Interview

柾木玲弥と松岡広大が、思春期の“生”と“性”に対峙する舞台『恐るべき子供たち』

柾木玲弥と松岡広大が、思春期の“生”と“性”に対峙する舞台『恐るべき子供たち』

稀代の演出家でありKAAT神奈川芸術劇場の芸術監督でもある白井 晃が、監督に就任してから熱心に取り組んでいる、近現代戯曲を現代の視点で甦らせるシリーズ。その最新作『恐るべき子供たち』が5月18日(土)よりKAAT神奈川芸術劇場 大スタジオで上演される。
フランスの詩人・小説家・劇作家のジャン・コクトーが10代の子供たちの思春期を描いた中編小説を原作に、劇団「はえぎわ」の主宰、舞台・映画・テレビドラマなど俳優としても活躍するノゾエ征爾が戯曲化を手がけ、白井 晃が演出を担当する。キャストもフレッシュな顔ぶれで、社会を知らずに成長する美しい女性・エリザベートに南沢奈央、享楽的な価値観のまま成長するエリザベートの弟・ポールには柾木玲弥、物語の語り部を担うポールの友人・ジェラールを松岡広大、エリザベートの友人・アガートを馬場ふみかが演じる。
10代の“アンファン・テリブル”がつくり上げる世界について、柾木玲弥と松岡広大にインタビュー。大人と子供の違い、10代の思春期についても聞く。

取材・文 / 竹下力 撮影 / 冨田望


上演台本には今作のテーマでもある“大人と子供の境界線”がきっちり表現されている

まず、柾木さんは3年ぶりの舞台出演。そして、松岡さんは海外戯曲、なおかつストレートプレイは初めての経験だそうですね。

柾木玲弥 久しぶりに舞台の世界に帰ってきて、稽古をしながら「舞台の稽古はこれほど奥深い世界だったのか」と改めて驚いています。最初から最後まで同じ空間で同じ役であり続けると、自分を客観視する時間がなかなかなくて「大丈夫かな?」と不安にもなってしまうのですが、本番ではきちんとつくり上げられたものをお客様に観ていただけると信じているので、ここから稽古を重ねてそんな不安を解消したいです。

柾木玲弥

松岡広大 チェーホフやシェイクスピアといった海外の劇作家は、日本では使わない言葉遣いをするので、言葉から得られるイメージや感覚を掴むのが難しくて(苦笑)。ただ、難しいことに挑戦することにはやりがいを覚えますし、僕らは真摯に稽古に打ち込んで僕らの『恐るべき子供たち』の世界をつくり上げようと思っています。

松岡広大

原作はジャン・コクトーの傑作小説ですが、ノゾエさんによってどのような上演台本に生まれ変わりましたか。

柾木 原作は文字しかない世界ですから、それぞれの読み手が想像して世界観を膨らませて登場人物を生かすことに面白さがあるのですが、舞台の場合は、みんなの頭に思い描いている世界をひとつに共有させることが大切だと思っていて。ノゾエさんの台本は、ジャン・コクトーの良さを残したまま、ひとりひとりのキャラクターにちゃんと個性があって、言葉のチョイスも面白いし、なによりもコクトーの描いた世界をみんなでわかり合える、まさに演劇的な上演台本になっています。

松岡 原作は情景やキャラクターの心情に重きを置いているので、子供たちの可愛らしい一面が顔を出すことが少ないように感じたのですが、僕らが演じることで子供の持つ可愛らしさや愛らしさが生まれてくる。だから、上演台本には今作のテーマでもある“大人と子供の境界線”がきっちり表現されていると思います。

柾木 たしかに。それぞれのキャラクターの可愛らしさが上演台本では描かれているよね。

上演台本を拝見して、やはりコクトーは詩人なだけあって、詩的な表現も散りばめられていますね。読解に難しさもあると思いますが、どのように脚本と向き合っていますか。

松岡 僕が演じるジェラールは、片足を子供の世界に置いて、もう片足は大人の世界に踏み入れているといったような中間的な存在です。どちらかというと、エリザベートとポール姉弟を外から見守って俯瞰している。いわば、子供たちの証人のような役どころで、子供たちの行動や心情を把握することを大切にしながら脚本を読み込んでいます。

柾木 原作に書かれている詩的な言葉は、読み手の想像力を働かせる作用がありますが、舞台では想像ではなく実像を描かなければならないと思っています。最初の本読みのときに白井さんの描きたい世界観を伺ったのですが、「ここからここまでは子供、あるいはここまでが大人、という境界線をはっきりさせて、あくまで子供が大人に喋りかけているような世界にしたい」というようなことを感じたので、現実世界でも通じるリアルな台詞を発していきたいと思います。

大人になれない葛藤やもどかしさ。愛や嫉妬といった内側に秘めた想いが、お客様に伝わるような芝居をしたい

柾木さんはポール、松岡さんはジェラールを演じます。それぞれどんな役だと思いますか。

柾木 ポールは病弱で、ある事件をきっかけに、姉のエリザベートと子供部屋に籠ることになります。そこにジェラールとアガートが関わってきて、4人が触れ合うことで、ジェラールとアガートは次第に大人になっていくのですが、ポールはどんなことが起きても子供のまま。それでも、ジェラールとアガートに接することで、大人になる瞬間は何度か訪れますが、弟を溺愛するエリザベートに遮られ、大人になれない。大人への憧れを抱いているから、大人になれない葛藤やもどかしさがある。なので、愛や嫉妬といった内側に秘めた想いが、お客様に伝わるような芝居をしたいと思います。

松岡 ジェラールは誠実で博愛精神に溢れて正義感が強いですね。常識的な知識も持ち合わせていて、子供ではあるけれど、善悪の判断がしっかりしている。そして、ポールがダルジュロスに憧れているように、ジェラールもポールに対して複雑な気持ちを抱いている。原作では、ポールの危うさに魅了されていた彼が次第にエリザベートに惹かれていく姿が描かれて、そこにアガートという存在が現れ、“社会=大人の世界”が立ちふさがるストーリーになっています。彼が子供の象徴であるポール姉弟といる間だけは特別な時間になるので、大人の世界からは得られない刺激をふたりから得ようとしている役なのではないかと思います。

“アンファン・テリブル”という流行語が生まれたほど、原作は、4人の10代の子供が生み出す世界が読者にショックを与えました。特に大切なのは主人公のエリザベートとポールたちの複雑な関係性にあるような気がするのですが、どのように表現していきますか。

柾木 おっしゃるように、エリザベートの歪んだ愛が中心になって物語をつくっていきます。舞台では、南沢さんが演じるエリザベートのいびつな弟への愛情を、どんなときもよしよしとあやすような物理的な仕草でとても近い距離感で表現されます。ですから、僕自身も実際に南沢さんに愛されるようなポールにならなければ今作は成立しないと思っています。

松岡 エリザベートとジェラール、ポールとジェラールの関係は、主人と使用人の関係に近いです。ストーリーが進むにつれて、ポールからエリザベートとの関係が大切になっていくのですが、どの場面でもどちらかの召使いになってしまうんです。舞台上では、そんな関係をはっきりさせながら、4人それぞれにいびつな感情が生まれることが大切だと思うので、みんなでしっかりディスカッションをして、それぞれの役をつくり上げたいと思います。

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