Interview

SNARE COVER 北海道発・世界で認められたボーカルの個性は新作でいかに展開されているのか?

SNARE COVER 北海道発・世界で認められたボーカルの個性は新作でいかに展開されているのか?

SNARE COVERは、斎藤洸のワンマン・プロジェクトだ。彼は、地元・北海道で10数年バンド活動を続けた後、現在の形に転じ、世界的規模のコンテストでベスト・ボーカル賞を受賞したり、人気アニメ「メイドインアビス」のオリジナル・サウンドトラックに参加するなど、そのボーカルの個性に注目度が高まっている。そんななか届けられたミニアルバム『Birth』は、器楽的なボーカリゼーションを駆使して独自の世界を表現し、その名の通り、魅力的なボーカル表現者の誕生を伝えている。
ここでは、そのキャリアを振り返ることから始めて、今回の作品が生まれるまでの経緯を語ってもらうとともに、彼の音楽的な立ち位置をじっくりと語ってもらった。

取材・文 / 兼田達矢 撮影 / 鈴木圭


(曲を作り始めた時は)とにかく頭の中で鳴ってる音をもっともっと出したいという気持ちだけがある、という感じでした。

最初にバンドを組んだのはいつ頃ですか。

高校2年のどこかだったと思います。

その時はどんな編成だったんですか。

その時は3ピースでした。ギター/ボーカルが自分で、ドラムが幼馴染で、ベースを見つけて始めました。

どんな音楽をやっていたんですか。

当時の僕は、ニルヴァーナとか、90年代前半のグランジ・ロックを聴きこんでいたので、その影響が強かったと思います。

最初からオリジナルをやってたんですか。

そうですね。僕は、オリジナルをやりたくてギターを持ったくらいだったので。元々は中学の時にドラムを始めたのが音楽の道に進むことになるいちばん最初で、コピー・バンドでドラムを叩いたりしてたんです。でもグランジの…、というか特にニルヴァーナなんですけど、その影響で自分も歌えるんじゃないかなあと思ったんですよね。

誰かの曲を歌うのではなくて、自分の言葉で歌いたかったんですか。

そうなんです。セルフ・イメージを上げたいという気持ちも多分あったと思うんですけど。つまり“自分はこういう人間なんだ”という感じの表現をやりたかったというか…。反抗というのとは違うと思うんですけど、世の中に自分とのいう存在をぶつけたいというか、そういう漠然とした思いがあったように思います。

それで曲を作り始めた時に、曲はすぐ作れましたか。

意外と、すぐ作れちゃったんですよ。多分、そこがずっと音楽を続けている大きな要因だと思うんですが、すぐに曲を作れて、アイデアもどんどん出てきて…。クオリティーは絶対に低かったとは思うんですが、でもそれは自分としては関係なかったんです。とにかく頭の中で鳴ってる音をもっともっと出したいという気持ちだけがある、という感じでした。

最初に洋楽に触発されて曲を作り始める人のなかには英語で歌詞を書く人も少なくないですが、そこはどうだったんですか。

僕は日本語でした。洋楽をそのままマネるのではなく、日本語で絶対書きたいという気持ちもあったし。ただ、自分自身が洋楽の歌詞の内容はわからなくてもメロディやサウンドの良さに惹かれるリスナーだったから、自分で書く場合もメロディやサウンドの良さということが大事だったし、だから歌詞もメロディのための言葉という意識が強かったかもしれないですね。

どんどん表現をアウトプットしていく、“前に前に進んで行くんだ!”という姿勢はソロになってより強くなったと思いますね。

そこから一気に時間を進めてしまいますが、バンドを10数年続けた後で現在のワンマン・プロジェクトという体制になるのが2016年です。単純にバンドを解散ということにはしなかったのはどうしてですか。

まず僕自身がSNARE COVERという名前をどうして引き継ぎたかったということがあります。それに、「10数年続けてきた名前にはすごく意味がある」ということを言ってくださる方もいて、その話は僕もすごく納得できたし、例えばコーネリアスのような形で音楽をやっている方もたくさんいらっしゃるから、いわゆるワンマン・プロジェクトという形もありだなと思ったんです。

SNARE COVERという名前を維持するということを考えた時に、また新たなメンバーを探してバンド形態で続けるという選択肢はなかったですか。

その時には、僕のなかにその選択肢は全くなかったですね。やっぱり、バンドって大変ですから。そこまでやってきたバンドでは、特にドラムとは10数年ずうっと一緒で、生活も共にする運命共同体というような感覚で続けてきましたから、その形が難しくなった時に、正直“ものすごく疲れちゃったな”という感覚があったんです。だから、また新しいメンバーを探して、そういう運命共同体的な気持ちでやっていこうというエネルギーは持てなかったですね。ただ、音楽をやりたいと思いは以前と変わらずに強く自分のなかにあったから、一人でやるという選択は必然的だったと思います。それに、バンドを続けていくのが難しくなってからワンマン・プロジェクトとしてやっていくと決めるまでの間に、一人でコンピュータ・ミュージックをやっていた時期があったんですけど、そこで音楽を表現するのにバンドという形でないといけないという感覚はどんどん小さくなっていきました。自分の音楽を人に伝えるというストレートな思いさえあれば、バンドという形でもなくてもいいなと思うようになっていたんですよね。

自分一人で音楽を作る形になってから出来上がる音楽は、以前バンド形態で作っていた音楽と何か違いはありましたか。

違いは出てきたと思います。具体的には…、やっぱり自分が特別フォーカスすべきものは歌だなという意識がはっきりしてきたと思います。それに、バンドでやってた頃は、楽曲のある部分にものすごくこだわりを持って、何日もかけて作り上げて、それが人に伝わって、評価を受けて、それを自分たちがどう受け止めるかというところまでのサイクルがすごく長かったんですね。もちろん、そうじゃないバンドもあると思うんですけど、僕らは時間をかけて丁寧に構築するバンドだったから、一人になってまず考えたことは“とにかくアウトプットする”ということで、その結果失敗も増えましたが、それにしてもどんどん表現をアウトプットしていく、“前に前に進んで行くんだ!”という姿勢はソロになってより強くなったと思いますね。

“エマージェンザ”という世界最大規模のコンテストに出場して、その日本大会で1位になるわけですが、そのコンテストの出場者はバンドが中心なんですよね。

そうです。“エマージェンザ”というのはドイツのコンテストなんですが、ドイツはヘヴィメタルが強かったりするから、そういうメタル系とか歪んだギターを鳴らすバンドがほとんどですね。

そういうコンテストに応募する時、ワンマン・プロジェクトというか、ソロの形で勝算はありましたか。

ありました。というか、いつでも僕のなかには根拠のない自信があって、それが活動の原動力になっているんですが、そのコンテストについてもそういう自信があったし、さっき言ったようなバンドが多いコンテストだからこそ自分の特別な声が目立つというか、一つ抜け出せるんじゃないかと思っていました。

実際、世界大会でベスト・ボーカル賞を受賞したわけですよね。

それは、すごく嬉しかったですね。もちろん、グランプリを目指してはいたんですけど、それにしてもそういう形で僕のボーカルが認められて、出場した意義があったなと思いました。

その後、アニメ「メイドインアビス」のサウンド・プロデューサー、ケヴィン・ペンキンさんに、資料の表現を借りれば「見出された」ということになっていますが、彼もやはり斎藤さんの声に注目したんですか。

そうなんですけど、そこの経緯をもう少し詳しく話すと、僕が10代で札幌の中心部に出て活動を始めた頃の先輩バンドのメンバーだった方が、ケヴィンと同じ会社に所属してアニメやCMの音楽を手がけるプロデューサーとして活動していらっしゃったんです。その方が、僕がfacebookに定期的にアップしていた動画をたまたま見つけてくださったんですが、それがちょうどケヴィンが、男でも女でもない、中性的な歌声を求めていた時期で、そこにぴったりハマったということなんです。

国際的なコンテストでボーカルの賞を受賞し、また世界的なアニメのサウンド・プロデューサーに認められたことは、その後の創作活動にどんな影響を及ぼしましたか。

そういう評価をいただいたことはとても良かったんですが、でもだからと言ってそこから自分の生活がガラッと変わったかと言うと全くそんなことはなくて、というのもそれまではとにかくアウトプットしていくことを繰り返していたんですが、逆にインプットすることももっと必要だなということを特にドイツに行って痛感したんです。

どういうことをインプットする必要を感じたんですか。

いちばん大きかったのは人間的な部分ですね。自分はいただいた評価に値する人間にまだ足りてないなということに思い当たって、けっこうしんどかったんです。

何が足りていなかったんでしょう?

音楽作りを続ける人間として、いつでも自分の日常を切り取って見せるような感覚でいないと、どんなチャンスが来ても、あるいはどんなピンチに見舞われても、自分の表現を保てないということですね。

「表現とは自分を切り取って見せるもの」という意識は、グランジに魅せられた10代の頃から全く変わっていないんですね。

変わっていないし、それが実現できていないということは、自分ではずっと感じていました。ただ、昔はそういうことが隠せたというか…、逆に言えば今の時代はそういうものが全部わかってしまう時代だと思ってしまったんです。僕自身も、SNSに自分の日常を切り取ったものをどんどんアップしたりしていますから、受け取る側としてはその人の表現が本当にその人自身を切り取ったものなのかということにどんどん敏感になっていると思うし、またそれを見極める目がどんどん肥えてきていると思うんです。そういう状況のなかで表現を続けていくには、自分はまだ弱すぎるなって。

それを克服するために、どういうことをやろうと考えたんですか。

まず思ったのは、コツコツと地道にやっていくということをもっとやっていかないといいものはできないなということですね。ちょうどドイツに行くタイミングで今回のアルバムを作ろうということは決まっていたので、それが出来上がるまではしっかり気持ちを落ち着かせていうか…。具体的には、ちゃんと練習したりとか、生活面で言えば大切な人に対してもう少し相手の身になって考えるとか、そういう普通のことなんですけどね。

何かのジャンルに収まるような感じではなくて、いろんな曲が入ってるほうがいいなということは考えていたと思います。

具体的に今回の作品の制作に入る段階で、もう曲は揃っていたんですか。

「朝焼け」と「地球」は“エマージェンザ”でも歌った曲で、全くライブでもやったことがない新曲というのは7曲中4曲くらいだと思います。

1曲目の「Birth」は、「メイドインアビス」劇場版総集編の後編「放浪する黄昏」のエンディングテーマ「reBirth」のセルフカバーとも言える曲、と資料では説明されています。

僕がケヴィンに「今、作品を作っているんだけど、こういうアイデアがあるんだ」というデモを聴かせたら、それにケヴィンがすごく反応して、彼からもアイデアが出てきて、二人のいいとこ取りという感じで出来上がっていったのが、あの曲です。僕とケヴィンは、インスピレーションがすごく合うんですよね。2017年に僕の歌声を提供した時(「Hanezeve Caradhina」)も、お互いが求めている世界観がものすごく似ているなと思ったんですけど、「Birth」でもケヴィンはこういう歌声が欲しくて、僕はこういうストリングス・アレンジを求めていて、というところがぴったり一致したから、あの曲が生まれたんです。

「reBirth」をオリジナル・バージョンと呼ぶとして、オリジナルとこのセルフカバー・バージョンはアレンジも違うんですか。

そうですね。「reBirth」はどちらかと言えばアンビエントな感じですが、「Birth」はもっと僕の歌にフォーカスした感じになっています。

では、「朝焼け」「地球」「Birth」以外の4曲が新曲ということですか。

そうですね。

その新曲を作っていくなかで、アルバムとしてのトータリティみたいなことは意識していましたか。

ある程度は考えていたかもしれないです。それは、“こういう感じ”というふうにはしないでおこうと思っていたということなんですけど、つまり何かのジャンルに収まるような感じではなくて、いろんな曲が入ってるほうがいいなということは考えていたと思います。それから、ボーカルをしっかり聴かせる、きれいに聴かせるということは意識していました。そういう僕の意図を、今回やってくれた札幌の若いエンジニアがよく理解してくれて、楽曲それぞれのキャラクターを際立たせるために細かいことをいろいろやってくれたおかげもあって、アルバムとしてうまくまとまったと思います。

このアルバムを聴いてまず感じることは、楽曲の構成がいわゆるJ-POPパターンではない曲ばかりで、敢えて言えばAB形式的なシンプルな構成の曲が多いなということなんですが、それは意識したことですか。

僕の曲作りの方向性として、ここまで10数年やってきたなかでそういう方向に進んできたということがあったかもしれないですね。聴いてきた音楽もそういう曲が多かったと思うし。だから、自然とそっちのほうへ行ってしまうとう感じが強いかもしれないです。ただ、今回は聴く側の人が聴きやすいかどうかということを自分なりにかなり意識したところもあります。自分が本当に好きなものが人にちゃんと伝わるかどうかというところまですごく意識して作ったので、そういう意味では今回はかなり考えて作ったと言えるかもしれないですね。ある程度まで作り上げた後で、かなり音を外したこともあったし。

今回それほど聴き手を意識したのはどうしてなんでしょうか。

どうしてなんでしょうね…。やっぱり、深いところでの共感というか…。世の中に媚びた音楽は作りたくない、みたいな話がよくありますが、そういうことではなくて、もうちょっと自分の気持ちを掘り下げて“なんのために音楽をやっているのかな?”ということを真剣に考えた時に思い当たったのが、自己満足ではダメだということなんですよね。この音楽があることで聴いた人の生活がちょっとでも豊かになったり、何か誰かのためになってるということがないとやれないよな、って。となると、必然的に聴いた人にどれだけちゃんと伝わるかということを一生懸命考えますよね。それから、僕がやりたいことばかりやってる結果として、僕の声、僕の歌声が届くべき人のところにちゃんと届いていないということを言ってくれる人がいて、その意見は僕の実感と重なるところもあったから、いよいよ聴いてくれる人のことを考えようと思ったんです。

そうして出来上がったアルバムについて、世の中の人たちがまだ聴いていない今の時点ではどういうふうに感じていますか。

この制作の時点での自分のベストを尽くせたので、まずはそれが良かったなと思っています。どんな反応があるのかは、正直まだ想像できていないですが、とにかく自分にとって最高にいいアルバムができたと思っているので、いろんな手段を使ってできるだけ多くの人に聴いてもらおうと思っています。

では、リリースから1年後、来年の5月頃にはどうなっていると思いますか。

もっとペースを上げたいですね。このリリースに辿り着くまでに、自分作りじゃないですけど、バンドを解散したり大会に出たりして、けっこう時間がかかったから、ここからは音楽を発信するペースを上げたいです。表現の形もいろいろやりたいし。動画もやりたいし、もちろんSNSも使うだろうし、「あの人、よく見るよね」という感覚を持ってもらえるところまでは絶対持って行きたいと思っています。

期待しています。ありがとうございました。

SNARE COVER

2001年、当時高校3年生だった斎藤洸(Gt.Vo)を中心に、SNARE COVER結成。祖母が詩吟の師範だったことから、幼少よりその影響を大きく受けた斎藤の作り出すメロディ、そしてその声は唯一無二の世界観を確立しており、札幌では「ヤバイ奴がいる」と噂になるが、2016年に斎藤のソロ・プロジェクトに。2017年、エマージェンザジャパン大会優勝。ドイツで開催された世界大会では惜しくも4位入賞だったが、ベスト・ボーカリスト賞を受賞。その後、アニメ「メイドインアビス」のサウンド・プロデューサー、ケヴィン・ペンキン氏に見出され、サウンドトラックにボーカルで参加。その楽曲「Hanezeve Caradhina (ft.Takeshi Saito)」はYouTubeにて610万再生を超える。その縁から、2019年1月公開の「メイドインアビス」劇場版総集編の後編「放浪する黄昏」エンディング・テーマ曲「reBirth」をケヴィン氏と共作した。また、斎藤は書籍等も出版されている大人気子猫の“わさびちゃん”のお父さんとして全国的に知名度が高いという側面も持ち合わせている。

オフィシャルサイト
http://www.snarecover.com

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