語気が強いものに伝わってしまうかもしれないが、実に的を射た表現なので、ぜひ紹介したい)。

もうブームだったから。ブームだよって思ってないと、やりきれないところもあるしね。雪山の頂上から小さな雪の玉をコロコロ転がしたらどんどん大きくなって、そこら辺をテクテク歩いている人も巻き込んじゃったってところだよ。
(月刊カドカワ92年6月号)

興味深いのは、彼がブームという言葉を客観的(一部、否定的)に捉えていることだ。ヒトによっては肯定的に捉え、“ブームを起こすこと”を人生の目標にしたりもす。逆である。彼の性格からして、中身のない見せ掛けは、受け入れたくないのだろう。

でも、この状況をほったらかしにせず、“巻き込んじゃった”人達に対するアーティストの責任も、自覚するのだった。改めて、自分達の音楽を理解してもらえるよう、「しっかり伝えていく」決意も、同時に語っていた。

しかし現実とは、厄介なものであり、自分達の音楽を理解してもらうには、やはりライブを観てもらうのが手っ取り早かったが、普通の努力では、なかなかチケットが取れない状況が続いた(ちなみに、今では電子化されてるコンサート・チケットだが、この頃はまだ、街のプレイガイドに徹夜で並ぶ光景もあった。「ぴあ」がオン・ラインのチケット販売を確立するのは、まさにこのあと、1993〜94年頃である)。 

この時期の彼らのツアーをみてみよう。91年9月にスタートした『CONCERT TOUR ’91~’92 “SAY YES”』は、58公演行われ、15万人を動員する。その1か月前には、「SAY YES」がチャートで1位になっている。その時、観たいと思っていた人は、もはやチケットは入手困難だった。そもそも、全国のホール会場を中心とした日程では、もはや収拾がつかない状況であった。この流れの中、92年になって行われたのが、アリーナ主体の『CONCERT TOUR 1992 “BIG TREE”』である。

このツアーはまさに、正真正銘、チケットが“プラチナ”化したものだった。前回取れなくて今回も取れなかった人は、その次まで俺たちのことを待ってくれるだろうか…。マジで本人達は、そんな心配もしていたのだ。

“取れない取れない”“何とかならないか”。僕もこういう声を周囲で聞いたが、もちろん何も出来なかった。

何も出来なかったが、僕自身はライブ・レポートと称して、ちゃっかりこの年の5月3日。大阪城ホ−ルに観に行っている。1992年といえば、並行して、ありとあらゆる数多くのライブを観ていた。そういう立場だからこそ言えたCHAGE&ASKAにしかない特色といえば…、それはまず、「幹の太さ」のようなものだった。

ご存知のように、ポップやロックのコンサートというのは、生音をそのまま届けるのではなく、その場でアンプによって増幅・加工しつつ届けていく。ただ、そもそも線が細いものは、いくら増幅しても、細さを客席に悟られてしまうままに伝わる。その点、彼らはもともとの「幹の太さ」を備えていて、それがあってこその抑揚が、ライブのダイナミズムを生んだ。

この日、僕が出掛けて行った大阪城ホールは、巨大なわりに残響性能がいい会場ではあったが、観るアーティストによっては、“よくぞこんな大きなところでやれたなぁ”という、まず広さへの感想が先にたつ場合もあった。しかしCHAGE&ASKAのライブは、距離がもたらす意識の時間差を、まるで感じさせない一体化を生んでいた。

彼らのライブで長年培われていった、音響や照明の先進性もあってのことだ。そもそも音響とは、キレを求めると軽くなり、迫力を求めると重くなる。でも最大限、両方の魅力を客席に届けるスタッフ・ワークが、彼らのステージを支えていたのだ。

この日、僕の心をいちばん震わせたのは、CHAGEがASKAを、ASKAがCHAGEを、まったく意識しせずシャウトに没頭する瞬間だった。え、ハーモニーじゃないの? そう疑問を投げかける人もいるだろうが、もちろんそれもあり、さらにその先のこととして、アタマがまっ白な恍惚状態になったのが、そうした場面だったのである。

実はこのツアー。冒頭のオープニング・フィルムのなかでも、「二人で歌っていても お互いが見えなくなる程 のめり込む時間がある」という台詞が出てきていた。“もしやあれは伏線だったのか…”。客席で、そう思ったものだった。あれはそう、“合わせようと思わなくても”“合ってしまった”状態であった。二元論で語りがちなこのグループに、一元論が舞い降りたのだ。

そこから生まれる解放感は格別なものであり、しかもそれは、それぞれが持つ、伸縮の違うふたつのバネが連動することにより、何倍、何百倍ものパワーとなっていった……、というようなことを、当時、自分はコンサート・レポートで書いていた。分かったようで分からない表現で恐縮なのだが、彼らの“熱”と“圧”が、思わず僕にそう書かせたのである。

最後に歌われた「BIG TREE」は、この日、このライブで経験したことが、見事、この場所へ収斂していく出来映えだった。でもto be continuedだ。[ひとつの鼓動分け合いながら]。歌詞にそんな表現がある。さらにその先にある、もっともっと、お互いが分かり合える、分かち合える場所を目指す。事実、さらにその先に、彼らによる、史上で最大規模の“作戦”も用意されていた。

確かこの日は、終演後に「感想を伝えてくれ」ということだったと記憶する。楽屋では、たまたまCHAGEには会えなかったが、ASKAには会えた。どんな感想を言ったか覚えてない。「ホール&オーツかと思ったらサム&デイヴだった」とかっていう、けして座布団はもらえないことレベルのことを言ったのかもしれない。そしてASKAは、「ちょっと今日は喉の調子がねぇ」かなんか言っていた記憶がある。“あんだけ気持ち良く歌い倒しておいて、おいおい、じゃあ本調子って、どんななのさ!?”。僕は心で呟いた。まだ本人に、直接ツッコミをいれる勇気はなかった。

文 / 小貫信昭

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