“平成”を駆け抜けた音楽たちのちょっとイイ話  vol. 3

Column

独特の個性と新しい価値観──平成に撒かれたPOP VIRUS

独特の個性と新しい価値観──平成に撒かれたPOP VIRUS

自分の中で音楽を区切るのはもっぱら西暦単位なので、普段は元号を意識する機会はないが、あえて“平成”で振り返ると、その入口と出口では、音楽を聴く状況が大きく様変わりした。聴くのはPC(もはやCDプレイヤーは外付けだ)やiPhone、過去の音源を探すときや聴き直すのも定額ストリーミング配信で事足りることが増えた。それでも、うちには広くはない部屋にCD棚が居座っている。平成の遺物。遠くない将来、そう呼ばれるかもしれないと思いつつ、この物体が輝いていた“平成”を思い出してみたい。

平成の入口の日本はバブル景気とバンドブームに湧いていた。80年代中頃からBOØWYやレベッカの成功もあり、数多くのバンドがデビュー。今も活躍中のユニコーンは解散まで毎月のように取材していた。うちにあるサンプル盤は2nd『PANIC ATTACK』(1988)まではアナログで、CDは『服部』(1989)から。CD全盛時代が平成と共にスタートしたことが分かる。ツアー先のあれは福井だったと思うが、某チェーン系ドーナッツ店でインタビューした記憶がある。なんとものどかな時代だった。1993年夏のラストコンサートの沖縄には各媒体がこぞって駆けつけ、今思えば、グラビアとインタビュー中心の平成の音楽雑誌の活況に一役も二役も買っていたのがユニコーンだった。一筋縄ではいかない音楽性とキャラクターの立ったメンバーの個性で再結成以降も高い人気を集め、ライブではあの頃、熱心に記事を読んでいた思しきファンの情熱いまだ衰えずを思い知り、勝手に有り難い気持ちになっている。

1985年にデビューした米米CLUBも「君がいるだけで」の特大ヒットを生んだのは平成4年。独自のエンターテインメント性を貫いたライブ活動に重きを置いていた米米は、CDはライブとは別物(ノベルティ?)の意識があり、そういう意味では今を先取りしていたと言えなくはない。誰もが知るヒットを生む一方、「先に謝ってしまえば何をやってもいい」と嘯き、『SORRY MUSIC ENTERTAINMENT』(1995)という異色楽曲を収録した2枚組CDを発表。先日、サカナクションの山口一郎氏がナビゲーションするFM番組が米米の特集を組むにあたり、その問題作からの曲のオンエアーを強く押したのだが、はたして山口氏がどう感じたのか気になるところだ。また、華やかなステージと豪華なセットはバブル期の象徴でもあったが、それゆえにステージにかけるエネルギーは凄まじく、終演後は抜け殻のようになっていたこともしばしば。今も圧巻のパフォーマンスを繰り広げている秘密はそこにある。

ユニコーンや米米CLUBが人気を集めていた同じ頃、後に「渋谷系」と呼ばれるアーティストもデビューした。フリッパーズ・ギターは、平成が始まった1989年に登場、3枚のアルバムを残し、突然解散してしまったが、短い活動期間にも関わらず伝説的な存在になった。1990年にデビューしたスチャダラパーとフリッパーズ・ギターの初対面に当たる鼎談を担当したのは『CAMERA TALK』(1990)の前後だったと思うが、その交流がソロとしてデビューした小沢健二とスチャダラパーのコラボレーション「今夜はブギー・バック」(1994)になろうとは……。「とにかくパーティを続けよう これからも ずっとずっとその先も」は、時を経て今ではアンセムの様相を呈してきている。

「渋谷系」という呼び名の発生については諸説あるが、渋谷のCDショップでユーミンやドリカムを凌ぐほどの勢いでセールスを伸ばしていたこともその要因。小山田圭吾がとCorneliusして活動をスタートし、オリジナル・ラブ、ピチカート・ファイヴなどもその括りに入れられたが、その渦中で「俺は渋谷系じゃない!」と渋谷公会堂のステージで叫んだのはオリジナル・ラブの田島貴男だった。フリッパーズの2人も田島貴男も根っこの部分にパンク精神があったのは世代のせいもあるが、彼らの音楽の中にもそれは息づいていて、「渋谷系」=洒落たサウンドというイメージだけでは計りきれない既存の音楽への反発、新しい価値観の提示が同じ思いを抱く若い層の支持を集めたのだと思う。

今年、新作『bless You!』をリリースした田島貴男のインタビューで、「音楽に意識的でクリエイティブな若い世代が増えて音楽がやりやすい状況になってきた」と語っていたのは印象深い。CD不況の暗い声を聞き飽きた頃に登場したアーティストたちが、新しい時代の幕開けを感じさせてくれたのはリスナーである自分も同じだった。

星野源がドームツアーを成功させる稀代のポップスターになったことは、SAKEROCKで彼を知った身にはやはり隔世の感がある。細野晴臣経由のマーティン・デニーの曲からバンド名をつけるセンスに若いながら渋い趣味だと感心していた2006年、友人の50歳の誕生日パーティで一人弾き語りで「スーダラ節」を歌ってくれたことがある。ソロ・デビューを果たしてからは、あれよあれよという間に人気者になってゆくのを傍目で見ていたが、昨年発表した『POP VIRUS』は驚いた。まさか、今は亡きライター/編集者/“ポップ中毒者”の川勝正幸氏に由来するタイトルを持って来るとは! 先の友人とはそう、川勝氏のことなのだ。バトンは繋がれていたんだ。「遠くへ行ってしまった」なんて言っててゴメン。遠くから謝っておく。

平成に撒かれたPOP VIRUSは、カタチを変えて継承されてゆくのだろう。当分、CD棚を断捨離する気はないが、過去の音楽も最新の音楽も、いつでもどこでも自由に聴けるようになった平成の出口から見える世界は、案外悪くない気がしている。

文 / 佐野郷子

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