佐藤剛の「会った、聴いた、読んだ」  vol. 91

Column

作家・綾辻行人の心に生き続けている森田童子の歌に出会った追悼イベント 「夜想忌2~みんな夢でありました」

作家・綾辻行人の心に生き続けている森田童子の歌に出会った追悼イベント  「夜想忌2~みんな夢でありました」

1975年から1983年までシンガー・ソングライターとして活動した森田童子は、知る人ぞ知る存在であったが、現役の時代にマスコミの注目を集めたことはそれほどなかった。

だが、彼女がデビューした1975年の秋は女性シンガー・ソングライターの新人が、続けざまに登場したことで音楽業界の内側では話題になっていた。

当時は『ひこうき雲』『MISSLIM』と着実なアルバム・セールスを続けてきた荒井由実が、「ルージュの伝言」のヒットをきっかけに、3枚目のアルバム『コバルト・アワー』でブレイクしたところだった。
シングル・チャートでは小坂恭子の「想い出まくら」が1位を獲得し、大ヒットを記録していた。

そこへ夏から秋にかけての2ヶ月で、佐井好子、西島三重子、中島みゆき、山崎ハコ、森田童子、吉田美奈子と、個性的な女性シンガー・ソングライターが次々にレコード・デビューを果たしたのである。

ポリドールから10月にシングル盤「さよならぼくのともだち」で、レコード・デビューすることが決まったとき、筆者は初めて森田童子に会って取材をしている。
そのときに渡されたプロモーション用の資料の中には、彼女がレコードで伝えたい思い=MESSAGEがこのように記されていた。

MESSAGE
いまわたしは わたしたちの過ぎていった青春たちに 静かにとても静かに 愛をこめて唄いたい。
(森田童子)
 

ここで彼女が「歌う」ではなく、「唄う」という表記をしていたことに、筆者は興味を持った。
なぜならば「歌う」だと届ける範囲は広く大きくなるが、「唄う」になるとずっと小さい感じがしたからだ。

過ぎてしまった「青春たち」へのこだわりが、彼女が歌う力の源泉となっていることは、「さよならぼくのともだち」を聴き始めた瞬間から、痛いほど伝わってきた。

だから「静かにとても静かに 愛を込めて唄いたい」と彼女が思っていたのは、「歌」と「ことば」に込められた思いを共有できる人たちに向けてのことだと感じた。

11月21日にリリースされたアルバム『GOOD BYE グッドバイ』を聴いて、森田童子の歌はすべてがメッセージ・ソングだと思った。

彼女が現役を引退してから10年後、TBSのドラマ『高校教師』(1993年)のなかで「ぼくたちの失敗」などの曲が使われたときには驚かされた。
だが、そこから楽曲や彼女の世界観に関心が高まって、再発されたCDがリバイバル・ヒットし、初めて脚光を浴びても森田童子は動かなかった。

そう、彼女がふたたび人前に姿を見せることは、二度となかったのである。
筆者はそのことを、人として潔いと感じた。

2018年4月24日に逝去していたことが判明したのは、しばらく時間が経過した6月のことだったという。

そして突然の訃報を受けて開催された昨年の追悼イベント「夜想忌」に続いて、今年も一周忌イベント「夜想忌2」が4月20日の夜、新宿のロフトプラスワンで開催された。

これを企画・運営している「森田童子を支持する会」の三上完太さんに声をかけられて、筆者も会場の片隅で参加させていただいた。

映画の上映から座談会、トーク、ライブと4時間もの長丁場だったが、充実した内容で世代を越えた同窓会のような、なんとも心地よい空気につつまれていたことが印象に残った。

出演者の方々は個性と才能を発揮して、それぞれに森田童子への思いを披露してくれた。

そのなかで筆者が特別の感慨を覚えたのは、作家の綾辻行人氏がギターの弾き語りで唄った「ぼくたちの失敗」と「蒼き夜は」である。
とりわけ「蒼き夜は」が圧巻だった。

綾辻行人氏の歌声とギターによって、新宿の夜に森田童子の世界がふっと、自然に現出したように思えた。

だが、考えてみれば森田童子が現役時代にメッセージを発していたのは、「歌」と「ことば」に込められた思いを、素直に共有できる人たちに向けてのことだった。
そして会場には、そういう人たちがたくさん詰めかけてくれたのだった。

たとえば、綾辻行人氏は前回の「夜想忌」に、こんな追悼の言葉を寄せていた。

「たとえばぼくが死んだら そっと忘れてほしい」と歌った森田童子でした。
そのようにしたいと思いながらも僕は、「そっと忘れ」ることなんてできないまま、訃報に接して以来ずっと彼女の歌ばかりを何度も繰り返し、聴きつづけています。
聴いていると、自分が十代後半~二十代前半だったころの、さまざまな風景が蘇ってきます。彼女の歌は――歌声は、言葉は、メロディは――当時の僕の心に直接、文字どおり突き刺さってくるかのようでした。
鋭く深く、けれども静かに優しく。甘美な痛みとともに心が傷つき、傷口から透明な血が流れ出すかのようでもあったのですが、その痛みや傷を癒してくれるのもまた、同じ彼女の歌だった気がします。
いまだに消えることなく心に残るそのときの傷の痕は、のちに小説家を生業(なりわい)とするようになった僕の、大切な宝物のひとつです。
 

レコードやCDに記録された森田童子の歌も、歌声も、現在は永遠に生き続けることができる状態にある。
しかし歌が永遠に生き続けるのは、新しい時代に生きている人の心に届いた場合に限られる。
新しい人に届いて支持されなければ、時とともにいつか忘れられていく。

後世にまで歌い継がれてスタンダードになる楽曲は、いつだって新たな命を注いでくれる人を必要としている。

筋肉少女帯の内田雄一郎氏は「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」をテクノ・ヴァージョンにすることで、音楽としての可能性をしっかり垣間見せてくれた。
この日のイベントの最後を任されたシンガー・ソングライターのYO-ENも、全力で7曲を唄い切って今後の展望を感じさせた。

そして本業ではないにもかかわらず、弾き語りでカヴァーすることで、自分の森田童子を伝えてくれた綾辻行人氏にも出会えて、「ことば」と「歌」と「音楽」の力を堪能できた。

歌も音楽も、生きている人の役に立たなければならない、ということをあらためて教えられた一夜になった。

トップ画像:<森田童子PHOTO> 撮影 / 石丸泰規

森田童子の楽曲はこちら

著者プロフィール:佐藤剛

1952年岩手県盛岡市生まれ、宮城県仙台市育ち。明治大学卒業後、音楽業界誌『ミュージック・ラボ』の編集と営業に携わる。
シンコー・ミュージックを経て、プロデューサーとして独立。数多くのアーティストの作品やコンサートをてがける。
「マイ・ラスト・ソング」では構成と演出を担当。
2015年、NPO法人ミュージックソムリエ協会会長。現在は顧問。
著書にはノンフィクション『上を向いて歩こう』(岩波書店、小学館文庫)、『黄昏のビギンの物語』(小学館新書)、『美輪明宏と「ヨイトマケの唄」~天才たちはいかにして出会ったのか』(文藝春秋)、『ウェルカム!ビートルズ』(リットーミュージック)

ウェルカム!ビートルズ 1966年の武道館公演を実現させたビジネスマンたち

著者:佐藤剛
ボイジャー

ビートルズ来日をめぐる人間ドラマを丹念に描く感動のノンフィクション。

1966年のビートルズ来日公演、それは今になってみれば、奇跡的といえるものだった。いったい誰が、どのようにしてビートルズを日本に呼ぶ計画を立てて、それを極秘裏に進めて成功に導いたのだろうか? これは日本の経済復興の象徴だったリーディング・カンパニーの東芝電気と、その小さな子会社として生まれた東芝レコードにまつわる、歌と音楽とビジネスをめぐる物語である。

vol.90
vol.91
vol.92