Interview

「坂の途中の家」で苦悩する母親を力演した柴咲コウ。 息苦しさを覚える現代社会で、人として感じることを告白

「坂の途中の家」で苦悩する母親を力演した柴咲コウ。 息苦しさを覚える現代社会で、人として感じることを告白

3歳の娘を育てる主婦の日常が、補充裁判員に選ばれたことによって少しずつ変わっていく…。家庭という閉ざされた世界で、育児ストレスや夫婦、義父母との関係や実母との確執を抱えた主人公の山咲里沙子は、いつしか乳幼児虐待死事件の被告にいつしか自分を重ね、やがて衝撃的な事実と向き合うことになる様を描いた、直木賞作家・角田光代の「坂の途中の家」が、WOWOWの「連続ドラマW」枠でスタートした(全6話)。乳幼児虐待死事件裁判をめぐり、さまざまな夫婦や家庭、親子のあり方を見つめ、心理サスペンス的に核心に迫っていく本作。主演を、大河ドラマ「おんな城主 直虎」以来、約2年ぶりの連続ドラマ主演となる柴咲コウが務めている。現代社会から浮き上がる、さまざまなテーマを内包した力作に携わり、自身も考えることが多かったと話す柴咲の思いを、時間の限り掘り下げてみた。

取材・文 / 平田真人 撮影 / 荻原大志

“普通”という概念を取り払うのは難しいことなんだと、「連続ドラマW 坂の途中の家」という作品から突きつけられた感があります

事前に6話分を“イッキ見”しましたが、すごく面白かったです。心理サスペンス的な要素に煽られつつ、人として考えさせられることが多々ありました。

ご覧になっていて、ジリジリしませんでした? 主人公の里沙子の不器用さに共感できる人もいれば、そうじゃない人もいらっしゃるのかなと思って…。

子を持つ1人の親という個人的な視点になりますが、登場人物それぞれの言動に思い当たる節があって、育児や家庭の描写におけるリアリティーに唸ったのち、クライマックスからの落としどころに胸のつかえがとれるような思いがしました。

あ、それ、わかります(笑)。確かに、傍観者であったとしても想像力をふくらませて当事者の立場にもう少し寄せていく、ということは現代を生きる私たちの課題でもあると思うんですね。どうしても他人事になりがちなことも、自分の事のように考えられるようになれば、もう少し幸せな世の中になるんじゃないかなと思ったりもするもので──。今回の「連続ドラマW 坂の途中の家」で描かれた事件だけではなくて、いろいろと思い当たる節というのがあるなと、私自身も感じているんです。

山咲里沙子 (柴咲コウ) 「連続ドラマW 坂の途中の家」より ©2019 WOWOW

劇中でも大きなフックになっていますが、自分にとっての“普通”という概念で他者をはかることで、悪意がなくても相手を追い込みかねないというのが、胸に刺さりました。

難しいのは…かといって、“普通”という概念を取り払うことができるかというと、そうじゃないということですよね。たとえば…最近パラリンピックなどを見ていて、ストレートに「かっこいいな」と思えるのって、すごく情報が発達して、五体満足ではない人たちがアスリートとして活躍していると認識する機会が増えたことで、驚きよりも競技者として見る視点が養われたからだと思います。でも、過去をずっとさかのぼれば、外国人であるというだけで「自分たちと違う」という目で見てしまった時代もあったわけで…。それが情報網の発達などで目に入る景色というのも多様になってきたことによって“普通”が変化して、人々が柔軟になった部分と、まだ未知数だから怖い、不安で受け入れられないこともあったりする状態だと思うんです。LGBTに対する理解もかなり進んだとは思いますけど、やっぱりまだ抵抗がある人もいますし…そうやって考えていくと、“普通”という概念を取り払うのは本当に難しいことなんだと、「坂の途中の家」という作品から突きつけられた感がありますね。

また親子であっても、母と娘にとっての“普通”の解釈が違っていたりもするわけで、そういう意味では世代間のズレを描いた話でもあるなと思いました。

家族というスタイルも時代とともに変化していい、とは思うんです。たとえば、私も結婚していなかったりしますけど、そういう人に対する風当たりもいまだになくならないですし、「何歳ぐらいになったら家族を持つべき」という概念も消えてはいなくて、そこに息苦しさを感じている人も中にはいらっしゃるかもしれないなって。私は自由気ままにやっているからいいんですけど(笑)、周りからの期待や落胆がプレッシャーになっている人には、家族というものがわずらわしいと思えても無理がないのかなと、感じる部分もあります。

桜井ユキさんが演じられている裁判官の松下朝子が、夫から「そろそろ、おふくろが2人目(の子を)って言っているんだよ」と言われて絶句するシーンなども、それぞれの“普通”がズレていることを象徴していて。

「誰のために子どもを生むんだっけ?」と思ってしまいますよね。ただ、東京のど真ん中で暮らす家族と、地方で暮らす家族とではまた事情が違ってきますし、温度差があるということは理解しているつもりではいます。私自身は自然回帰願望が強いので、子孫を繁栄させていこうとするのは人間としての営みとしては純粋なんじゃないかと、すごく肯定的にとらえてはいて。でも、選択肢はそれ一つだけじゃない。これだけたくさんの人がいて、人間そのものも多種多様になってきている中で、「みんなが同じ方向を向くべきなのかな?」と、逆に思っています。そんなふうに壮大に考えてしまうくらい、深いテーマだなと感じますね。

「連続ドラマW 坂の途中の家」という作品の中にも、本当にさまざまな家族、親子、夫婦が登場しますが、それぞれ生き方も考え方も違っているわけで…同じ人間として彼ら彼女らをどう受け止めるかが、問われているような気もしました。

しかも、それぞれに正しいと思って生きているから、他者を受け入れようとすると膨大なエネルギーを使うんですよね。実際、里沙子と私にも共通点がありまして…いや、私自身は言いたいことを全部閉じ込めておけるタイプではないですし、そもそも感情が顔に出やすいのでキャラクターとしては真逆なんですけど(笑)、里沙子と同じように意外と周りの言っていることを重んじるところがあるんです。それを社会では「空気を読む」という言い方で表現するのかもしれないですけど、空気を壊してまで自分の思いを貫く強さや姿勢というのはなくて、ある程度の調和の中で、それぞれが主張をできたらいいなと思うタイプなんです。里沙子の場合はお母さん(高畑淳子が演じる実母・三沢富路子)との関係性もあって、言いたくても言えなかった、あるいは自己主張することで嫌われたら嫌だな、という思いの方が強いんですけど、彼女の気持ちは理解できたんですよ。そういうシンパシーを逐一感じながら、お芝居していた気がします。

柴咲さんのお芝居で印象的なのが…特に裁判所から出てきた後の歩き方なんですけど、所在なさ気にぽつねんと歩を進めている姿に、彼女の葛藤やバックグラウンドが投影されているような感じがしたんです。

自分ではそこまで考えて歩いていなかった気もしますが(笑)、確かに日々の暮らしで満たされているかというと、そうではないですし、スマートかつ器用に生きてきた人ではないなと思いながら芝居はしていました。もちろん、里沙子としてはうまくやろうとしているんですけど、ちょっともたついてしまう。旦那さん(田辺誠一演じる山咲陽一郎)との関係の中でも、うまくやりくりして期待に応えようとしているんですよね。ビールやご飯を絶妙なタイミングで出したいんですけど、ちょっとズレるっていう。そうやって相手のことをしっかり見ているから、指摘されると「あ、ごめん…」って謝るんですけど、それが口癖になっていて。そういう細かい仕草が脚本の序盤から組み込まれていたので、そういった部分は自然と出しやすかったです。

口癖という部分でいうと、公判中の評議シーンで意見を求められた里沙子が、「でも…」という接続詞から話し始めるのも印象的でした。

里沙子にとっては、それが最大限の抵抗だったのかなと思います。「そうですよね」と言ってしまうと、自分が否定されたことを認めることになると無意識に思っていたのかなって。

芳賀六実 (伊藤 歩) 「連続ドラマW 坂の途中の家」より ©2019 WOWOW

そういった、ほんのワンフレーズからも、登場人物たちが自身の抱えている問題と向き合おうともがいている様が読みとれるようにも感じられますね。

それぞれに“正義”というものを持っていて、そこが浮き彫りになりますよね。たとえば、(伊藤歩演じる雑誌編集者にして裁判員を務める芳賀)六実にとっては彼女が目指している自分自身になれていなかったり、理想とする家族像を手に入れることができていなかったりするわけですけど、そんな自分や夫に対する歯がゆさがありつつ、すでに手に入れている人たちへの羨望の眼差しもあれば、恨めしさも持ち合わせていて。一方、六実が羨む里沙子や子どもがいるほかの裁判員に選ばれた人たちの家庭が円満かというと、また別の問題があって、バランスが崩れていたりもする。その辺りの描写が絶妙だなと思いましたし、実際に私たちが生きる社会でも…隣の芝生は青く見えるけれども、実はそれぞれに問題を抱えていたり、ほかの人の目には見えない悩みがあったりするのだろうなと、あらためて認識する機会となりました。

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