平成スポーツ 勝手にプレイバック!  vol. 2

Column

名言! 迷言? で振り返る平成サッカーワールドカップ史

名言! 迷言? で振り返る平成サッカーワールドカップ史

30年間に及ぶ平成の時代に開催されたサッカー・ワールドカップは、1990年イタリア大会から昨年のロシア大会まで全部で8回を数える。思えば永遠に出場など無理かと思われた90年イタリア大会の予選(日本は1次リーグ敗退なので予選開催は89年の平成元年)から、その4年後にJリーグがスタート。同年開催の94年アメリカ大会アジア最終予選では出場まであと一歩まで近づき、さらに4年後の98年フランス大会でついに悲願の出場を遂げた。

以降、自国開催(日韓共催)を含め6大会連続でワールドカップに進出し、本大会で16強進出が計3回。日本サッカー界は、まさに平成の時代に長足の進歩を遂げたと言っていい。ここでは、選手やその周辺の人々が語った名言や印象的な言葉、あるいは迷言や失言を抜き出し、平成を駆け抜けた日本サッカーの進歩の軌跡を振り返ってみたい。

<ロスタイムの悲劇。しかしこれがターニングポイントに>

名言!
「ドーハの悲劇」(発言者不明)

平成5年/1993年 アメリカ大会・アジア最終予選

そのほんの一大会前の日本代表チームの予選敗退は、新聞の片隅で小さく報じられただけだった。しかし4年後の1993年5月、Jリーグが始まるとその状況は一変。Jリーグが始まるその少し前より、ハンス・オフト監督率いる日本代表が快進撃を続け、サッカー代表戦の面白さも、多くの国民が知るところとなった。

しかし、その盛り上がりが一転、あと数分、いや数秒のところでどん底に突き落とされた。最後のイラク戦。勝てばワールドカップ出場が決まる状況下、日本は後半のアディショナルタイムに同点ゴールを決められて引き分けとなり、ワールドカップ初出場を逃した。翌日の新聞には「ドーハの悲劇」の言葉が掲載されていたという。

しかし、この時試合を中継していたテレビ東京の視聴率は、深夜にもかかわらず、局の歴代最高48.1%をマーク。NHK BSも含めれば相当数の日本国民が目撃したかつてない劇的な落胆の記憶こそが、その後の日本サッカー界のマーケットを大きく広げることになったとは言い過ぎだろうか。少なくともテレビや雑誌、新聞といったメディアが日本代表の価値を確信したことは間違いない。

<当時は右側の人もスランプで代表からは外れていた>

名言?
「外れるのはカズ、三浦カズ……」岡田武史

平成10年/1998年 フランス大会

悲劇から4年後、念願のワールドカップ初出場を果たした日本代表。棚ぼたのような形で日本代表を率いることとなった“岡ちゃん”こと岡田武史は、現地フランスでの直前キャンプで25人を22人の最終メンバーに絞るにあたり、代表の功労者でもあったカズこと三浦知良(に加え北澤豪と市川大祐の計3人)を外した。この、日本を二分する大論争となった発表のコメントがこの言葉だった。

ただ否定派には「功労者に恥をかかせるとはナニゴト」とサッカーの評価とは別の次元で批判する人も多かった。ちなみにこれを受けて帰国の途についたカズは、「魂みたいなものは置いてきた」と、これまた名言を残している。

<日本サッカーの“黄金世代”を率いたトルシエ>

名言!
「冒険は終わった」フィリップ・トルシエ

平成14年/2002年 日本・韓国

自国開催(共催)ながら日本を初の16強へと導いたトルシエ監督の、最後の試合となった決勝トーナメント1回戦・トルコ戦後の言葉。98年のワールドカップ終了後、代表監督に就任。以降、毀誉褒貶はあったものの、1999年、U-20代表(小野伸二、高原直泰、稲本潤一、遠藤保仁、小笠原満男らがいた)を率いてワールドユースで準優勝、翌年U-23代表(前述メンバーに中田英寿が加わる)を率いてシドニー五輪でベスト16、さらに中田は欠いたものの同年アジアカップでは優勝(中盤に名波浩、中村俊輔、稲本、小野の超豪華メンバー)、翌コンフェデレーションズカップで準優勝と、いわゆる黄金世代メンバーの成長を引き出し、結果をも出した実績は、もっと評価されてもよいのかもしれない。確かにこの4年間は、エンタテインメント溢れる冒険のような日本代表だった。

<大きな期待を背に臨んだドイツ大会。だが結果は惨敗に>

迷言?
「急にボールが来たので」柳沢敦

平成18年/2006年 ドイツ大会

略して「QBK」。グループリーグ第2戦のクロアチア戦。センタリングを無人のゴールに押し込むだけのように見えたシーンで、まさかの右足アウトサイドでのシュートは無常にもゴールの右へ。このシーンについて、本人が語った言葉。オーストラリア、クロアチア、そしてブラジルを相手に、1分2敗。ブラジル以外の2チームには勝利のチャンスがあっただけに、大会結果を象徴するようなコメントとして、ファンの間に流布してしまった。

失言!
「オシムが……オシムじゃない……オシムって言っちゃったね……」川淵三郎

平成18年/2006年 ドイツ大会終了後

ドイツで前向きな結果を残すことができなかったジーコ監督率いる日本代表。その帰国会見で、当時の日本サッカー協会会長・川淵三郎キャプテンがコメント中に口を滑らせ、次の代表監督候補を漏らしてしまうという“世紀の失言”。当時まだジェフ千葉監督だったイビチャ・オシム監督を、日本協会が結果的に強奪するような形で日本代表監督就任が決まってしまった。

名言?
「僕はもってるかな」本田圭佑

平成22年/2010年 南アフリカ大会

オシム監督の病気による監督辞任の後を継いだ岡田武史監督。ところがアジア予選は突破したものの、チームの調子は上がらなかった。そのため本大会直前に荒療治を断行。守備的なサッカーをするために、本田をトップ下から1トップのFWへとポジションを変更した。結果的にはこれが功を奏した。初戦のカメルーン戦で先制ゴールを決めて1-0の勝利に貢献。その試合後にこのコメントが飛び出した。「昨日が誕生日だったし、僕はもっているかな」とコメントした。SNS上には「本田△」(ホンダさんカッケー)の文字があふれ、さらには大会前の低評価を反省した言葉、「岡ちゃん、ごめんね」は流行語大賞にノミネートされた。

<ポゼッションはムリだったのかな?>

迷言
「自分たちのサッカー」日本代表メンバー

平成26年/2014年 ブラジル大会

少なくとも悪い意味ではなかった言葉に、時に人は囚われ、自信は慢心へと変わっていた。そんな教訓をまざまざと見せつけられたのがブラジルでの日本代表だった。「自分たちのサッカー」をやれば勝てる。確かにそうやって勝ってきた日本代表だったが、いつしか言葉の意味は単に「自分たちがやりたいサッカー」を意味する言葉へと変容し、相手を見ることを忘れていた。

4年間日本代表を率いてきたアルベルト・ザッケローニ監督だったが、監督としての人気は高かったものの、その采配は迷走。「日本に空中戦の文化はない」の言葉とは裏腹の采配も批判を浴びる結果となった。

<10年前のあのセリフが復活するとは!>

名言!
「大迫半端ないって」主にTwitter上

平成30年/2018年 ロシア大会

遡ること10年前。大迫勇也が高校生時代に戦った対戦相手の選手が泣きながら語った言葉がテレビに流れ、モノ好きなファンの間でちょっと流行った。その言葉がSNSの時代に入り、大迫の大会での活躍を見て爆発したように広まり、ついには流行語大賞のトップ10入りを果たしてしまった。直前の監督解任から、さまざまな意味で注目を集めた日本代表だったが、終わってみればベスト16進出で、強豪・ベルギーをあと一歩のところまで苦しめた。解任時のゴタゴタはいつしか雲散霧消。終わりよければ……も半端なかった!?

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先ほど #大黒摩季 、皆様の温かい応援&声援に支えていただき、僭越ながらリーチな #49 歳になりました😎🌟沢山のお祝いメッセージも頂き、心よりありがとうございます😆❣️💖 : お一人お一人、大切にお返事したいながら、明日雪の #札幌 #札幌芸術文化劇場hitaru にて #HBC朝日シルベスターコンサート 本番故😓、寝ねば✋で、まずはこちらで御礼を✨と😉💕 : #40代 最後の一年、悔いのないよう、一層 #やんちゃな大人 として #諦めの悪い女 #Music馬鹿 として(笑)、TOUGHにしなやかに爆走したいと思い #マッスル 💪💪💖💖宜しかったら #ご一緒に 😉💕 #HigherHigher ⤴️⤴️しましょう🔥✨緊張のリハーサルも万全、まずは明日最後の最後、歌いきります🙋 : PS, #レコード大賞USAじゃなくて残念過ぎる 😢 #乃木坂46 ちゃん達も素敵に頑張ったと思うけど、#ISSA ❣️私には君と #DAPUMP が今年一番🎌 #最高に頑張ったで賞 ✴️ #最高に輝いたて賞 🌟だと思ってマッスル💪💪💖💖

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<まさかの本人登場! (笑)>

【番外編】

事実誤認!
「オオグロ……マキ」ジーコ

平成18年/2006年 ドイツ大会開始前

ジーコ監督がドイツに臨む代表メンバーを発表。巻誠一郎がサプライズで発表されたが、彼の名前が大黒将司の後だったから、つながってオオグロ・マキ、大黒摩季と変化して……というのは事実とは異なる。ジーコは「ヤナギサワ、タマダ、マキ」と、玉田圭司の後に巻の名を読み上げている。

ではなぜオオグロ・マキが広まった? どうやら大黒と巻が試合で2トップを組んだ際、スポーツ紙が面白がって「大黒摩季」の見出しを打ったかららしい。しかしその後、巻と大黒摩季さんに、このことが縁で親交が生まれたとか。ちなみに大黒将司と巻に、その後親交が生まれたかどうかは定かではない。

さあ、もうすぐ平成が終わって令和の時代へ。次のワールドカップから大会の概要も大きく変わる可能性もあり、日本代表も世代交代が進んでいく。次こそははベスト8進出へ? いやいや令和の時代も、平成最初の悲劇を忘れるべからず。きっちりと出場を果たしてから考えても、遅くはないのだから。

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